<改めて「成功と幸せ」について その1>

かつて「成功」とか「幸せ」について、あれこれ考える時期があった。
本もたくさん読んだし、セミナーに参加したり、依頼されて自分が講演したこともある。
今ではすっかり自然体になったが、そのプロセスにある人が議論したがるのを見ると、老爺心(笑)ながらひとこと添えたくなる。

その前に問題提起というか、ちょっと長い前書き。
話が大きくなるが、「ビッグバン」によって宇宙の歴史が始まって以来、すべてはよくなる方向(成長発展させる流れ)の中にあるといえる。
150億年前から、最小単位の素粒子→原子→分子→無機物→生物→人類と、より高度な存在へと進化を続けてきたわけだから。

この事実から、宇宙には、あらゆる存在をより良くしていこうという「意志」のようなものが感じられる。
「宇宙の法則」(アヤシゲに聞こえないよう祈る)に従って普通に生きていれば、放っておいても誰だって成功して幸せになれる。
法則に反すると、当然ながら「それは違いますよ」というメッセージ代わりの問題が起きるという、シンプルなシステムだ。

「成功と幸せ」へのスタートのすべては、まずこの「仮説」を信じられるかどうかだろう。
「そんなこと言っても、実際に私の生活は苦しいし、嫌なことばかりあって…」
と言い返すうちは、まだまだということだ(私もそうだった)。

「信じる」ことは、根拠があるからできるわけではない。
「愛する」と同じく「動詞」なわけだから、根拠がなくても「信じる」ことはできるし、あっても「信じない」ことも選択できる。
根拠があろうがなかろうが、自分が「信じる」と決めることだ(といっても大金を取る新興宗教は信じないように)。

ここからは、その「仮説」を信じようとすることを前提に書く。
まず、疑問その1。
「宇宙に『すべてをより良くしよう』という意志が存在するとしたら、なぜ日々さまざまな問題が起きるのか?」

ミクロな視点から見ると、災害もあるし、戦争もあるし、貧困もある。
毎日のように事故や事件が起こり、日常生活でも人間関係や病気やお金のストレスに悩む。
だがこれらの多くは、人間が引き起こした「人災」であり、宇宙全体の流れから見ると小さなことなのかもしれない。

私は最近、久しぶりに高熱を出して、その後1週間ほど風邪の症状が抜けなかった。
相当苦しかったけれど、熱はウィルスを殺すために出ているわけで、体をよくしようとする浄化作用ともいえる。
風邪で体がだるかったのも、疲れやストレスで弱った体を休ませようとする働きだろう。

マクロな視点では、地球上で起こるさまざまな問題も、たまにひく風邪のように、よりよくなるための「膿(うみ)出し」と言えなくもない。
地球温暖化に伴う天変地異も、明らかに「このままでは破滅するよ」というメッセージだろう。
マイナスだ、ネガティブだと騒ぐのは、宇宙から見ると素粒子レベルの人間の微小な評価に過ぎない。

疑問その2。
「どうして宇宙の意志とやらは、すぐ成功して幸せになる正解を教えてくれないのか?」
すべてをより良くしたいなら、大金持ちになる方法を、公平に見せてくれてもいいではないか。

実はそこに、「成功と幸せ」の本質的な意味が隠されている。
ここで1つ質問。
「もし世界中の人々全員が億万長者だったら、あなたはどう感じるだろうか?」

世界中が一人残らず風邪をひいているとしたら、自分は病気だと判断できない。
世界中みんな男だったら、自分は男だという意識を持つことができない。
世界中がモノクロだったら、色という概念がわからない。

全員が億万長者という条件下では、自分が裕福であることすら認識できないことになる。
それでは面白くもなんともないし、悔しさをバネにして成り上がる楽しみさえ知らないままだ。
そこには、自分なりの「成功」も「幸せ」も存在しない。

そう、結局は自分で考えて行動し、自分の手でつかんだものだけが「成功」であり「幸せ」なのだ。
「そんなありきたりな結論はわかってるよ」という人に聞きたい。
ではなぜ、今あなたは成功したとも、幸せだとも感じないのですかと。

「ありきたり」な、「あたりまえ」なこと。
実はこれが、成功と幸せへのマスターキーといえる。
もし今あなたが宇宙の意志(「神サマ」でも、「サムシンググレート(ノーベル賞の科学者の造語)」でもいい)だったら、その解答やヒントをどこに示すだろうか。

私は英語教師で、英語の参考書や問題集を何冊か出している。
それらを作るときに、解答やヒントをどこに載せようとするか。
問題のすぐ横の、問題を解く前に答えが一目でわかる場所だろうか?

当然のことだが、本の後ろのほうか、別冊解答である。
すぐには答えがわからない。
でも、ちょっと努力して探せば見つかるような場所に載せるのが普通だ。

自分なりの「成功と幸せの解答」も、似たようなものではないだろうか。
「木の枝は森に隠せ」という格言の通り、日常にまぎれてつい見失いそうな、それでいてごく身近な場所にヒントが隠されている。
インドの山奥に行ったり、高額なセミナーを渡り歩いたり、トイレ掃除の修行をしなくても、目をこらして見れば必ず見つかる。

それはまるで、あって当然と見過ごされている「空気」のようなものだ。
「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせる人はいても、空気に手を合わせる人はいない。
しかしいちばん大切なのは、明らかに空気のほうである。

「こうすれば成功できますよ、幸せになれますよ」
そんな謳い文句で人を集めて何かの運動を起こしたり、必要以上のお金を払わせるのは、トップに立つ人のエゴである可能性がある。
何やら複雑で高尚なことを教えられて、「ありきたり」「あたりまえ」の単純な真理から、目をそらされているのではないか。

なぜなら、すべてはより良くなるように流れているのだから。
不自然な活動をしなくても、ちゃんとうまくいくし、なるようになるのだから。
「どうしたら成功(幸せ)を得られるか」よりも、「何が成功(幸せ)を妨げているか」と考えたほうがいい。

ありきたりのことを、ありきたりと思わない感性を持つ。
あたりまえのことを、あたりまえでないレベルでこなす。
今与えられている一見平凡な仕事を、非凡な結果につなげる。

以上が、現時点で私が考える「成功と幸せ」の究極のヒントである。
では具体的に、どうすればいいのか?
それは自分で考えてほしい、なんて冷たいことは言わず、次回のコラムで明らかにしようと思う。

ただし、ちょっと読んだだけでは「ありきたり」「あたりまえ」に見えるだろうが…。

(2008/7/30)

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