<「良い悪い」はない>
昔、一人の貧しい男が、とてもいい馬を育てた。
その国の王様が、お金はいくらでも出すから、ぜひその馬を売ってほしいと申し出た。
男は、「この馬は、自分の家族みたいなものですから」と断った。
隣人は、「せっかく金持ちになれるチャンスだったのに、バカなことを」と責めた。
男は、「これが良いことか悪いことか、まだわからない」と答えた。
ある日、その馬が逃げ出してしまった。
隣人は、「それみたことか。金も手に入らず、馬まで失ってしまった」と笑った。
男は、「これが良いことか悪いことか、まだわからない」と答えた。
しばらくたって、男の馬は、子馬を連れて戻ってきた。
隣人は、「おまえは幸運な男だ。こんなにいい馬が増えて」とうらやましがった。
男は、「これが良いことか悪いことか、まだわからない」と答えた。
男の息子が、子馬に乗って遊んでいたら、落馬して足を折ってしまった。
隣人は、「かわいそうに。子馬のために、大怪我をしてしまった」とあわれんだ。
男は、「これが良いことか悪いことか、まだわからない」と答えた。
あるとき、その国に戦争が起こった。
隣人の息子は、兵隊として戦争にかり出され、死んでしまった。
男の息子は、落馬して足が不自由だったので、戦争には行かなかった。
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人生は、ドミノ倒しのようなものです。
1つのことがきっかけで、また別のことが起きる、この連続を体験していきます。
そして、それぞれのドミノには、「良い、悪い」「大きい、小さい」はないようです。
そのときには「最悪の出来事」に見えても、実はのちの大幸運につながる、大切な体験なのかもしれない。
そのときには「最高の出来事」に思えても、実は結果的にみて、まったく逆のきっかけだったかもしれない。
その時点では、人はいかなる出来事にも、○か×の判定を下すことはできないのです。
道を歩いていて、1円玉を拾った。
その何でもない数秒間が、その後のさまざまな出合いのタイミングを、すべて変えてしまいます。
1円の意味するものは、1万円より小さいということではないのです。
そう考えると、目の前に起きてくるすべての出来事には、大小にかかわらず、すべて意味があるということになります。
目の前にいる人は、好き嫌いにかかわらず、自分の人生に何かの影響を与えるということです。
「良い、悪い」「大きい、小さい」は死ぬまでわからないのだから、いちいち一喜一憂する必要はありません。
では、大きな流れの中にある私たちが、次々と起こる出来事や人々にとるべき態度は何か。
それは、自分の前に現れたものひとつひとつに対して、淡々と、誠実に対処していくということ。
与えられたものに対してあれこれ批評せず、感謝の気持ちで、心静かに引き受けることではないでしょうか。
(2004/9/20)