<病んでいようとなかろうと>

本を読んでいて、いい話やキラリと光るフレーズに出合うと、付箋紙を貼ったり線を引いたりする。
しかしその時はそれほどではないが、日が経つにつれてくり返し思い出し、記憶に深く刻まれるものがある。
そういう類は、皮肉なことに、いつどこでどの本に書いてあったかを思い出せないものだ。

次に書く話も、そんな「出典不明」のひとつ。
記憶に大きな違いがなければいいが、もしご存知の方はお知らせいただきたい。

たしか筆者は女性だったが、彼女の母親が、病気になって入院した。
彼女は母親を励まそうと、お見舞いに行くたびに、笑顔で声をかけていた。
「早くよくなってね」
「治ったら、また〜しようね」

実際、その病気は命にかかわるような深刻なものではない。
年齢的に、完治するのは難しいかもしれない、という程度。
娘が母親を元気づけようとしたのも、うなづける話だ。

ところがその母親は、娘からそのように言われるたびに、ちょっと不快そうな表情をしたという。
彼女もそのことに気がついていたが、理由がわからなかった。
病気になって気が弱くなり、今後のことを悲観しているのかな、くらいに思っていたらしい。

ある日、その母親は、それまでなかったような明るい表情を見せた。
きっかけは、担当している医者の一言だった。
どんな言葉だったと思いますか?

診察をしていた医者が、苦笑いしながら母親に告げた。
「これはもう、治りませんね…」

母親が元気になったのは、その瞬間からだという。
あなたの読み違いではない。
医者は確かに、「回復の見込みはない、病気とはうまくつき合っていくしかない」と宣告したのだ。

この事件をふり返って、娘である筆者は語る。
「早くよくなってね」とくり返すことは、「病んでいるあなたは認められない」と同義だったのでは、と。
「治ったら〜しようね」とは、「病んでいる間は〜する権利はない」と言っているようなものだったと。

医者から「もう治らない」と言われたことで、母親は「治らねばならない」というプレッシャーから解放された。
「病気である自分」を、ありのまま、そのまんまで受け入れられるようになった。
医者のお墨つき?であるから、娘や周りの人たちに気がねすることもない。

私たちも、「元気なことが正しいこと」と、思い込んでいないだろうか。
「条件がそろっていれば愛する(愛される)、そろっていなければ愛さない(愛されない)」と。
大切なのはその人自身の存在であり、病気だろうとなかろうと、関係ないことなのに。

(2007/10/3)

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