<比べない生き方>
フィリピンのセブ島沖にある、カオハガンという周囲2キロの小さな島で、しばらく過ごしました。
日本人の崎山さんが15年ほど前に退職金で購入し、美しい自然環境を守りながら、前から住んでいた人々と静かに暮らしています。
まだ経済社会に巻き込まれていない、自給自足に近い平和な島です。
朝早く、大人や若者たちは、その日に必要なだけの魚介類を海からとってきます。
浜辺を散歩していると、子どもたちが海で楽しそうに遊んでいるのを見かけました。
みんなとても人なつっこく、やさしい目をしています。
彼らの家の多くは、日本では小屋と呼びそうになるような、きわめて質素なものです。
中に入れてもらいましたが、モノはほとんどありません。
でも、とても安らかで幸せそうなのです。
カオハガンに滞在中、船でセブ島に遊びに行きました。
セブはマニラに次いで、フィリピン2番目の都市です。
観光地よりも、橋の下のスラム街や、下町の貧しい地域を見てきました。
セブの子どもたちは、カオハガンと比べて、キツイ目つきをしていることに気がつきました。
あれこれ売りつけてくる大人たちも、どこか殺伐としていて、あまり幸せそうには見えません。
彼らの持っている家やモノは、カオハガンの人々とそう変わりはないのですが…。
同じような生活レベルなのに、なぜこんなに雰囲気が違うのだろう、と考えてみました。
カオハガンには海しかありませんが、セブには都心や観光地のリッチな生活があります。
ひょっとすると、自分たちの貧しさを実感させられるような、比較の対象があるからかもしれません。
では、彼らがうらやましがる裕福な人々は、本当に幸せなのでしょうか。
ビジネスで成功してお金を稼ぎ、いわゆる「勝ち組」に入っているので、プライドや満足感は持っている。
日々忙しく仕事をして、さらに上をめざして目標を達成する充実感もあるでしょう。
しかし、一見何の不満もなさそうな彼らにもまた、逃れられない比較の対象があるのです。
自分たちよりも、さらに多くのカネやモノを持っている人たちです。
そのギャップにいつも欲求不満を感じながら、毎日競い合う生活を続けているのが実情のようです。
帰国してサラリーマン生活に戻ると、ストレスをためながらあくせく働く人や、組織の中で出世しようと必死な人、金持ちになる成功法則に夢中な人が目につきます。
いずれも、他人と競って比べる生き方のように思えます。
カオハガンで見た幸せそうな人々の笑顔を思い出すと、何かが違うような気がします。
私も30代までは、目標に向けてがむしゃらに頑張るタイプで、それなりの結果も残してきました。
それが間違っていたとは言いませんが、達成感や充実感はあっても、心の中はいつも焦っていて、しみじみと小さな幸せを感じる余裕などありませんでした。
比べる社会である日本にいても、カオハガン島で知った「比べない生き方」は、今後の人生の大きな財産だと思っています。
(2004/6/13)