<親子とロバの話>

ある親子がロバを引いて、家路に向かっていた。
すると村人から、「なんと無駄なことをしているのだ」と言われた。
そこで、父親がロバに乗って行くことにした。

しばらく行くと、別の村人が言った。
「自分は楽をして、幼い子どもにロバを引かせるなんて、ひどい父親だ」
恥ずかしくなった父親はロバから降りて、息子を乗せてロバを引きはじめた。

またしばらくして、すれ違う人が言った。
「父親にロバを引かせて自分は背に乗るなんて、礼儀知らずの子どもだな」
たしかにそうかもしれないと、息子はロバを降りて、二人で知恵を絞った。

「そうだ、二人でいっしょに乗ればいいんだ」
こうして親子は、仲良くロバに乗って進んだ。
すると村人たちが集まってきて、「おまえたち、ロバがかわいそうじゃないか」と騒ぎはじめた。

親子はどうしていいかわからなくなって、とうとうロバを二人でかついで歩くことにした。
途中、ロバの重さで二人とも疲れ果てて、とうとう倒れてしまった。
親子は大けがをして、ロバは死んでしまった。

*****

もう亡くなってしまいましたが、私が文を書くきっかけを与えてくれた先生から、かつてこの話を聞きました。
中国の寓話だそうです。
この話に教訓があるとすると、それは何だと思いますか?

よく言われるのが、自分の行動の基準をしっかりと持っておくこと。
また、人生の目的や目標を明確に持っておくことです。
そうすれば、人からあれこれ言われても、右往左往することはありません。

この場合であれば、親子は何をいちばん重んじていたのでしょうか。
ロバを家畜として使うことか、ペットとして大切に扱うのか。
親を敬うことか、子をいたわるのか。

だからみなさん、自分の行動基準や目的をはっきりさせておきましょう。
…そう結論づけてもいいのですが、私はちょっとアマノジャクなのです。
それに、40を過ぎて考え方が少し変わってきました。

私は最初に話を聞いたとき、この親子の一貫性のなさを笑っていました。
自分の価値観を確立して、他人に影響されない強い人間であろうと思いました。
しかしそうすればするほど、その価値観に合わない人や出来事にイライラするようになったのです。

決して譲らないこだわりを持つよりも、受け入れることを学んだほうがいいのではないか?
こだわりのスタイルを確立したと思ったら、今度はそれを手放したくなりました。
するとおもしろいことに、ずっと楽に楽しく生きられるようになりました。

久しぶりにこの親子とロバの話を読んだら、人間味あふれる二人に親しみがわいてきました。
人生で「絶対に譲れない」という1つや2つのこと意外は、こんなもんでいいんじゃないでしょうか。
いちいち他人の言うことなすことに不平不満をもらす人は、あまり幸せそうには見えません。

「それも、そうだよね」などと言いながら、人から言われたことをいったんは受け入れてやってみる。
いい・悪い、正しい・間違いを評価せず、柔軟にいろいろな体験ができるのもまたよし、だと思います。
少なくともこの親子は、理屈ばかり言わないで行動に移してみたわけですから。

私もまた、過去にはロバをかつぐようなミスをして、大けがをしたりもしました。
でも今となってみれば、それでよかったです。
バラエティに富んだ人生も、彩りがあっていいではないですか。

ひょっとするとこの話を作った人は、「正解は1つだけではない」と言いたかったのかもしれません。
学校の試験の答えは1つしかありませんが、人生の答えはさまざまです。
もし正解があるとすれば、それは「正解はない」という答えなのでしょう。

(天国の時任先生、あなたはどう考えていたのですか?)

(2006/1/4)

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