<確率論が教えてくれること>
「何が才能なのか?」というコラムに、「できないことは才能だ」「何のとりえもないことも才能だ」ということを書きました。
それらは、「あなたにはこの人生でもっと他にやることがある」というメッセージかもしれない、という内容でした。
「では、苦手な教科は勉強しなくてもいいんですか?」
こんな反論が聞こえてきそうです。
このことについて、先日生徒たちに話した内容を書きます。
ある人がアメリカの一流大学で、管理職向けのMBA(経営学修士)のコースをとりました。
彼は4000時間以上を費やして、ビジネスの勝敗を左右する因果関係について学んだそうです。
その中で最も役に立ったものを1つだけ選ぶとすれば、それは「確率論」の考え方だといいます。
「どんな出来事も、一定の状況のもとで起こる可能性がある」
「可能性が高まれば、予測できる見込みが劇的に高まる」
「可能性を高めるためには、できることはすべてせよ」
どんな人にも、未知の(“無限の”とは言いません)可能性が眠っています。
どれかが少しずつ、またはある日突然開花する例はいくらでもあります。
その可能性を高めるためには、さまざまな「刺激」が必要となります。
私は最近、価値観がガラリと変わるような、インパクトのある文章を読みました。
長い間無意識に抑えてきた感情に気づかせてくれた、映画のワンシーンを見ました。
その時、この瞬間のために、今まで大量の本や映画を消化してきたように思えたのです。
若いうちにそんな体験ができる、幸運な人もいるかもしれません。
しかし多くの人は、年月をかけていろいろな経験(主に失敗)を重ねて、生きる目的に目覚めていくものです。
そのときは無駄に思えることでも、嫌いなものでも、あとで考えたら貴重な刺激だったということもよくあります。
学校で勉強する教科は、日本の教育の歴史を生き残ってきた、厳選された学習内容といえます。
誰にでも得意不得意は当然あるし、私自身、数学や理科は大の苦手でした。
学校の授業やテストになかったら、絶対にやらなかったはずです。
しかしそれも、確率論でいわれている「刺激」の1つであることは間違いありません。
勉強に限らず、スポーツや音楽、人生のあらゆる体験もすべて大切な「刺激」です。
人生の「刺激」に良いも悪いもありません。
しなくてもいいという判断も、人にはできません。
自分の人生の目的に沿って歩みを進めていれば、誰でも幸せを感じることができます。
そのプロセスで、常に学習して専門分野の知識と技能を高めていけば、さらに成功の確率は高まります。
年齢に関係なく、確率論は「可能性を高めるためには、できることはすべてせよ」ということを教えてくれます。
(2006/9/25)