<嫌な相手に力を与えない>
ある人が、尊敬する老僧のお供をして法要に出かけたときのこと。
老僧は誰に対しても丁寧な言葉づかいをする人だったが、その日に会った人た
ちの態度は、非常に失礼なものだった。
お供の人のほうがムカムカしているのに、老僧はそんな相手に対しても、普段
と変わらず穏やかに接している。
帰り道で、我慢できなくなって「なぜあんな不愉快な人たちに、丁寧にお話を
なさるのですか?」と尋ねた。
「それはね、私がどう生きるのかを、あの人たちに決めさせたくはないからで すよ」
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最近、人前で怒鳴りつけられるという場面がありました。
ある人の講演で聞いた、「決して頭にこないコツ」を試すちょうどいい機会だと思って、やってみました。
けっこう効果があったので、ここでシェアします。
方法は簡単。
意識を、頭ではなく下腹に置く。
これだけです。
「頭にくる」というのは、意識が頭に上がってカーッとなっていること。
相手の非難中傷を胸で受けるのも、グサッとくるのでよくありません。
武道でいう丹田(ヘソの下)、いわゆる胆(ハラ)に意識を下ろすと、頭も胸も涼しいままです。
一度この状態に入ると、相手が興奮すればするほど、こちらは冷静になっていきます。
真っ赤な顔で口泡を飛ばしている相手を、また違った角度から眺めることができるようにもなります。
何かイヤなことでもあったのか、自分の思い通りにいかずに不満が爆発しているようだ。
自分の思いを伝えるのに、こんな極端な表現の仕方もあるのか。
満たされて幸せな人は他人を責め立てたりしないから、きっと寂しい人なのだ。
もちろん、こちらも言い返して口喧嘩になる、というパターンもありでしょう。
感情を出すのも、必ずしも悪いこととは限りません。
この方法は、つまらないことでエネルギーを消耗したくないときのために、ひとつの対処法として覚えておけばいいと思います。
他人から攻撃されたとき、必要以上に落ち込んだり、いつまでも怒り続けている人がいます。
人をつかまえては「ちょっと聞いてよ!」と、もう終わったことをわざわざ何度も思い返して、ますます自分を傷つけます。
嫌いな相手の存在に、わざわざ大きな力を与え、自分で自分の首をしめているのです。
このあたり、見習いたいのは子どもや飼い犬ですね。
子どもは、ストレートに怒ったり泣いたりしますが、すぐに忘れて遊びはじめます。
うちの犬も、厳しく叱りつけた翌日でも、帰宅するとシッポを振りながら跳び上がって迎えてくれます。
「忘れるのも才能」とは、うなずける話です。
さて、自分を侮辱した相手を許せるのかどうか?
私は、ほとんどの場合は水に流します。
仕返しをしたり恨んだりするときに感じる、自分のねじ曲がった陰湿な気持ちが、許すことに使うエネルギーを上回るというのが理由です。
若い頃にたくさんの衝突をくり返してきたので、今はそっちのほうが楽なのです。
それに、放っておいても、見苦しいマネをした相手のことは、周りがよくは言わないでしょう。
「投げかけたものが、自分に返ってくる」
これはどうもある種の法則らしく、他人を裁く者は、結局は自分が裁かれるようになっているみたいです。
冒頭の話も、一見穏やかな老僧の「他人の態度で自分が左右されるものか」という強い意志を感じて、好きな話の1つです。
石ころにつまずいたくらいで、いちいち大げさに騒がないほうがいいと思います。
(2004/2/20)