<夢も希望もない生活>
ある人が講演会で、
「私の生活には、夢も希望もないんです」
と、冗談まじりに言っていました。
正確には、夢も希望も「持たない」ということのようです。
夢と希望があるということは、裏を返せば、現状に不満を持っているのかもしれません。
あれがほしい、これがほしいと言って、常に理想と現実のギャップを感じているともいえます。
逆に、夢も希望も必要ないということは、今の生活に満足して幸せを感じているということです。
「目標を持て」
「目標は持つな」
どちらも、充実した人生を過ごすための有効なアドバイスだと思います。
頑張っても、頑張らなくても、大切なのは「自分がハッピーかどうか」ということなのだから。
以前、「あなたの趣味は何ですか」という質問に、
「暮らすことです」
と答えた人がいて、今でも印象に残っています。
映画や読書など具体的なものではなく、日々の生活そのものが「趣味」というわけです。
掃除をしたり、洗濯物を干したり、夕食の買い物をすることが楽しくて仕方がない。
朝、窓を開けたら小鳥が鳴いていたとか、太陽の光や風が心地よかったり、静かな夜に虫の音が聞こえるだけで幸せな気分にひたれると。
「夢も希望もない生活」の人は、もっと極端なことを言っていました。
「息をしているだけで幸せ」
大げさに聞こえるかもしれませんが、ためしに1分でも息を止めてみれば(実際に今やってみてください)、「息をすることが趣味!」と言いたくもなりますね。
最近は、何のために生きるとか、特に何がしたいというわけでなくても、今生きていることを実感しながら、淡々と暮らすのもいいと思うようになりました。
過去を悔やんだり、将来を心配したりせずに、ただ目の前のことに念を入れて、一つ一つを味わいながら過ごす。
人と会ったら笑顔で挨拶して2・3言葉を交わし、靴ひもがほどけたら、ていねいに結びなおすような生き方。
病気をしたら、その苦しみもきちんと味わって、日頃の健康をありがたく思うきっかけとする。
日々平凡に過ぎて、何も起きないのが「奇跡」で、小さなことにも感謝して喜べる毎日。
目標を追い、ノルマに負われることに疲れを感じたら、「暮らす」ことを趣味にして、「夢も希望もない生活」を始めてみませんか。
(2004/1/11)