<さよなら、ベンツ。>

ついに、愛車ベンツを手放すことになった。
中古の外車にありがちな故障をくり返し、修理しながらなんとか乗り続けてきたのだが、最近ではいよいよエンジンが止まるようになった。
あいかわらず見かけは重圧だが、中身は満身創痍という状態だ。

今日が、運転席に座る最後の日となる。
しばらくぶりにシートに身を沈めると、懐かしい独特のにおいがした。
初めて座ったときに気づいた、何とも形容しがたい、この車の歴史を感じさせる「におい」だ。

人生初のベンツと出合ったのは、遊びに訪れた福岡でのことだ。
外車ディーラーをやっている大学時代の友人が、「実は勧めたい車がある」と言ってきた。
展示された紺色のシルエットを一目で気に入り、その場で購入を決めた。

それまで乗っていたのは、前の妻が選んだ車だった。
さまざまな思い出が詰まった車だが、それだけに買い替えて気分を一新したくもあった。
初めての外車、しかも左ハンドルなら、過去となんらかのけじめをつけられるような気がした。



左ハンドルへのこだわりには、実はもう一つの理由があった。
当時、集団登校をするる小学生の娘と、通勤時に毎朝すれ違っていたのだ。
ほんの一瞬に過ぎないが、それが離れて暮す娘の姿を見る、唯一の機会だった。

運転席が左側なら、ひと座席分、娘との距離が縮まる。
ほんのわずかな違いだが、私にとっては何百メートル分もの価値があった。
結局そのうち、車を停めて毎朝見送る生活が始まったのだが。

それにしても、地方の凡庸なサラリーマンがベンツのオーナーであり続けるのは、かなりやっかいなことだ。
納車のあと、念のため「鍵の110番」に合鍵を作りに行って、びっくり仰天した。
それまで数百円でできていたものが、1本7千円もかかった。

しばらく快調に走っていたが、さんざん噂で聞いていた通り、そのうち故障が目立つようになった。
世間を騒がす事件や事故と同じく、まるで連鎖反応を起こすように、私の銀行口座の数字を減らしていった。
「外車を中古で買うと、最終的に買値の3倍は支払うことになる」と言われるが、その計算式は正確だった。



毎年のようにエアコンが故障し、夏は暖房、冬は冷房という強烈な「冷暖房完備」を体験させてもらった。
サイドミラーはすぐ動かなくなり、パワーウィンドウが開いたまま閉まらなくなった途端、絶妙のタイミングで大型台風に見舞われた。
ガソリンスタンドの洗車機の中で、数トンの鉄の塊と化してしまった数日間は、おわびに寄るたびにいやな汗をかいた。

今日、引渡しの場所である職場まで移動させる時も、心の中にはまだ迷いがあった。
開き直って断っておくが、私はこういう場面において、どうしようもなくウェットな人間だ。
高くつくけれど、修理して車検を通せば、もう2年間一緒にいられるんじゃないか?

そんな中途半端な気持ちでアクセルを踏んでいると、またしても信号停車中に「カチッ」とエンジンの回転が止まった。
慌ててキーを回し、なんとか発進できたが、右折のウィンカーを出すと同時に、故障したワイパーが「ギギギギッ」と乾いた窓を拭いた。
その極端な音は、「もう私が君と一緒にいられるのは限界だから、次の人生のステージに進みなさい」と、背中を押してくれるようだった。



そう、ベンツがどうこうということではなくて、こんなに情が移ってしまっているのは、この車が私のいちばん辛い時期を支えてくれたからだ。
ナンバープレートを会えない娘の誕生日に変えて、寂しさに耐えられなくなった一人の休日は、山奥の温泉まで連れて行ってくれた。
別の日には助手席に恋人を乗せて、それまでの孤独な日々を補うように、楽しい想い出もたくさんつくってくれた。

今、こうして最後の運転席に一人で座ってハンドルに触れると、この車と乗り越えてきた不安定な時期の場面が、次々と浮かんでくる。
強がっていたけれど、明るくふるまっていたけれど、本当は辛かった、すごく辛かった。
それを初めて素直に認めたら、予想しなかったしょっぱい水滴が、目からぽろぽろとこぼれ落ちてきた。



「今まで本当にありがとう。さよなら」
そうつぶやいてドアを開け、降りようとして片方の足を出したが、やはり名残惜しくて、またドアを閉めた。

頭の上のシートベルト着用のランプが、
「こちらこそありがとう。役目を果たすことができて安心したよ。元気でね」
とでも語りかけるように、赤く何度か点滅した。

(2008/3/20)

もどる