<庶民が幸せ>
徳川家康と石田三成が争った、関ヶ原の戦い。
それは壮絶なものだったでしょう。
NHK大河ドラマ「功名が辻」にも描かれていましたが、悲哀の人生ドラマもあったはずです。
この深刻な事態にもかかわらず、当日の農民たちに関する、興味深い記録が残っています。
なんと彼らは、のん気に弁当などかかえ、丘の上から高みの見物を楽しんでいたというのです。
武士たちにとっては生死をかけた大合戦も、農民たちにとっては、まったくの他人事だったわけです。
「戦国時代」と聞くと、国全体が暗い時代を連想しますが、そうでもなかった。
戦々恐々としていたのは、「立身出世」だの「天下を取る」だの騒いでいた、武将や武士たちだけ。
農民たちは、それはそれとして、それなりに平和に暮らしていたようです。
農民にとっては、年貢さえ納めておけば、誰が殿様だろうが生活に大きくは影響しない。
殿様のほうも、攻撃の相手は敵方の武士たちであり、年貢を納めてくれる農民は大切な存在といえる。
このあたり、たとえばチンギス・ハーンがヨーロッパを攻めたときの皆殺し状態とは、大きく異なります。
余談ですが、日本人が土地を重んじ、西洋人が宝石類を大切にするのは、このあたりにも理由がありそうです。
日本人は土地を追われることなく、田畑を耕していれば飢え死にすることはなかった。
しかし西洋人は、いつその土地を追われるかわからないので、持って逃げられるものに頼るようになった。
一国の政局争いや政権交替劇なども、国際ニュースになるほどの大きな出来事ではあります。
しかし国民の多くは、お茶でも飲みながらテレビを見て「大変だねえ、この人たちも」と、意外と冷めた目で見ている。
「政治に興味を持つべきだ」とかいう議論はさておき、「エラくならなくてよかった」というのがホンネだったりします。
そう、フツーの庶民って、なんだかんだいっても気楽なのです。
経済的に何の心配もいらない皇室の方でさえ、ストレスでうつ病やアル中になることがある。
我々はそんなニュースを見て気の毒に思いながら、カップヌードルやアイスクリームをほおばっている。
「名もなく、貧しく、美しく?」、「狭いながらも楽しい我が家」で、実はけっこう幸せです。
いわゆる「成功者」や「お金持ち」はどうでしょう。
独立起業して成功し、会社がどんどん大きくなって、家や車などの所有物も次々と増える。
直接目の届かない部分が多くなり、他人に任せ、時に裏切られ、跡目争いや遺産相続に頭を悩ませ…。
普通にサラリーマンをやっていれば、億万長者にはなれなくても、少なくとも「お金に困る」ことはありません。
「小市民的発想」と切り捨てず、「足るを知る」感謝の心で、トータルでの「幸せ度」も見直してはどうでしょう。
平日に仕事をすれば週末に休めて、安定した給料やボーナスが入ってくるなんて、どれだけ恵まれた条件でしょうか。
豪邸に住んで高級車に乗り、贅沢な暮らしをするのも、一時的には満足感があります。
地位や名誉を得て人々に一目置かれるのも、一時的には自尊心が満たされます。
しかし実際にそうなってみれば、いずれは「こんなものか」と思い始めるものです。
人が決死の覚悟で戦っているのに、弁当など食べていられる立場。
木造アパートの狭い部屋で、手を伸ばせば何にでも届くような安心感。
このご時世、「庶民」でいることが、案外いちばん幸せなのかもしれません。
(2007/9/27)