<「英語に決めた!」瞬間>
英語を仕事にしようと決めた理由の一つに、「ハワイバス事件」がある。
大学時代、オーストラリアの一人旅を終えて、帰国する途中のことだった。
貧乏旅行だったので、トランジット(乗り継ぎ)が多い。
ハワイはその最後だった。
しばらく遊んだあと、日本に戻るためバスで空港へと向かった。
高速道路でもないのに、けっこう飛ばす。
そこに突然、一台の車が信号を無視して右側から突っ込んできた。
バスが横転するのではないか、というほどの急ブレーキとスピン。
ギリギリのところで大事故をまぬがれた。
腹が立った。
大怪我か、下手をすると死ぬところだったのだ。
窓を開けて、男をにらみつけた。
ところが、他の乗客のほとんどが、私とはまったく違う反応をした。
パチパチパチ…。
バスの中で拍手が起きた。
見ると、黒人の運転手が立ち上がり、帽子を取って笑顔で応えている。
乗客もさらに盛り上がって、ついにはスタンディングオベーション。
わけがわからなかった。
「なんでみんな喜んでるの?」
あきれたように聞く私に、隣に座っていたアメリカ人のおばあちゃんはニッコリ笑って、
「だって、あの運転手のドライビングテクニックのおかげで、みんな無事ですんだのよ。
あなたも、もっとハッピーな顔をすれば?」
頭をガーンと殴られたような気分だった。
そんな考え方があったのか。
不機嫌なのは、そこにいるただ一人の日本人の私だけだった。
陽気な外国人たちはみな、起こったことに関係なく、物事のいい面を喜んでいた。
トラブルが起きても、深刻にならなければいけないというルールなどなかったのだ。
それまでの私は、どちらかというと短所を指摘され、それを正すという教育を受けてきた。
実際に欠点だらけだったので、ほめられることはめったにない。
その結果、いつの間にか他人にもそれを求め、知らないうちに人や物事の悪い面に焦点を当てていたようだ。
当時、電車で出勤する無表情な大人たちを見て、「あんまり楽しそうじゃないな」と感じていた。
幸せな人生をイメージさせてくれる、憧れの対象となるような、愉快に生きている大人はめったにいない。
そうなると、若者は将来に希望が持ちにくくなる。
私が海外で出会った人たちは、みな笑顔で明るく、日々の生活を楽しんでいた。
安ホテルの窓ふきのおじさんは、毎朝口笛を吹きながら上機嫌で働いている。
カウボーイハットで洒落たおじいちゃんと、ピンクのビキニを着たおばあちゃんが、仲良く手をつないでビーチを歩く。
砂漠でバスのタイヤがパンクしたときも、みんなで陽気に歌いながら修理した。
大人は面白いぞ、おまえも早く大人になれよ。
そう言われているような気にさせられた。
そこに、今回の「ハワイバス事件」だ。
自分はこれから日本に戻る。
元の生活を続けるうちに、いつかきっとまたマイナス思考が顔を出すことだろう。
そんなとき、このバスの乗客たちのようなプラス発想があることを思い出したい。
日本にいながらも、こんな面白い連中ともつき合っていきたい。
そのためには、英語だ。
英語ができれば、日本的な考え方の壁も、あっさり乗り越えられる。
「こんな世界もあるよ」と教えてもらったり、逆に「日本人はこうだ」と堂々と主張できる。
英語を教えることによって、外国人と対等に渡り合える日本人を育成したい。
笑顔と拍手が飛び交うハワイのバスの中で、私は卒業後の進路を決めた。
(2006/9/25)