<引き算の人生>

40歳までは、「足し算の人生」だった。

素っ裸で、何も持たずにこの世に生まれてきたのに、
愛されて、与えられ続けているうちに、
いつの間にか傲慢になっていった。

お金も物も、次々と得ていった。
30代までに叶えたい夢、達成したい目標は、
すべて実現した。

人からは、してもらったことばかり。
こちらから人のためにしたことなんて、
数えるほどもあっただろうか。

足し算しかしないから、
目に見えるモノは、次々と増えていった。
増えれば増えるほど、満足するはずだった。

それなのに、心の中には穴が開いていて、
その間を冷たい風が通り過ぎていた。
その風穴を埋めようと、ますます足していった。

足せば足すほど、さらに焦りが出てきた。
手に入れれば、より多く持っている人と比べる。
まだ足りない、もっと欲しい。

必死で足していくうちに、
私は、いちばん大切なものを失った。

独りになった私の前には、
今まで足しに足してきたものが、うず高く積まれていた。
時間も含めて、すべてが自由だ。
それなのに、何もかもが虚しい。

すべて、手放した。
お金も物も、心が欠けていたら、
何の価値も輝きもなかったからだ。

40歳は、人生の折り返し地点。
時計でいえば、正午のようなものだ。
軌道修正が必要なのではないか。

そんな時、私は一冊の本と出合った。

「40からは与える人生」
「少し損をして生きる」
「拡大よりも充実を」
「利よりも信を」

今まで読んでいた本には、まったく逆のことが書いてあった。

「簡単に成功する法則」
「目標を達成する方法」
「効率的な時間管理術」
「少ない労力で高収入」

「コザカシイ」
率直に、そう感じた。

40歳からは、「引き算の人生」を歩もうと決めた。

人生の午後、夕方、そして夜に向けて。
人生の秋、そして冬に向けて。

感謝の気持ちで、静かな夜が迎えられるように。
温かい気持ちで、美しい冬が迎えられるように。

それはちょうど、彫刻をイメージさせる。
何の変哲もない木や石の中から、
素晴らしい作品が、その姿を現す。

ただの塊を、コツ、コツ、と削っていく。
カツン、カツン、と必要のない部分を省いていく。
引き算をすればするほど、本質が形になってくる。
それは、もともとその中に埋もれていたものだ。

まるで、黙々とトレーニングに没頭するように。
たるんだ体を、コツ、コツと鍛えていく。
余分な脂肪を、カツン、カツン、と削っていく。
引き締まった、筋肉質の「肉体」が姿を表す。

不思議なものだ。
引けば引くほど、心が安らかになってくる。
手放せば、なぜか必要な分だけ入ってくる。
もう十分、これで満足。

豊かな気持ちで引いていくうちに、
私は、いちばん大切なものを与えられた。

こんな世界があったのか、と思った。

(2007/10/11)

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