<人生哲学(上級編)>
津軽三味線の名人、高橋竹山(ちくざん/1910〜1998)さんは、盲目だった。
「生活のためには三味線を弾くしかなかった」
16歳で独立し、一人で北海道や東北地方を流して歩いた日々。
三味線一つをかかえて、食べるために寒い雪の中を歩いた。
戦時中のことである。
石を投げられたり、三味線を壊されたり、苦労の連続だった。
「目が見えなくて、戦争にも行けん、役にも立たん。
ゴク潰し、非国民と言われ、ひどい仕打ちを受けた」
50を過ぎてようやく認められるようになり、数々の賞を受賞。
全国で演奏会を開き、海外に招かれて文化勲章も得た。
自伝も出版し、晩年は自分の人生について語りながらの演奏が、多くの観客を魅了した。
晩年の演奏会の最後に、次のように語ったそうである。
「あの頃、誠に苦しい体験をしました…。
叩かれ、蹴られ、石を投げられ、三味線を壊されました…。
何も悪いことをしていない自分に、なぜそこまで…。
辛かった、苦しかった、悲しかった…」
「でも今、その人たちに申し上げたい…」
ここまで読んで、私だったら何と言うか、無意識のうちに予想していた。
「どうだ、あれほどバカにされていた私が、今はこんなに高い評価を得ているぞ…」
私のレベルではこの程度だが、まあ、これはないだろう。
「時を経て、もう恨む気持ちはありません、あなたたちを許します…」
高橋名人ほどの人なら、この域まで達していたことだろう。
ところが、名人の口から出た言葉は、
「許してください」
会場にいた誰もが、自分の耳を疑った。
「許します」の間違いではないか?
「許してください」
この意外な言葉について、私はずっと考えてきたのだが、高橋名人の真意がつかめなかった。
少なくとも私なら、この場面で「許してください」とは言わないし、思いも及ばない。
昨夜、たまたまこの話のことを思い出し、妻に「どう思う?」と聞いてみた。
彼女はアッサリと、「こういうことじゃない?」と、ある理由を答えた。
予想もしなかったその内容に、私は思わずうなってしまった。
ここで、読者のみなさんにも、しばらく考えてみてほしい。
なぜ、「許してください」なのか?
ご意見はぜひ掲示版へ。
(2008/5/5)