<3つの原則>

宗教学者で博物館や大学の名誉教授を務める山折哲雄さんが、数年前の日経新聞に、次のようなことを書いていた。

「新婚時代に職を失って、鬱屈とした日々を過ごしていた。
 気分を落ち着かせるため、よく外に散歩に出かけた。
 その途中で声を上げて泣き、雷雨になると号泣に変わることもあった」

「1〜2時間そのように過ごして家に戻ると、不思議に平静な気持ちになっていた。
 酒を飲んで眠ると、悪夢にうなされることも少なくなった。
 「歩く、泣く、寝る」が、沈滞する意識をふき払うための「3原則」だった」

いくら若い時代のこととはいえ、地位のある人が、失業してわんわん泣いていた恥ずかしい過去を告白する。
テーマとは関係ないが、こういう人、私は好きです。
山折さんが還暦を迎えた頃、学会のパーティーで、京都の病院長にこんなことを言われたそうだ。

「長い間、医師として余命いくばくもない患者をたくさん看取ってきた。
 その体験から、3つの心得を自分に課すようになった。
 それが「とめる、ほめる、さする」だった」

「患者の痛みを、とめる。
 患者のいいところを、ほめる。
 患者の体を、さする」

山折さんは、次のように文章をしめくくっている。

「先生の「とめる、ほめる、さする」の3原則を、私の「歩く、泣く、寝る」と比べてみた。
 私のはどれも「自分のため」で、先生の3原則は、すべて「他人のため」の心得だった。
 この先なんとか私も、「とめる、ほめる、さする」の世界へと一歩を踏み出していきたい」

これを読んで、心理カウンセラーの矢野惣一さんがよく言う、「癒しの3原則」を思い出した。
癒しが引き起こさせる3つの要素は、「見る、聴く、触れる」だそうだ。
説明するよりも、それぞれ原則に外れた場面を見てみよう。

あなたが髪型や化粧を変えてきた、または新しい服を着てきた。
ほめてもらいたかった相手は、まったく気づかない、つまり「見て」いないのだ。
これは私もよく妻に指摘されるが(笑)。

あなたが一日のできごとを、一生懸命に話す。
相手はフンフンと「聞いて」はいるが、「聴いて」はいない。
すべての手を止めて、話を聴くことに全神経を集中してほしいのに。

スキンシップはしているだろうか。
手を握ってあげているだけでも、病気の人は安心するものだ。
照れずに「触れる」、セクハラは論外だけど。

悩まない3原則って、何だろう。
「求めない、受け容れる、足るを知る」かな。

幸せの3原則は?
「ゆるす、与える、感謝する」だろうか。

あなたの「人生の3原則」は、何ですか?

(2008/4/12)

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