<人生哲学(上級編)ひとつの解答>
前回のコラムの問いかけに、いくつかの深いコメントをいただきました。
正解は…ご本人がすでに亡くなっているため、真意は闇の中かもしれません。
しかし同じ人間同士、あれこれ意見交換をしていると、その闇の中に一筋の光が見えてくるようです。
ちなみに、妻の答えは次の通りでした。
「この人は、自分がいじめられた、辛かったと人前で語ることによって、今までたくさんの味方をつくってきたわけでしょう」
「いじめた人たちは、絶対的な悪者で、自分は被害者だ、かわいそうだと」
「その人たちを憎み、恨み続けて、多くの人の同情を集めてきたんだよね」
「でもそれは、結局はその人たちと同じことをしてきたのかもしれない」
「自分は今、大勢の人に語れる立場にいて、言葉でも心の中でも人を非難し続けてきたんだから」
「当時は戦時中だから、いじめた人たちも、家族が戦争に行って亡くなったとか、人に言えない辛さをかかえていたはずなのよ」
「それなのに、そんな世の中に何もできなかった自分だけ、善良な被害者の顔で生きてきて、ある意味驕っていたって気づいたんじゃないかな」
「離婚や失恋で、浮気された、裏切られたって泣きわめく人がいるでしょう」
「周りはかわいそうに、ひどい人だねってなぐさめてくれるけど、実はあんたも悪いよって思ってたりするよね、それと同じで」
「いじめた側には、そうせざるを得なかった、やるせない気持ちを語る場も与えられない」
「それなのに自分はひどい目にあった、悲しかったと訴えながら、味方を増やし続けてきた」
「だから、「許してください」って言ったんじゃないかな」
そこで妻は、マザーテレサの詩を見せてくれました。
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私は思い込んでいました。
私の心が愛に満ちていると。
でも心に手を当ててみて、気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。
私は思い込んでいました。
私は何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、わかったのです。
私のほうこそ与えられていたのだと。
私は信じきっていました。
自分が貧しいことを。
でも、胸に手を当ててみて、気づかされました。
私は思い上がりと妬みとの心に膨れ上がっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
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「マザーテレサは、貧しい人を理解するためには、自分も貧しくなるべきだと思っていたんだね」
「そのほうが、お金持ちが支援するよりも、貧しい人たちからの賛同を得られるから」
「でもそれって、ある意味、上から目線なのかも」
「あえて貧しさを「選択できる立場」として、思い上がっていたことに気づいたから、こんなすごい詩が書けたんだと思う」
「高橋竹山さんも、きっとマザーテレサと同じことを感じていたんだよ」
(2008/5/12)