<ハートとヘッド>

10年ほど前、車を運転しているときの出来事です。
信号待ちをしていると、突然目から大量の水が。
いわゆる涙だったのですが、自覚がなかったため、体の持ち主である私もビックリ。

実はその少し前、私は離婚をしていたのです。
離婚というのは、ただでさえ、人生ベスト3に入るストレスだといいます。
何よりも辛かったのが、愛する娘と会えなくなったこと。

「オレは大丈夫」と、必死で自分に言い聞かせていました。
「落ち込んでなんかいない」と、無理に思い込もうとしていました。
当時の私は、俗に言う「プラス思考」や「アファメーション」をしていたのです。

「これがきっかけとなって、またいいことが起きるはずだ」
「離婚していなかったら、もっとヒドイことになったかもしれない」
根拠のない理屈を、いくつも考えました。

しかし実際には、「心が深く傷ついていた」。
それを認めようとしなかった。
ハート(心)の傷を、ヘッド(頭)の理屈でごまかそうとしていました。

私は大事なことを忘れていたのです。
「人間は、感情の動物である」
人間は「理屈の動物」ではなかった。

勢いよく吹き出す噴水を、強引に押さえつけて止める。
風邪の熱を、薬を飲んで無理やり下げる。
そんなことをしても、一次的な効果しかなく、手を放したり薬が切れたら元通りです。

あの頃の私に必要だったのは、まず自分が傷ついている事実を認めること。
そして、その悲しみや悔しさを受け入れて、じっくり味わうことでした。
そうすれば、雲が流れていくように、やがては気持ちも落ち着いていったはずです。

ウソをついても、いつかはバレる。
もしバレなくても、本当のことは自分がいちばんよく知っている。
ハートをヘッドでごまかす苦しみは、それと同じです。

自己啓発系のセミナーで、ポジティブな言葉を絶叫する人。
彼らに悲壮感が漂っているのは、本心をごまかしているからです。
素直に、マイナスを吐き出せばいいのです。
彼らに必要なのは、教祖めいた人物などではなく、身近なセラピストでしょう。

最近、自分にとって実に不愉快な出来事がありました。
「見方」を変えて気分を転換しようと思いましたが、ムカつく気持ちは去ってくれません。
結局はパートナーに愚痴をぶつけて、「日にち薬」つまり時間をかけて、少しずつ治まっていきました。

見方を変えるくらいで、お手軽に気分が回復するなら、もともと大した悩みではなかったのです。
感情にふり回されて、泣き叫んでのたうち回ったあげく、少しずつ心が癒されていく。
理屈はそのあとです。

傷ついたら、まずは心を「癒す」ことに集中する。
じっくりと時間をかけて、感情が治まるのを待つ。
落ち着いてきたら、今後どうしていくか「考える」。

× 理屈(ヘッド)→ 癒し(ハート)
○ 癒し(ハート)→ 理屈(ヘッド)

順番を間違えては、いつまでたっても傷ついたままです。
人間は「感情」の動物なのだから。

(2007/7/7)

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