<男!安田忠夫>

新年が明けたが、さっきまでテレビで「K−1vs猪木軍」を見ていた。
各試合のレポートは後日。
今はメインを飾ったプロレスラー、安田忠夫のことが書きたい。

感動した。
涙が出た。
21世紀最初の大晦日、本当にいいドラマを見せてもらった。
おれもやるぞ!という気持ちで新しい年を迎えることができた。

元大相撲の小結だった安田は、すでに38歳。
異種格闘技戦に打って出て以来、体だけは大きいが動きが鈍くて技もなく、負けか膠着のイメージしかなかった。
今回も明らかな噛ませ犬と見られていた。
どう考えてもK−1最強のハードパンチャー、ジェロム・レ・バンナに勝てる見込みなどない。

ところが、安田にはどうしても勝ちたい理由があった。
離れて暮らす娘に自分の勝った姿を見せてやりたい、ということだ。
かつて安田はギャンブルに狂って借金を重ね、妻に愛想をつかされて離婚になったのだ。

試合前のインタビューで。
「父親らしいことは何もしていない。 だから一度くらいしてみたい」
同じ境遇にいる父親としてわかる、その気持ち!

それに対する、中学生になった娘のコメントは現実的だ。
「いつもいなかったから、今でもそれが普通で寂しくなんかない。 お父さんのことはあんまり好きじゃなかった」

安田は6年ぶりに娘と再会する。
「焼肉食べないか? ステーキは?」
「いらない。 おなかすいてない」
「じゃあ、マックとかは?」
「うーん、別にいいけど」
どこまでも不器用な父親。
いっしょに住んでいないと、女の子の気持ちなんてわからなくなってしまうのだ。

なかなか用件を言い出せなかったが、最後にようやく娘に試合のチケットを渡す。
「必ず勝つから、当日会場に見に来てくれないか。 2枚あるから、誰かといっしょでもいいから」
チケットが2枚。
番組では言わなかったが、本当は自分の立ち直った姿を別れた奥さんにも見せたかったのだと思う。

なんと、安田は今夜初めてメイン・イベンターになった。
事情を知って無謀ともいえる大抜擢をした、師匠であるアントニオ猪木のコメントがいい。
「あいつは、相撲では一度も結びの一番を取ったことがないんだ。 だから今年の大晦日には夢を見せてやりたい」

それに対する安田のひとこと。
「おれは今まで、みんなのオマケだった。 でも今夜は結びの一番をくれた猪木さんのためにも、最高のオマケになってみせる」

試合直前の選手控室に、娘が訪ねてくる。
安田のうれしそうな表情が、やがて気合の入った顔に変わる。
控室を出る安田がレポーターに残した言葉を聞いて、涙をこらえきれなかった。
「娘を取り戻してきます」

実況アナウンサーの古館伊知郎がすかさず、
「娘を自分の心の中に取り戻す。 父親として娘の心を取り戻す。 そう言って安田はリングに向かいました!」
とコメントした。
さすが、古館さんはよくわかっている。

試合の結果はなんと、奇跡的に安田がギロチン・チョークでバンナからタップを奪ったのだ。
こんなことが現実に起きていいのか。
ぼくは打撃系格闘家だから、K−1を応援していた。
だが今夜だけは、どんなに泥臭くてもいいから安田に勝ってほしかった。

リングサイドで観戦していた気の強そうな娘は一瞬涙を見せたが、それ以上に目の前で起きている現実に呆然としている様子だった。
リングに上げられると、父親から肩車をされる。
安田は愛する娘といっしょに、コーナーロープに上って勝ち名乗りをあげる。
何万人もの観客からの大歓声。
人生最良の日ではなかったろうか。

ありがとう、安田忠夫!
おれも全国のダメな男たちも、将来に希望が持てたよ。
男は、一度や二度の失敗で人生を投げるわけにはいかないんだ。

(2002/1/1)

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<今年の目標>

去年の日記を見ると、目標はズバリ外見、つまりファッションをなんとかするということだった。
ところが1年間アドバイザーをしてくれるはずだった人から見捨てられて(笑)、結局今でもユニクロスタイルのまま。
今年は他人をアテにせず、苦手な買い物にも出かけて自分で服や靴を選ぼうと思う。

くだらないことだが、記録にチャレンジしたいことが一つ。
「本を何日間買わずにいられるか?」
これはマジでやってみようと思うので、経過をレポートしていくつもりだ。
現在の記録は2日。

年末に本を整理しながら、今さらながら膨大な本とビデオの量(数なんてもんじゃない)に驚きつつウンザリしてしまった。
離婚したときにBOOK OFFに何百冊か売りとばしたのだが、それから数年でその倍くらいに増えている。
おれはバカか?と本当に思った。

大きな目標としては、8月に宮崎で予定されているITFテコンドーの九州大会を成功させること。
これは九州初の記念すべき大会で、今まで全国の師範や指導員の方々に支えられながら、T指導員と2人で道場を運営し、九州内に仲間を増やしてきた総決算なのだ。

ぼくたちには、コネも金も何もない。
少しカッコイイ言い方をすれば、一生をかけて修業する価値があると信じた武道への情熱だけでここまでやってきた。
いちばん大切な財産は、志を同じくする「人」だけだ。

いかなる形でもかまいません。
読者の方々の温かいご協力を、どうぞよろしくお願いします。

(2002/1/2)

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<アントニオ猪木パフォーマンス>

「元気ですかーッ!」
「元気があれば、何でもできる」

猪木の一言一言に、いちいち1万人を越す会場のファンたちが歓声を上げる。
今の日本に、登場するだけでこれだけ若者を熱狂させることのできるオジサンがいるだろうか。

ぼくはショーとしての「プロレス」には何の興味もなかったのだが、猪木の全盛期にやった異種格闘技戦は好きだった。
特にボクシングのヘビー級世界チャンピオンだったモハメッド・アリと、極真空手の“クマ殺し”ウイリー・ウイリアムスとの殺気立った対戦には(内幕はどうであれ)興奮させられた。

猪木には、常にピンチとスキャンダルがつきまとっていた。
女優の賠償美津子とは離婚、幼い娘と会えないままの死別。
「とんだ茶番劇」とNHKの磯村に酷評されたアリ戦で莫大な借金を背負ったり、新日本プロレスではクーデターで社長の座を追われる、レスラーに大量離脱されて潰れる寸前になる、国会議員のときは女性秘書に悪事を暴露され、マスコミに激しくバッシングを受けるなどなど。

猪木はそのようなネガティブな事件をすべてバネにして、パワーに変えていった。
ブラジル移民時代に培った生き抜くためのしぶとさなのか、逆境に強く、追いつめられるほど燃えるタイプの人間なのだ。
夢のような事業に手を出しては大失敗、信じていた人に裏切られて数十億の借金を背負ったときでも、「どうってことねえや!」と居直る。
猪木の「どうってことねえや!」は、今ではぼくの座右の銘だ。

猪木の不思議なところは、かつて自分を裏切った人間たちを、いとも簡単に許して受け入れてしまうところだ。
こだわりがないというか、今を生きるというか、忘れっぽいというか、無節操というか。
団体の枠や勝ち負けなんて、小さなことにはこだわらない。
つまらんシガラミはどうでもいいから、とにかく格闘技界をおもしろくしようや、という器の大きさというか、素敵ないいかげんさの持ち主だ。

プロレス界を引退し、50歳を過ぎてフリーになった猪木は、さすがにもう終わったと思われていた。
ところが、元柔道世界チャンピオンの小川直也と、ガチンコに強いプロレスラーの藤田和之を従え、総合格闘技イベントのPRIDEのプロデューサーとして見事な返り咲き。

まったくギリギリの綱渡り人生。
そして、カムバックと大逆転の連続。
格闘技界の誰が、今回の「K−1 vs 猪木軍」の実現など予測できた?
まったくハチャメチャな発想だ。
退屈な日常にフェイントをかけながらリアリティのあるフィクションを演じ続ける、真の「プロレスラー」なのだ。

先日福岡で開催されたPRIDE18で、初めてアントニオ猪木を目の前で見て握手をした。
デカいなあ、というのが印象だった。
体も顔も手もとにかくデカい、同じ日本人としてスケールが違う。
試合内容なんてどうでもいい。
リングサイド席で猪木とナマ「1・2・3・ダーッ!」をやれただけで最高だ。

というわけで、今回おまけでやった意味不明なプロレスのパフォーマンスは「?」だったが、アントニオ猪木だから許せる。
アントニオ猪木なら、何をやってもオーケーなのだ。
これでいいのだ!

(2002/1/12)

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<不可思議!?>

ぼくは基本的に、超現象の類は信じない。
怪しげな新興宗教の教祖や、うさん臭い霊能力者はギャグとしか思っておらず、超能力などもすべて手品と判断している。
催眠術にもかかったためしがない。

霊感商法はすべて見破ってきたし、言葉巧みな高額訪問販売はもちろん、友人に嘘をついて呼び出し、モノを売りつけようとする輩は厳しく非難してきた。
そんなものにひっかかるヤツはバカだと思っている。

ところが昨年末から正月にかけて、ちょっと不思議なものに出合ってしまった。
事の始まりは「水」だ。

NHKの「ためしてガッテン」や専門の医師が書いた本などで、水を飲む健康法にかなりの効果があると確信した。
父もけっこう「水おたく」で、よく名水百選のひとつである「綾の湧水」やマイナスイオン水を汲んでくる。
ぼくは主にフランスの軟水である「Volvic(ボルビック)」を買って飲んでいた。

昨年末に職場の先輩の家でごちそうになったとき、奥さんからえらく美味しい水を飲ませてもらった。
韓国の明于植という理学博士が開発した「明力」という浄活水器を通した水で、クラスター(分子集団)を小さくし、生命波動エネルギーが含まれているという。
要するに、ぼくの好みでない種類の話だった。

自宅のカルキ臭い水にはまいっていたし、いい浄水器であることは認めるので買ってもいい、程度のことを伝えた。
しかし、その商品の代理店をしている先輩の奥さんは、売れればいいはずなのに「美味しさが売りではない」と主張する。
疑うなら証明してみせましょうと、そのパワー?が入っているという金色のビニールシートを出してきた。

彼女はぼくの目の前で、1個のレモンを輪切りにした。
その半分を「明力シート」に乗せ、残りはそのままでわずか5分間。
何の暗示もかけられずに、ただ両方食べてみるように言われた。

驚いた。
味が「ぜんぜん」違うのだ。
シートの上のレモンは甘く、グレープフルーツのようにいくらでも食べられる。
ところが、そのままのほうは酸っぱくて顔をしかめた。

これは「明力」が農薬などの有害物質を除去し、本来の自然な味に戻したたからだという。
そんなバカな!?
しかし、味が急変したのは否定しようのない事実なだった。

ぼくが購入した「明力」の浄活水器(浄水器ではないと念を押された)にも同じパワーがあり、その水に果物や野菜、肉などをつけておくと、まったく同じ効果が得られるという。
それはありがたいことだが、短時間で味が変化したということは、明らかに何らかの物理的現象が起きたということだ。

彼女は、「半信半疑の人たちに、いくらでも体験させてあげてください」と、そのシートをぼくの家に置いて帰った。
タネも仕掛けもない、自信満々ということだ。
これでは絶対に反論できないではないか。

今日から最高の水が飲めるようになったことはうれしい。
しかし、謎はなお残ったままだ。
こんなことってあるのだろうか。

(2002/1/12)

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<戦って散った男たち(2) >

以前書いた、昨年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロの機内で、乗客の何人かがテロリストたちに素手で立ち向かったという実話の続編。

先頭を切ったのは、ジェレミー・グリッグさん(31)という柔道の元全米学生チャンピオンだった。
やはり武道の心得があったのだ。
彼といっしょに戦った男たちの中には、フットボールの選手もいたという。
すでに日本の武道関係の月刊誌でも、その勇気あるストーリーが紹介されている。
彼の柔道の師である小笠原ながやす氏は、「ジェレミーは刃物を恐れるような男ではない」とコメントしている。

奥さんには最後にこう伝えた。
「これから操縦室に突入する。娘のことを頼む。お前もよい人生を送ってくれ。これまで本当にありがとう」
娘さんは生後3ヵ月だった。
別れを告げた携帯電話は切らなかったので、テロリストと格闘になった様子も聞こえたそうだ。

新聞記事によると、機内電話が開放されており、管制塔には現場の様子が一部始終聞こえていたらしい。
操縦室にあるボイスレコーダーには、英語とアラビア語で言い争う声が入っていた。
そのあとはわからないが、グリッグさんらがテロリストたちの目的を阻んだことは事実だ。
民主党幹部のジョン・マ−サー氏は、防衛費支出委員会の席で次のように発言している。
「格闘があったことは確実であり、勇敢にも機の行く先をワシントンから避けた」

米国のミサイルで撃墜されたという説もあるが、パイロットが殺害されたために誰も飛行機の操縦ができず、残念ながら墜落したという可能性も高い。
信じられない話だが、後日流出したビデオでビンラディンが笑いながら語っていたように、機内のテロリストたちは宗教上の戒律を信じて行動しただけで、直前までその目的を知らされていなかったという。
それなら、武道の心得のある男たちが彼らを制圧することは不可能ではなかっただろう。

さらにすごいのは、機内から携帯電話で「ぼくは何をすべきか」と聞いてきた夫に「あなたは戦うべきよ」と答えた妻だ。
「さあ、みんなやろうぜ!(Let's roll!)」が、妻が聞いた最後の声だったという。
これがアメリカ人の正義感からくる強さなのだろう。

彼女は事件後の10月、93便から81便と名を改めた同じ路線の飛行機に乗って、「テロの恐怖には決して屈しない」と全世界にアピールした。
そして、夫との子どもを今月の9日に無事出産したことが、スポーツ新聞で報道された。
53センチ3175グラムの女の子だった。

「あなたのお父さんはヒーローだったのよ」
彼女はそう赤ちゃんに話しかけたそうだ。

(2002/1/16)

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<キャバクラに学ぶ>

喫茶店で写真週刊誌を見ていたら、おもしろい記事が載っていた。
「ついに入手!キャバクラの“マル秘”接客マニュアル」
キャバクラには行ったことが(ホントに)ないが、要するに横に若い女の子を横に座らせて楽しく飲む店だろう。
そのキャバクラ嬢たちのために、店側が渡しているルール集のコピーが掲載されていた。

「常にお客さんの体の一部に軽く触れておくこと」
「携帯番号を聞いたら、翌日までに必ず一度は電話をいれておくこと」
「彼氏のことを聞かれたら、嘘でも最近別れたばかりと答えること」
など、ナルホド男性客の気持ちを引き止めておき、次からも指名してもらえそうなコツが細かく書かれている。
下手な道徳の時間よりも教育的で役に立つ教えもけっこうあって、感心した。

その中で、特に印象に残ったのが最後の言葉だ。
「今の給料が異常に高いということを、常に意識しておきなさい。その収入が絶たれたときにあなたはどうあるべきか、真剣に考えておきましょう」
なるほどなあ。

これを読んで、学生時代を思い出した。
4年間、家賃たった1万円のボロアパートに住んでいたのだ。
トイレはくみ取り式で共同(汚かった〜)、風呂がないので銭湯に行くか、夏場は洗濯場で水をかぶっていた。
自炊して飲食費を付き3万円以内に抑えたので、ひと月合計5万円以内で生活していたことになる。

即席ラーメンやお湯で温める100円のミートボールの食事で、十分に満足していた。
ほっかほっか亭のからあげ弁当を食べたとき、これ以上のごちそうはないと感激したこともある。
どんなにお金がなくても珈琲だけはぜいたくに飲んでいたので、それで納得していたのだ。

大学を卒業して、4畳で家賃7000円!のアパートに移った。
就職浪人中だったので、あいかわらずアルバイトだけの貧乏生活が続いた。
貯金はほとんどゼロ。
それでも、将来の生活にビクビクすることなどなかった。

今のぼくは、あの頃を思えばはるかにリッチな生活をしている。
それでも、あの頃と比べて幸せかと問われれば、なぜかすぐには答えられない。
若かったからなのか?
それなら、あの頃より少ない人生の残り時間だけを心配すればいいのだから、相殺されるという考え方だってできる(ムチャかな)。

最近の不景気でリストラが厳しく、職を失ったり給料やボーナスが下がっている人も多い。
しかし、お金が幸せの絶対条件とは思いたくない。
たくさんあるに越したことはないが、まさか飢え死にすることはないのだから、こんな時代だからこそ「自分にとって本当の幸せ」を追求してみたい。
お金のことばかり気にしていると、きっとある程度の貯金ができても、まだ不満や不安が続くにちがいない。

ぼくは、あの「即席ラーメンで満足していた時代」のことを、くり返し思い出すことにしよう。
いつでもあの生活に戻る覚悟はできているぞ、という気持ちで仕事をしていたい。

人間、生まれてくるときも裸、死ぬときも裸。
もともと何も持っていなかったし、何も持っていけない。
なんて悟ったりして。

(2002/1/21)

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<一億総幼児化?>

英語教育の出張で、ぼくが新卒のときの先輩であるT先生に久しぶりに会った。
十数年たっても外見がほとんど変わっていなかったが(こっちも同じことを言われた)、今年で50歳になるという。
ということは、ぼくが23歳で赴任したときに、まだ30代前半だったということになる。

しかしあの頃のT先生は、もうかなりのベテランという感じで、何の迷いもなく仕事をしているように見えた。
それに比べて、当時のT先生より年上であるはずの今の自分はどうだろうか?
ちょっと情けなくなってくる。

ずっと以前から感じていたことなのだが、どうもぼくたちは上の世代より、同じ歳でも大人になりきれていないように思う。
年下の視点で彼らを見ていたからだろうか?
大学時代のバンドの先輩たちや、極端なことを言うとボーイスカウトをしていた小学生の頃の6年生のリーダーのほうが、よほどしっかりしていて大人だったような感じがする。
今思えば、いずれもヒヨッコにすぎない年齢だったのだが。

自分が二十歳になったときも三十路になったときも、あれ、この年齢ってこんなに頼りない状態だったの?と感じたのを覚えている。
もっと若い頃にはずいぶん大人に見えていたはずが、自分がその歳になってみると、外見はともかく精神年齢はほとんど成長しないまま。
だからなのか、「気持ちだけは若いよ!」などと言う年配の人を見ると、無理しているのが感じられて気恥ずかしくなってしまう。

このように感じるのは錯覚かもしれないが、今の高校生たちを見ていると、そうでもないように思えてくる。
こんな頼りないおれたちでさえ、君たちくらいの頃はある程度のことを考え、それなりの行動をしていたよ、と。
親や教師たちをはじめ、大人はまだまだこわかったし。

最近の親の多くは子どもを甘やかしすぎて、まるでお友だちのような存在。
昔はちょっと風邪をひいたくらいでは学校を休ませてもらえなかったし、教師に厳しく叱られても、学校に怒鳴り込んだりしなかった。
自分が悪くて怒られたのに、恥ずかしくて親になんか言えなかったが、今の子は違う。

ひょっとして、日本国民一億総幼児化してるのか!?

(2002/1/25)

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<楽しみを先送りするな!>

今年の目標の一つが、「本を買わない」こと。
引っ越しで自分の蔵書の多さ(軽く千冊を越える)にうんざりしたのが原因だ。
週2〜3回は書店に顔を出し、行くたびに必ず買っていたぼくが、今年になってまだ1册も買っていない。

というわけで、今日も集中して立ち読みしてきた本が、格闘技関係雑誌はもちろんだが、大前研一さんの「やりたいことは全部やれ!」。
なかなかおもしろかったので、約30分で一気に読んだ。

「他人のためではない、自分の人生を送れ」
「楽しみを先送りにするな」
「忙しくていい、休むのは天国に行ってからでもいい」

言っていることはごくあたりまえのことだが、彼はそれを「徹底して」実行しているのがすごい。
仕事はバリバリやって、見出しにもあるように「死ぬほど遊ぶ」のだ。
死に場所の候補地など、ユニークな発想がいっぱいだ。

最後のページで目からウロコが落ちたのが、学校の英語の授業でもよく出てくることわざの、大前流の日本語訳。

Don't put off till tomorrow what you can do today.
(今やりたいことを先に延ばすな!)

これは普通、「今日できることを明日に延ばすな」と訳して、「やるべきことはさっさとすませてしまいなさい」的なニュアンスでぼくも生徒たちに教えてきた。
でも、上のポジティブな考え方のほうがずっといい。
過去の生徒たちよ、スマン。

「好きなものから食べるか、それとも嫌いなものから食べて好きなものを最後にとっておくか?」
以前ぼくは後者だったが、ある本に「野生動物は例外なく好きなものから食べる。いつ敵に襲われるかわからないから、本能としては好きなものから食べるのが正解」と書いてあるのを読んで以来、順番を反対に変えた。

大前さんも、「老後の楽しみに」「そのうちに」という考えが決して実現されないと断言し、その理由も本の中で細かく述べていた。
森真一の「襟裳岬」という歌にもある。
「わけのわからないことで悩んでいるうちに老いぼれてしまうから…」

(2002/1/27)

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<「自己焙煎珈琲」始めました>

珈琲を自家焙煎で出しているお気に入りの喫茶店で、ちょっと高価だがいい焙煎機を見つけて、瞬間悩んだ末に思い切って買ってきた。
まだ緑がかった珈琲の生豆を入れて、自分の好みでローストするというものだ。
これは珈琲好きなら一度はやってみたいこだわりだろう。

家に帰ると、さっそく箱から取り出して電源につなぐ。
サービスでもらってきたブルーマウンテンの生豆を80グラム入れ、焙煎すること約20分。
下から熱風が吹き上がり、すべての豆がうまく循環しているのが見える。
緑色だった生豆がだんだんと見慣れたこげ茶色の珈琲豆に変わっていくのは、ちょっとした感動だ。

味はと続けたいところだが、「焙煎が終わって8時間以上、48時間以内に飲むのが正しい」というマスターの言葉に従って、この原稿を書いている時点ではまだおあずけ状態。
部屋の中は、自家焙煎珈琲の喫茶店っぽい香りが充満していてハッピーだ。
マスターからは、翌日飲む分だけ前の夜に焙煎するスタイルを薦められた。

珈琲の生豆は、店頭で販売している値段の4割引で手に入る。
ローストしたものと比べて、数ヶ月以上は保存がきくということだ。
生豆を売ってくれる店は宮崎には少ないので、今後はこの喫茶店で買っていこうと思う。

ブレンドは最初からいっしょに焙煎するのではなくて、それぞれを焙煎したあとに混ぜるのだそうだ。
例としては、モカブレンドならモカ2:コロンビア1:ブラジル1という具合に、味と香りの主体となる豆を多めに。
ブルマン、モカ、マンデリンは単独で飲んでも美味しい。

珈琲を飲み始めて20年、ついに自家焙煎ならぬ「自己焙煎」に手を染めることになった。
今後はさまざまな種類の生豆を買ってきて、自分にとって最高の「ジャッキーブレンド」をつくり出したい。
新書斎の「文武庵」にお越しの際は、ぜひぼくの自己焙煎珈琲を!

(2002/1/29)

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<たかがチョコされどチョコ>

気にもとめないというポーズもわざとらしいので書くが、今日はバレンタインデーだった。
この歳になると、絶滅寸前の物好き(失礼)な方を除いて義理チョコも来なくなり、生徒たちのボラチョコ(ぼくの造語でボランティアチョコ)に糖分補給を頼るしかない。

今日授業に行くと、委員長が「先生、黒板のほうを向いて目をつぶってください」。
素直に従うと、背後で何やらゴソゴソやっている。
「いいですよ!」という合図でふり向くと、なんと教卓の上に山のように積まれたチョコレートの数々。
全員1個ずつ置いてくれたらしい。

いつも面倒ばかりかけるヤツらだけど、たまにこういうカワイイことをするから憎めないなあ。
今まで何度「こんな仕事やってられるか!」と思ったことか。
しかしまたこうしてダマされて、学校や教室という場所から離れられないでいる。

バレンタインデーか。
娘からチョコレートをもらえたら最高だろうな…。

(2002/2/14)

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<なぜ宮崎には離婚が多いのか>

先日ある新聞社から取材の依頼があって、宮崎の離婚問題について話をしてきた。

意外と知られていないことだが、宮崎は全国でもかなり離婚率が高く、毎年のように県別統計の上位に入っている。
沖縄や北海道がトップで、それに続く東京や大阪などの大都市に並んで宮崎がくる。

都会であれば、いわゆる女性の自立といった観点から説明がつきそうだが、一般的に地方は閉鎖的で、他人の目を気にする村社会といえる。
そんな田舎でなぜ離婚率が高いのか?というのが、その担当者のテーマらしかった。

ぼくも離婚をしているのだが、原因は結婚生活を続けるうえでの性格の不一致、価値観の相違にお互いが限界を感じたからであり、地域的な環境によるものとは思えない。
そこで、県外から宮崎に移住してきた友人に意見を求めた。
元暴走族の彼の口からは、思わぬ答えが返ってきた。

「ぼくが宮崎に来たときに最初に思ったのが、ここの人たちってセックスが好きだなあ、ということ。こう言ったら悪いけど、田舎は遊ぶところもあまりないから退屈で、若い連中がエッチすることばかり考えているので驚いたんですよ」

「だから当然妊娠する率も高いし、まだ若いうちにできちゃった結婚というパターンも多いと思うんですよ。若い夫婦というのは未熟なわけだから、ケンカしたらすぐ離婚という結論を出してしまう」

極論のようだが、なるほどとうなずける部分もあった。
ぼくの知る範囲でもたしかに「できちゃった結婚」が多いし(さすがに統計はないが)、宮崎の女の子たちが避妊に無防備なのはよく聞く話で、先日職場で講演をしてもらった産婦人科医も「残念なことに、宮崎の中絶率は毎年日本一」と話していた。
ファッションホテルや飲み屋の経営者たちと話したときも、「宮崎は不倫が多い」と言っていた。

某新聞社の取材でも、ある弁護士が宮崎では不倫が原因の離婚が多いと認めていたらしい。
宮崎で英語を教える外国人たちも、雑誌のインタビューで「宮崎の人たちの第一印象はスキャンダル好きで、男女関係に異様に関心があること」と答えていた。
地方にはのんびりしたイメージがあるが、性的なモラルが低いのはどうやら現実らしい。

こう考えてくると、たしかに友人の主張する説には信憑性が感じられる。
離婚に至る原因は複雑なものだが、少なくともその傾向はかなり大きそうだ。
そうなると、離婚後に子どもを相手に会わせないなどといった、きわめて自己中心的で子どもじみた行為にも説明がつく。

のどかそうな田舎の意外な一面、といったところだろうか。

(2002/2/18)

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<ラーメン「一蘭」>

最近福岡に遊びに行くようになって、毎回必ず入るのが「一蘭」と「一風堂」というラーメン屋だ。
もちろんとんこつ味で、福岡の代表的なラーメン屋として、どのガイドブックでも大きく扱われている店らしい。
味の良さもさることながら、どちらも接客態度まで細かく気を配っているのがわかる。

ラーメンの味は一風堂のほうが好みだが(めんたいごはんもGood!)、一蘭の営業マニュアルには注目すべきものがあり、「ラーメン業界のマクドナルド」ともいえるレベルだ。
何かビジネスを始めるのなら、かなり参考になると感じた。

有名人のサインが数多く飾ってある店の外の行列に並んでいると、人数の割には進むのがやけに早いことに気づく。
入口近くでは、初めての来店か2回目以降かを聞かれ、その答によって色違いの紙を渡される。
この紙は、スープのコクから麺の固さ、ネギの種類やニンニクの量まで、こと細かに自分の好みをリクエストできるアンケート形式になっている。
このあたりは店の主張を押し通してほしいところだが、まあ客のニーズに応えるサービスととらえておこう。

店の中に入ると、自動販売機でチケットを買う。
トッピングからゆで玉子まで、かなり細かいメニューだ。
席に着いてからの追加は販売機まで戻ってくる必要がなく、その場で注文ができる。

昼どきはいつも満席なので、席への案内は電光掲示板を使い、いわゆるフォーク式(銀行のCDなどで見られる、一列に並んでおいて空いたところから順番に入っていく形式)で、カップルやグループはなるべく配慮するものの、基本的には一人ずつの案内となっている。

一蘭は客の回転が早いのがウリだが、その秘密はすべてカウンター席で、しかも一人ずつ両側が仕切られていることだ。
しかも目の前にはのれんがかかっており、店員とも直接顔を合わせることがない。
これは名目上は「お客様に食べることに集中してじっくり味わっていただくため」としているが、本音は「無駄話なんかしてないで、食ったらさっさと出てけ」という意図なのはミエミエだ。
これを「ブロイラーみたいだ」と嫌うか、人気のラーメンを待たされずに食べられると割り切るかは、客の好みによるところだろうが、店はいつも大盛況だ。

さて席に着くと、入口でもらったアンケート用紙をカウンターに置く。
その紙の色によって、店員は初めての客か常連かを瞬時に判断し、それに応じてかける言葉を変えているのに気がついた。

個別に付いている蛇口から、ウーロン茶?をコップに注ぐ。
替え玉(スープはそのままで麺だけをもう1つ追加するシステムで、この店が元祖)を持ってきてほしいときに使う赤いスイッチのようなものもある。
その他の追加は、割ばしの袋の裏が注文票になっていた。

座っているカウンター席からふり向くと、壁の棚にはサービスのポケットティッシュの山。
これは自前ではなく、他のさまざまな会社が宣伝用に街角で配っているものを、自由に置いてもらっているのだという。
お互いにメリットがあり、なかなかグッドアイディアだ。

店側の思惑通り、食べ終わるとボーッと座っているような気分にもなれず、すぐに席を立つ。
店を出ようとすると、センサーが反応してチャルメラのテーマがなる。
忙しく立ち回っていても、店員が「ありがとうございました!」と言うのを忘れることはない。

なんとなくベルトコンベアーみたいだが、客も時間の節約になるのはまちがいない。
ぼくの友人たちの間でも一蘭のやり方には賛否両論あるが、徹底して客の立場で発想して素早く具現化する態度は、すべてのビジネスが見習うべきだと思う。

それにしても、九州のとんこつラーメンは日本一だと思う。
今日はある美食家が「宮崎でいちばん美味しい」と断言した、延岡市の再来軒のラーメンを通信販売で取り寄せて食べたが、コクのあるスープから麺をすすりながら至福を感じた。

(2002/2/22)

*****

<達人と出会うことは喜びである>

週末、「達人セミナーin鹿児島」という勉強会に参加してきた。
授業の達人として名を知られる英語教師たちが、全国各地を回りながらお互いの指導技術をシェアしようという、すばらしい試みだ。

今回は元NHKテレビ英会話講師の金谷憲先生(現東京学芸大学教授)、本年度パーマー賞(全国最優秀英語教師)の田尻悟郎先生、そして達人セミナー主幹の谷口幸夫先生。
勉強している英語教師なら、このメンバーのすごさがわかるはずだ。

しかも鹿児島でのセミナーは初めてということで、なんと参加費無料!
これで行かない英語教師はモグリだよ…と思っていたのに、実際に会場に来たのはほんの数名。
あきれたというか寂しいというか、逆に言えばなんとも贅沢な環境(ほとんど個人指導)でのセミナーとなった。

どの先生の実践も、生徒が授業を楽しみながら、使う英語の量を飛躍的に増やす工夫が満載だった。
まさに達人技の連続で、ぼくも自分の授業にはこだわりを持っているほうだが、あれほどのレベルを見せつけられては素直に脱帽するしかない。

「達人」というのは、どの分野にもたしかに存在する。
ぼくが最近教わっている古伝空手の先生も、達人の域にあると思う。
その流派に「百聞は一見にしかず、しかし百見は一触にしかず」という言葉があるが、まさにその通り。

生身の達人の技に触れるのは、人生最高の刺激といえる。
ぼくは今まで、「因果な商売を選んだなー。語学も武道も終わりがなくて、ちょと練習をサボると実力が落ちる」と嘆いていたが、そうではなかった。
死ぬまで上達し続けられるという確信は、喜び以外の何ものでもないことに気づいた。

(2002/3/18)

*****

<私家版禁止用語事典>

「最後は自分で決めることだから」
大人として責任逃れの卑怯な言葉。

「正直言って」
いつもは不正直なのだろうか。

「はっきり言って」
とか言いながら、物議をかもすほどでもない。

「〜と思いますけど」
自分の意見に「けど」はいらない。

「語尾上げ」
いい年をした大人は使用禁止。

「この国は」
日本人として自分の国でしょ。

「ご指名にあずかりましたので」
言い訳は見苦しい。

「何を話そうかといろいろ考えたのですが」
つまらない前置きは省く。

「まだ話す内容を決めないままここに」
嘘っぽい。

「今まで無事大過なく」
無難な人生が思い出深いとは限らない。

「〜というのはいかがなものか」
ずるい大人という感じ。

「〜じゃないですか」
なんか気にくわない念押し。

「わたし的には〜」
あんたがなんぼのもんやねん。

(2002/3/18)

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<言いたい放題NG集>

「喫茶・軽食という看板」
こだわりのない店には入りたくない。

「日本語吹替の洋画ビデオ」
雰囲気ぶち壊し。

「ベストセラー本の二番煎じタイトル」
恥を知れ。

「ベストセラー本は読まない」
俗っぽくても「何か」があるから売れている。

「大ヒット映画をあえてけなす」
切れ者ぶってるようにしか見えない。

「都会から帰省した人の気合の入ったファッションと言葉」
500%浮いてる。

「キュロットスカート」
中途半端な人間性が出ているようで。

「黒い靴下」
あまり似合う女性はいない。

「白ブリーフ」
マザコンっぽくて気持ち悪い。

「食事中に携帯メールをチェックする女性」
失礼なやつ。

「横断歩道で車が止まってやっているのに歩調を変えない」
鈍い感性にため息。

「車線に入ろうとすると急にスピードを上げて入れないようにする」
卑しい性格。

「車線に入ろうとしている目の前で停車する」
たぶん頭が悪い。

「女子高生が歩いていると車の窓を開けて音楽のボリュームを上げる」
哀れなガキ。

(2002/3/19)

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<恐怖の偶然の一致>

あの米国同時多発テロからすでに6ヵ月が過ぎたが、事件当日である9月11日の「11」という数字について、偶然と言うにはできすぎという話を読んだ(「文藝春秋」2002年1月号)。

9/11の数字を足すと、9+1+1=「11」。
9/11は2001年の254日目にあたり、2+5+4=「11」。
9/11の2001年の残りは「111」日。
ピッツバーグに墜落したユナイテッド航空の乗客数は38人、3+8=「11」。

貿易センタービル北棟に激突したアメリカン航空「11」便の乗務員は「11」名。
同ビル南棟に激突したユナイテッド航空の乗客数56人、5+6=「11」。
この2機はいずれもボーイング767型で、座席数はそれぞれ218席(2+1+8=「11」)と245席(2+4+5=「11」)。

事件の起きたニューヨークが米国の州に認定されたのは、「11」番目。
New York Cityのアルファベットは「11」文字。
Afghanistan(アフガニスタン)も「11」文字。
The Pentagon(ペンタゴン)も「11」文字。

ニューヨークは西経74度、7+4=「11」。
ペンタゴンのあるワシントンは北緯38度、3+8=「11」。
そして、崩壊した2棟のツインタワーの景観は、どう見ても数字の「11」。

+++++

これを読んで、以前聞いた3つの話を思い出した。
まず、皇室に嫁いだ小和田雅子さんと、川島紀子さん。


二人の名前を1文字ずつとばしてジグザグに読むと、なぜかまた二人の名前になってしまうというもの。
いったいどれくらいの確率で、このような偶然が起きるものだろうか。

+++++

100万回に数回といわれる、航空機の墜落事故。
確率は交通事故にあう可能性よりずっと低いが、生存の可能性はまずない。
過去における世界中の事故発生のデータを調べてみると、「2」がアンラッキー・ナンバーで、特に「2」「12」「22」という日付けに集中しているそうだ。

事例があまりにも多いので、よく知られている事故から。
1985年の日航機墜落事故は、8月12日(羽田発123便で犠牲者が520名)。
作家の向田邦子さんも犠牲になった台湾での事故は、1981年8月22日。
「逆噴射」で騒がれた羽田沖の事件は、1982年2月9日。

特に日航機墜落事故には、因縁めいた裏話が多い。
事故機の乗客に配布されたJALの機内誌「ウィング」には、なんと事故機の墜落現場である、群馬県上野村の村長(第「二」次世界対戦の特攻隊員)のインタビューが掲載されていた。
ちなみにこのインタビューが行なわれたのは、事故の「2」ヵ月前のことだ。

+++++

アメリカ合衆国代16代大統領エブラハム・リンカーンと第35代のジョン・F・ケネディ、悲劇的な死を遂げた二人の奇妙な一致点も有名な話だ(「恐怖の偶然の一致」TBSテレビ編著より)。

1846年にリンカーンが初めて議会に選出され、そのちょうど100年後にケネディも初選出。
リンカーンが大統領に当選したのは1860年で、ケネディが大統領になったのが1960年、ちょうど100年後だ。

リンカーンはフォード劇場で後ろから頭を撃たれて死亡、ケネディはテキサス州ダラス訪問中、フォード社のリンカーンに乗っているところを、弾丸により後頭部を吹き飛ばされた。
ケネディ暗殺の直前、ダラス行きに反対した秘書の名は、イブリン・リンカーン。
どちらも同行していた婦人の目前で暗殺、ともに金曜日の出来事だった。

リンカーンのあとを継いだ副大統領の名はアンドリュー・ジョンソン(1808年生まれ)、ケネディのあとを継いだ副大統領はリンドン・ジョンソン(1908年生まれ)で、ともにジョンソンという同じ名前で、生まれも100年違い。

リンカーンを暗殺したジョン・ブース(1839年生まれ)とケネディを暗殺したリーオズワイルド(1939年生まれ)は、ともに倉庫に逃げ込み、大衆の目前で射殺された。
生まれはまたしても、100年違いだ。

アメリカの大統領についてよく言われるのが「ゼロ・ファクター」、つまり最後にゼロのつく年に選出された大統領は、任期を全うせずに暗殺か病気で死亡するというものだ。
1980年選出のレーガン大統領はこのジンクスから逃れたが、彼もテレビカメラの前で暗殺未遂という被害にあった。

+++++

これだけ揃うと、単なる偶然とかこじつけとか言っていられないような気がする。
以前「シンクロニシティ」(共時性=関係ない2つのことが関係ない2つの場所で同時に起きる)が話題になったが、この世には人間の知識を越えたルールが存在するのかもしれない。

ちなみに、ぼくの誕生日は4月9日。
日本では縁起が悪いとされる、4(死)と9(苦)という数字だ。
海外では「13日の金曜日」などと、13が不吉とされているが。
「いや、これは4(しあわせ)が9(くる)と考えるべきだ」とプラス思考を試みていたが、なんと4+9=「13」だったのだ(涙)。

(2002/3/24)

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<アメリカの偽善>

映画界最大の祭典であるアカデミー賞の授賞式で、本年度の主演男優・女優賞がともに黒人俳優だったというニュースをテレビで見た。
こんなことが大きく報道されること自体が情けない話で、アメリカの人種差別は今でも根強く残っているという証拠だろう。

黒人女優が同賞を受賞したのは、74年間の授賞式史上初めて!だそうで、男優のほうはたしか2人目で、しかも38年ぶり!と聞いた。
実力に差があって、たまたま白人俳優だけが70回以上連続で受賞してきたというのならわかるが、受賞した黒人女優スピーチでの涙を見るかぎり、どうもそうではなさそうだ。

アメリカの人種差別については、かわぐちかいじ氏のマンガ「イーグル」の中で実にリアルかつシニカルに描かれている。
日系人初のアメリカ大統領候補、ケネス・ヤマオカの選挙戦を追うストーリーで、「差別はいけない」という、本音と異なる教育による正論に縛られた白人たちが、ヤマオカに投票せざるをえない状況に追い込まれ、悩み苦しむ場面はインパクトがあった。

ミスアメリカに黒人女性が選ばれた、体に障害のある人が選ばれたなど、アメリカでは美談として語られることが多いが、これも見ていてかなり恥ずかしい。
本当は有色人種に対する差別意識が心を巣食っているのに、「ほら見てください、私たちは差別なんてしないんですよ!」と必死で主張しているようで。
あまりのシンプルさに好感が持てないでもないが、自分で気づいていないとなると、かなりの重症といえるだろう。

映画「評決のとき」は、そのような白人たちの差別意識を素直に認め、人の心の盲点をついた見事な結末を見せてくれる秀逸な作品だ。
白人たちに娘を暴行された黒人の父親が、犯人たちを自分の手で射殺する。
その事件の裁判で死刑になりそうな父親が依頼したのは、若い白人の弁護士だった。
裁判官はもちろん、陪審員もすべて白人という絶対的に不利な状況の中、その弁護士が最終弁論で誰も予測しなかった「一言」が、裁判を激震させる。

「名前って何?
バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても、
美しい香りはそのまま」
(シェイクスピア「ロミオとジュリエット」)

何賞でもいいが、あくまでも「個人」が受賞した事実がすべてであって、それが黒人であろうが日系であろうが、受賞以上のニュースにしてはいけない。
今のアメリカは、まだまだ恥ずかしい。

(2002/3/27)

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<多作・駄作・寡作>

宮崎県出身の歌人、若山牧水は、近代歌人の中でも最も歌集の多い一人だったようだ。
わずか43年間の生涯で、15册の歌集を出している。
大学卒業時に第1歌集を出版したので、実際の作歌時間は20年足らず。
つまり、ほぼ1年に1册の割合で出していることになる。

牧水は、約8千首の短歌を作ったという。
与謝野晶子が5万首、斉藤茂吉が1万7千首と同じく多作型だが、彼らは80を過ぎるまで生きた。
歌人の河野裕子氏は、「多作の勧め」と題したコラムの中で、次のように述べている。

「名前の通った歌人の歌ならどの歌も名歌であるように思ってしまうのは、錯覚というものである。
その膨大な歌のおおかたは凡作なのであり、だからこそいくつかの歌が広く人々に愛誦され、名歌の高みにまで押し上げられるのである」

ぼくはこう見えても文章の言葉やリズム、漢字の選択などにかなりこだわるほうなので、意外と遅筆なのだ。
文章には人間性、少なくともそのときの気分がストレートに反映されるので、あとで読み返したくないような文章も多い。
夜中に熱い思いで書いたラブレターを朝になって読み返すと、自分でも恥ずかしくなってしまう感じというか。

しかし一語一語絞り出すように書くよりも、気楽にたくさん書いてみるのもいいかもしれない。
寡作は駄作の山の中にあり、か。
実は書きたいことは泉のようにあふれてくるのだが、仕事と趣味で超多忙のジェットコースター生活なので、なかなか書く時間が取れないのが実情だ。

牧水は絶えず情緒が不安定だったらしく、なぜ歌を作るのかと問われて、「故わかぬ悲しみどもにうち追はれつつ」と詠んでいる。
歌を作っているときだけが、自分自身と心静かに向かい合える唯一のひとときだったのだろう。
このあたり、何の得にもならない文章を書き続けている者として共感できる部分だ。

(2002/3/27)

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<別れ下手>

激務の合間をぬって、ゴールデン・ウィークは福岡に行ってきた。
外車専門店に勤務する大学時代の親友と会ったのだが、思うところあって、彼から某ドイツ車を買うことに決めた。
人生最大の衝動買いというやつだ。
軽自動車と普通車の区別くらいしかできない、車に無頓着なぼくを知る人たちが聞いたら、きっと驚くだろうな。

気になるのは、ローンの支払いはもちろんなのだが、今まで乗っていた車のこと。
ぼくは物に対してもけっこうウェットな面があって、たとえは悪いが、今まで自分のために一生懸命つくしてくれた女性を、新しい相手ができたからと冷たく捨ててしまうような罪悪感にかられてしまうのだ。

結婚して元妻と今の普通車を選ぶまでに、大学時代に原付スクーターと250CCのバイク、社会人になって2台の軽に乗ったが、いずれも手放す日はつらかった。
気のせいだと言われるのはわかっているのだが、他人の手に渡っていくバイクや車が、なんとなく寂しそうに見えたのだ。

去年の暮れに両親の家を新築したときもそうだ。
小学生の頃から25年間親しんできた古い家が取り壊された日、夜になって様子を見に行った。
建売りでもう限界だと思っていた家なのに、柱や壁の破片から生々しい木の香りが辺りに漂っていて、家から「まだ生きてるよ…」と言われたようで、胸が痛んだ。

植物を育てる実験で、同じ環境に置いても、毎日やさしく声をかけながら水をやっていると、そうでないものよりも大きく美しく成長するという話を聞いたことがある。
植物に聴覚があるはずもないが、人間の言葉の波動のようなものが物理的な変化を引き起こすといったことは、ひょっとするとあるのかもしれない。

要するにぼくは、別れ下手だ。
いろいろな意味で。
そして別れを、いつまでも自分の中で引きずってしまう。
ポジティブそうに見えて、意外と女々しいところがある。
ドライに割り切って、すぐ前を向けるタイプをうらやましく思う。

昔の話だが、好きになった女性が、別の男性を忘れられないというシチュエーションがあったなあ。
彼女は優柔不断な自分を責めていたようだが、惚れた弱味があったにせよ、ぼくは彼女を非難できなかった。

世の中には、別れた相手のことなんかアッサリ忘れ、過去を切り捨てて、すぐ次の相手と新しい人生を歩み始めることができる強い女性もいる。
そんな冷たい賢さを持った人間よりは、まだやさしさを感じたからだ。

(2002/5/5)

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<負けたとき>

サッカーのことはほとんどわからないが、最近はワールドカップという世界大会がテレビや新聞をにぎわせている。
日本にこんなにたくさんのサッカーファンや愛国心の強い若者がいたなんて、ただただ驚くばかりだ。
初出場なのにいくつか勝ち進んだと聞いたが、どこかの国に勝った翌日、テレビで大阪の道頓堀で橋の上から飛び下りる人たちを見て、大阪での学生時代に阪神タイガースが優勝したときのことを思い出した。
でもやっぱり日本人の選手には、金色や赤ではなくて、日本人らしい黒髪でアピールしてほしかったな。

まあそんなことはどうでもいい。
先日日本が負けたとき、ぼくはテレビのニュースを見て感動した。
世代に関係なく、サポーターたちの反応がみな「残念」「でも頑張った」「夢を見せてくれた」「感動をありがとう」というものだったからだ。
どこかの国では、自国のチームが負けて暴動が起き、死者まで出したと言うではないか。
そんな愚かな国と比べると、日本のサポーターは世界一かもしれない。

勝ったとき、調子のいいときには、誰でも善人だ。
すべてが思い通りになって機嫌はいいし、心に余裕ができるから、他人にもやさしくなれる。
しかし大切なのは、負けたとき、不調のときにどういう自分でいられるかだと思う。
失敗続きの人生を送ってきたぼくは、最近、成功した人の話にはあまり興味がなくなった。
挫折して人生のどん底からはい上がってきたという人のベストセラー本なども、結局は自慢話なので鼻につく。

それよりも、今たいへんな状況にあるけれど頑張っている人がいい。
その意味でぼくは、人気のあるNHKの「プロジェクトX」などよりも、「にんげんドキュメント」のほうが好きだ。
失敗したとき、負けたとき、挫折したときにどのような生き方ができるか。
そちらのほうが、あまりいいことばかりとは限らない現実の人生においては、より大切な心構えのような気がする。

ぼくの友人でアメリカ人の男が、いつか感動して語っていた。
あの阪神大震災のとき、崩壊した街の中、家族を失ったかもしれない人々の多くが、静かに一列に並んでボランティアからの配給を待つ姿に心が震えたと。
自分の国だったら、食料品店を襲ったり自動販売機を壊したりして、暴動や略奪が起きるのはまずまちがいない。
日本人の忍耐強さと道徳観念は世界一だ、と。

なるほど、そういう観点で見れば、とても理解できない格好をしている最近の若者(禁句?)も捨てたものではないのかもしれないし、若者がバカにするオヤジやオバタリアン(死語?)も、世界の中ではかなりのモラリストになりそうだ。
テレビを見ていると、サッカーの試合に負けたチームが自国に帰ったらリンチにでもあうんじゃないか、と余計な心配までしてしまう。
日本では勝ったときはバカ騒ぎして呆れるが、負けたときにはやさしい人たちばかりだ。

格闘技の世界でも、日本のファンが世界一だということは誰もが認める事実。
外国では、場所によっては格闘家は闘犬のように扱われ、会場も酔っぱらった男たちが奇声やブーイングを浴びせるという。
そんな劣等感を持った格闘家たちが日本で試合をすると、ファンから尊敬され、温かい声援を受けて感激する。
ファイトマネーもいいし、世界の有名な格闘家が好んで日本に集まるのは当然のことだろう。

今はなきアンディ・フグのように、日本が生んだKー1というスポーツを自分の母国スイスに根づかせようとする外国人も出てきた。
世界に広がったKー1の観客の態度は、外国においても他の格闘技の試合会場と比べて群を抜いていると聞く。
日本発世界。
負けたときの立派な態度、そしてモラルこそ日本人として誇れるものだと思う。

(2002/6/22)

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<ホリオン・グレイシー>

「世界最強のグレイシー柔術」という幻想を見事に作り上げた、グレイシー一家の長男。
決して負けを認めず、言葉を駆使して自分たちのポジションを守り通すしたたかさは、「ああ言えばこう言う」と格闘技マスコミに茶化されたものの、厳しい競争社会を生き抜く男の見本ともいえる。

ぼくが「たとえ話」をおもしろいと思いはじめたのは、ホリオンがきっかけだった。
思わず「なるほどなあ」と納得させられてしまうのだ。
教師としても、「たとえて言うならこういうことだ」と話をもっていくと、生徒に理解してもらえることが多い。

たとえば、大人気の総合格闘技大会「プライド」に弟のホイス・グレイシーが出場を決めたとき、トーナメントなのにもかかわらず、なんとホリオンは自分たちの試合だけルールの変更を求めた。
ラウンド制、つまり数分ごとにゴングが鳴って休憩できるルールは、体重の軽いグレイシー側に不利。
そこで、自分たちの最も得意とする時間無制限を主張したのだ。
そんな無茶な!と、誰もがあきれ返った。

そのときのホリオンの言葉。
「もしサハラ砂漠のような所に人を置きざりにして、たった一人にしてしまったら、その人の頭の中はパニックになってしまうでしょう。
しかし、『明日迎えに来るよ』と言ったら、彼のパニックはなくなるはず。
熱い日差しの中でも、とにかく一日だけ我慢すればいいのですから。
闘いもまったく同じで、時間制限がないということではじめてそのファイターのマインドを試すことができるのです」
たしかにその通り。

また、レフェリーによる試合ストップも拒否。
あくまでも選手のギブアップによって勝敗を決するルールでなければ、プライドには出ないとゴネた。
「第三者のレフェリーが存在すると、必ずミスジャッジが起きる。
また、時間制限を設けて判定で勝敗を決めようとすれば、必ずルールを利用して判定で勝とうというゲームを楽しむファイターが出てくる。
我々はそのような偽りの闘いはしたくないのです」
これも正論で、今までの格闘技の試合が単なるスポーツだったことを広く知らしめた。

そしてとうとう、自分たちの試合だけはルール変更という無茶な提案を実現させてしまったのだ。
他のファイターたちがグレイシーを倒して名を上げるためにとにかく闘いたかった、すでにグレイシー参戦を発表していた主催者側も弱味をつかれたなどの要素もあった。

しかし、グレイシー有利にもっていったはずの試合で、ホイス・グレイシーはプロレスラーの桜場和志に破れた。
しかも、ホリオン自身がタオルを投入するという劇的な幕切れだった。
これはもう言い訳がきかないだろう、と誰もが思ったその日の記者会見で、なんとホリオンは人を食った態度で余裕のコメント。

「どんな性能のいい車でも、タイヤがパンクしたら走れません。
もちろん、無理すれば走ることはできる。
しかしそんなことをすれば、車自体を痛めてしまうことになるでしょう。
それなら、パンクしたタイヤを直して次のレースに参加したほうがいい、ということです」
しかも闘っていたホイスではなく、兄のホリオンがタオルを投げたわけで、ギブアップして負けたわけではないという結論にもっていった。

さらに、「この結果は、裏を返せばグレイシー柔術の勝利!」と断言。
つまり、グレイシー柔術の登場に驚いた世界中のファイターたちがグレイシー柔術を研究して強くなった。
その結果勝つことができたのだから、グレイシー柔術の優秀性と広い普及率が証明されたわけで、実に喜ばしいことだと。

本当に食えない男だ。
「いい人」と言われて喜んでいる世の軟弱な男たちは、ホリオン師匠のしぶとさを見習うべし。
たとえ非難されても、男は簡単にギブアップすべきではないのだ。

(2002/6/23)

*****

<ズバリ明言を>

サッカーのワールドカップで、審判員の判定ミスが問題となった。
国際サッカー連盟の会長も誤審を認める発言をしていたため、プレーの判定への機械導入案も出て、連盟の対応が注目されていた。
以上は新聞で読んだ内容なのだが、その後テレビで見たブラッター会長の記者会見での発言はよかった。

ブラッター氏は「判定へのテクノロジーの導入はしない」と言い切った。
「人間の判断を機械が否定したらどうなるか。サッカーは、人間がやるからおもしろいのだ」
そして、次のようにつけ加えた。
「判定が機械的になると、サッカーへの“情熱”が失われてしまう」

2つの点で、すばらしいと思った。
1つは、批判を恐れずにひとつの結論を明確に断言したこと。
もう1つは、その結論に至った今回の問題に対する考え方だ。
これを見て、かつて同じようにテレビカメラの前から、全国の人々に対してストレートに語った2人のトップを思い出した。

1人は、フランスの小学校の校長(女性)。
ガンだったかナイフか忘れたが、学校内で生徒が起こした殺人事件について、今後はビデオカメラを設置して監視してはどうかという意見が出た。
それに対し、「本校は今後もそのような教育は行わない」と断言。
亡くなった生徒の家族の気持ちもあるし、世間の風当たりも強かったはずだが、彼女は校長としてその教育方針を貫き通した。

もう1人は、ある年の世界ヨット大会。
試合中の事故で初めて死者を出してしまい、大会の存続が危ぶまれたときのことだ。
世界ヨット協会の会長は、次のように語った。
「死者を出してしまったことは、言葉に表せないほど残念なことだ。しかし、大会はこれからも毎年続けていく。もしやめてしまったら、少年たちの海や広い世界に対する夢と憧れを奪ってしまうことになるからだ」

日本人は、この「決断を明言する」ということがなかなかできない。
政治家の抽象的なボキャブラリーをみてもわかるように、結論をうやむやにしてしまうことが多い。
もちろんそれは、すべてが「白か黒か」ではなく、グレイゾーンを保って結論を先延ばしすることにより、時間が解決するのを待つという日本独特の知恵、文化ではある。
しかし、国際社会の中ではそんな発想は一切通用しない。

個人レベルで考えてみると、たとえば人間関係のトラブルがあったとき、事情を知っている人が安全圏内からしかコメントや行動をしない場合。
大人として自分の意見を打ち出すリスクを避け、あくまでも第三者の立場から両方にいい顔をしようとする。
このタイプは子どもの童話の中で「コウモリ」として、結局は両方から信用を失うことになる。

国際社会においては、たとえ反論があっても、自国の出した結論をズバリ世に問うべきだ。
そうしないとどうでもいい人間(国)としてナメられて、表面上のおつき合いしかしてもらえない。
それが正解だったかどうかは、それこそ時の流れが教えてくれること。
「当事者同士の問題であり」とか「このような状況は遺憾である」などと嘆いてみても、まったく意味のないことだ。

寂しさをまぎらすためやヒマつぶしの相手としてのコウモリよりも、むしろこちらが一目置くくらいの敵やライバルのほうが、自分を伸ばしてくれる。
「群れた羊よりも孤独な狼になれ」と言うとカッコつけすぎだが、大人としてせめてネコくらいにはならないと。

(2002/7/4)

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<至福の食事・宮崎編>

「Early room」
ぼくはここで、個人用の焙煎器を購入した。
珈琲はメチャウマ、デザートのクレープスフレは涙モノ。

「アクアミネラーレ」
家庭料理中心のイタリア食堂で、完璧なゆで具合のパスタは絶品。
焼く数は少ないが、自家製パンもオススメ。

「樹(いつき)」
有名なビーフシチューは天下一品。
高くても美味しいものを食べる主義は、この店がきっかけだった。

「江戸ッ子」
名人芸ともいえるオヤジさんの天ぷらは、心配になるくらい安い。
エビアレルギーのぼくのために、ネタを白身魚に変えてくれる心づかいもうれしい。

「おぐらや」
宮崎名物チキン南蛮は、この店で生まれた。
ハンバーグ、カツカレーも味・ボリュームともに満点。

「加奈陀庵(カナディアン)」
創業以来同じ味のカレーと自家焙煎珈琲で、至福まちがいなし。
年季の入った店の雰囲気、接客態度ともに満足。

「きむら」
宮崎では知らない人がいないラーメン屋。
コクのあるとんこつ味に、なぜか冷めたおにぎりが合うんだよなー。

「グリル木下」
昔ながらの洋食屋さん。
オムライスが話題になっているが、どの料理も安くて美味しい。

「クルンテープ」
宮崎でタイ料理といえばここ。
エキゾチックな雰囲気の中、コース料理を汗をかきながら食べるのは至福。

「しゃんぐりら」
京都の「からふね屋」に対抗できる水出しコーヒーの店。ぼくはいつでも生コーヒー(水の温度そのまま)。

「招福」 ITFテコンドーP師範のおじさんが経営するうどん屋で、うどんのコシは宮崎一。
元気ランチ(ざるうどん&ミニ焼肉丼)は究極のウマさ。

「TAKE FIVE」
知る人ぞ知る、ぼくの隠れ家的存在。
超シブい雰囲気のJAZZ喫茶(禁煙・土足禁止)で、静かに時を過ごしたい大人のための空間。

「ばん」
日本人向けのカレーライスなら、宮崎でいちばん美味しい。
ぼくはいつもカツカレーとサラダを食べる。

「ファリーナ」
イタリア製の石釜で焼き上げる、パリパリとした歯ごたえのナポリ風ピザ。
パスタも言うことなし、オリーブオイルの自家製サラダドレッシングも美味しい。

「ふく福」
宮崎牛の焼肉屋多しといえど、ここのロースは絶対感動。
リッチマンカルビも他の追随を許さず。

「山小屋」
人気爆発の筑豊ラーメンで、ぼくもリピーターの一人。
昭和(むかし)ラーメンの味には絶対にハマる。

「YODARE」
お好み焼きの穴場で、名物のべた焼きは超オススメ。
駐車場が狭いのをなんとかしてほしい。

「ろびん」
広島風お好み焼きのうどん入りが最高。
カタカナで同じ名前のお好み焼き屋とまちがえないように。

「ヴォルガ」
ロシア料理はいつもここ。
シチューとピロシキが美味しい。

(2002/7/27)

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