<欠けていることの価値>

インドの水くみの男は、2つの壷を持っていた。
1つは完璧な壷で、もう1つはひびが入った壷だ。

男は、天秤棒の端にそれぞれの壷を下げて、小川から主人の家に毎日水を運んでいた。
完璧な壷は、1滴の水もこぼさない。
ところがひびのある壷のほうは、男が水をいっぱいに入れても、主人の家に着くまでに少しずつもれて半分になってしまう。

完璧な壷は、自分のことを誇りに思っていた。
ひび割れた壷は、いつも中途半端な自分のことを恥じていた。

ある日、ひび割れた壷は、小川のほとりで水をくんでいる男に話しかけた。
「私は自分が恥ずかしいし、あなたにすまないと思っている。あなたがいくら頑張って水を運んでも、私のひびからもれて、あなたの努力が無駄になってしまう」

男は、やさしい笑顔で言った。
「水を運ぶとき、道端に咲いているたくさんの花に気がついていたたかい?君が毎日のように水を与えてくれるから、あの花たちは美しく咲くことができたんだよ」

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自分が欠点だと思い込んでいることが、知らないところである人を助けていることがあります。
逆に、自分が長所だと信じていることが、意外なころで人を傷つけていることも。
ものごとには良い悪いはなく、ただそれぞれの個性があるだけです。

アメリカのインディアンは、装飾の彫り物ができ上がったときに完成度が高すぎると、故意に小さな傷をつけるそうです。
完全な物は、神以外にはありえないというのが理由のようです。
考えてみれば、「完全」には「不完全さ」が欠けていますね。

話が下手な人は、話を聞いてほしい人を救うかもしれない。
人と接するのが苦手な人は、職人のようにすばらしい作品を作るのもいい。
傷ついた人は、人の心の痛みがわかる人になれる。

生かせば「個性」、生かさねば「欠点」。

でも本当のことを言えば、あなたは何もしなくてもいいのです。
何も持っていなくても、何もできなくても、ただそこにいてくれるだけで十分なのです。

家族や友だちとの写真の中から、あなただけが消えたものを想像してみてください。
どこかバランスが崩れて、不自然な写真になってしまいます。
あなたの最大の価値は、「そこに存在していること」なのです。

(2005/10/30)

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