<日本人も捨てたもんじゃない>
NHKスペシャルで、「大地の子を育てて〜中日友好楼の日々」という番組がありました。
戦時中、中国に捨てられた日本人の子どもを引き取って育ててくれた、中国人養父母たちのドキュメンタリーです。
敵国の子どもを育てるというので、周りの人たちからの非難もたくさんあったそうです。
ただ「とてもかわいそうだったから」という理由だけで、子どもを守り抜いてくれたのです。
戦後60年が過ぎた現在、養父母たちは年老いて、「中日友好楼」というアパートのような建物で生活しています。
ここに住む養父母たちが育てた日本人の子どもは、中国残留孤児として日本に帰国しました。
いつか日本に呼び寄せると約束はしたものの、生活保護を受けている現状では、会いに戻ることも難しいのです。
若い頃、日本人兵に妊娠中のお腹を蹴られて流産した。
夫が日本人の捨て子を連れ帰って、その3日後に夫が日本兵に殺された。
そんな人たちが、「子どもがかわいそうだと思った」と、貧しい生活の中で立派に育て上げてくれたのです。
そんなおばあちゃんやおじいちゃんが、「ただ子どもに会いたいだけ、それだけが生きる望みなのに」と泣いている。
中日友好楼を寄付してくれた日本人が亡くなって以来、家賃や電気代が上がって取立てが厳しい。
生活はますます苦しく、年老いて病気の心配もある。
病気が悪化した養母に会いに、借金をして会いにいった元残留孤児の女性。
医療費がとても払えず、親戚に養母の世話をしてほしいと頭を下げる。
親戚たちも生活が苦しく、日本に帰った彼女に対する口調が激しくなる。
それを見つめながら、涙を流すおばあちゃん。
私は、もらい泣きしそうになりながら、だんだん憤りを感じてきました。
優しい気持ちで子どもを助けてくれたこの人たちが、どうして人生の終わり近くで泣かねばならないのか?
大きな恩を受けた日本人は、豊かな生活をしながら、どうしてこの人たちを援助しないのか?
私の父は戦時中に旧満州に移住し、戦後に命からがら引き上げてきました。
11歳の少年だった父が博多湾に戻ることがなかったら、今の私も存在しなかったわけです。
父も一歩間違えば残留孤児になっていたし、当時中国人から親切にしてもらったことも忘れられないそうです。
他人事ではないし、人が悲しい思いをしているのは黙って見ていられない、特にお年寄りと子どもについては。
面会の交通費くらいは寄付したいと思って、番組が終わってすぐインターネットで調べてみました。
すぐに、「中国残留孤児援護基金」というホームページが見つかりました。
今回見た番組は再放送だったのですが、前回の放送後に大反響があって、全国のたくさんの人たちから「寄付をしたい」と申し出があったそうです。
その結果、番組の中で出てきた養父母のみなさんに、必要なお金が手渡されました(記事)。
このニュースは本当に嬉しかった、まだまだ日本人も捨てたものではありませんね。
「大地の子」という小説を書いた作家の山崎豊子さんは、印税の全額を寄付したそうです。
「中日友好楼」も、もともとは日本人が寄付した建物です。
悲しい現実を目にして、少しでも役に立ちたいという人がたくさん出てきました。
番組の中では悲しそうに泣いていた、養父母の老人たち。
しかしその後、日本全国の心温まる援助を受け取ることになりました。
やはり、「与えたものは返ってくる」原則通りなのですね、安心しました。
(2006/2/6)