<インターナショナル・フェスティバル> 2002/11/17
朝から原稿を書いていたら、クラスの生徒たちから電話があって、文化の森まで出てこいという。
今日と明日は、毎年恒例のインターナショナル・フェスティバルだ。
宮崎県在住の外国人たちが集まって、各国の料理などの出し物をしている。
おごらされるのはわかっていたが、昼食代わりにと思って出向いてみた。
みんなで韓国のチヂミ、インドネシアのマルタバク(たまご・ミンチ肉・ネギの春巻き)、タイのカレーを食べて、マレーシアの紅茶を飲んだ。
若い頃はアメリカやヨーロッパに憧れていたが、最近はアジアの人たちといるのが落ち着く。
コミュニケーションの手段は、すべて英語だ。
それぞれ独特の訛りはあるが、お互いに英語を使って交流している。
英語はすでにアメリカやイギリスだけのものではなく、国際語であることを実感した。
夕方、テコンドー東京本部の師範から電話が入る。
宮崎に住むおばあさんが亡くなって、急きょ来県されたらしい。
仕事を切り上げて、宿泊先のホテルへ直行。
在日朝鮮人である師範は私の5歳下なのだが、国際的に活躍している人で、会うたびにいい刺激を与えてくれる。
今日は1時間しか話せなかったが、ITFテコンドーは北朝鮮系ということもあって、拉致問題も含めて内容の濃い会話となった。
私は教育者という立場もあるので、日本人としてテコンドーをやる以上、確固たる信念を持つ必要がある。
結論は、人種や民俗、政治、流派の枠を超えた「武道精神」が最も大切ということだ。
拉致被害者や家族の気持ちを考えれば、現時点で日本人が北朝鮮に嫌悪感を抱くのはやむを得ないが、武道であるテコンドーを修行している者にまで偏見を持つのは間違っている。
そして、過去に日本人が朝鮮や他の国々に人道にもとる行為をした歴史上の事実も忘れてはならない。
これまではともかく、これからの国際社会においては「共存共栄」をめざすべきだというのが、私の意見である。
過去は水に流して、などと都合のいいことを言っているのではない。
憎しみによる行動はさらなる悲劇をくり返すだけで、結局は何も解決できないということだ。
北朝鮮の拉致事件は、決して許されることではない。
しかし、日本に2つも原爆を落として何百万人もの命を奪ったアメリカはどうか。
ただアメリカ人というだけで、今でも例外なく許せないという人がいるだろうか。
それなら、英語を教えて生活している私は非国民になってしまう。
10年前に祖母を殺害されたとき、私は犯人が自殺していなければ、この手で殺すつもりだった。
しかし同じ時期、息子を殺害されたアメリカ人女性が、犯人の死刑判決を取り消す運動をしていることを知った。
昨年の同時多発テロで夫を失った女性が、アメリカの反撃を支持するムードの中、「暴力では何も解決しない、死んだ夫もそれを望んでいないはずだ」と気丈に語った。
今では祖母の死が、私たちに人間として大切なことは何か教えてくれたのだと思えるようになった。
反日思想の教育を受けた韓国人が日本に留学して、実際の日本人が親切でやさしい心を持っていることに驚いていた。
その逆もまた真なりではないか。
今日のインターナショナル・フェスティバルのように、国家間だけではなく、民間レベルでの相互理解が今後の国際化において非常に大切になってくる。
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<全九州空手道選手権> 2002/11/18
今日も朝から原稿を書いて、昼食はまたインターナショナル・フェスティバルに行った。
昨日のインドネシア料理が気に入って、今日はナシ・ゴレング(焼き飯)とビーフン・ゴレン(焼きビーフン)を食べた。
午後からは、K-1でおなじみの正道会館が主催する、フルコンタクトオープントーナメント全九州空手道選手権を観戦した。
会場に入ってびっくり。
特設リング、オーロラビジョン、コンサート会場なみの照明とスピーカ。
とても空手の大会とは思えないほど、すべてがプロ仕様で派手なものだった。
選手入場も、迫力あるBGMはもちろん、ゲートから白い煙が吹き出すなど、見る側を意識した演出が徹底している。
さすがは一空手道場主から世界のK-1プロデューサーにのし上がった、石井和義館長率いる団体である。
大学時代に大阪で正道会館の創成期を見ているので、感慨深いものがある。
試合のほうは、選手の実力が拮抗していて判定が多かった。
顔面パンチのないフルコンタクト空手ルールでは、どうしても審判の引分けの裁定基準が広くなってしまう。
そういえば宮崎が生んだ柔道の井上康生は、「常に一本勝ちを狙う。人に下駄を預けるような試合はしたくない」と言った。
名言だ。
関西外国語大学の先輩でもある角田信朗師範の演武には、あいかわらず厳しいプロ意識を感じさせられた。
当時は正道空手の普及のため、よく大学キャンパスで試し割りを見せていた。
私は極真空手の道場生だったので直接の面識はないが、人情味があって尊敬できる人物だと思う。
私はテレビを見ないのでわからないが、最近はいろいろな番組に出て人気者らしい。
角田さんが最近出した本「フルコンタクト英会話」は、私が一気読みしたほどの傑作である。
文武両道で歌って踊れる芸人魂、プールの監視人のバイトなどやっていた先輩も、すごい中年になったものだ(負けられない)。
夕方は外に出て、公園のベンチでオグ・マンディーノの「この世で一番の奇跡」を読んだ。
アメリカであれほど知名度の高い作家の作品が、最近になってようやく日本で翻訳され始めたのは、今の日本人の心がマンディーノの言葉を必要としているからだと感じる。
マンディーノの本は、どれも私に深い感動とインスピレーションを与えてくれるので、来年までに全著作を原文で読破するつもりだ。
本を読み終えて帰る途中、離婚した頃によく赤ワインを買っていたリカーショップに寄った。
「この世で一番の奇跡」の中で、サイモン・ポッターとオグ・マンディーが人生の成功と幸福を語り合うとき、いつも飲んでいたシェリーを買った。
シェリーは、会いたくても会えない私の一人娘の愛称でもある。
今夜は一杯飲んで寝ることにしよう。
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<成功の9ステップ> 2002/11/28
火の上を裸足で歩いたことはありますか?
私は実際に歩いた。
不思議なことにまったく熱く感じなかったし、やけどひとつしなかった。
ジェームス・スキナー氏の究極の自己啓発セミナー、「成功の9ステップ」での出来事だ。
東京の八王子市で行われたこの4日間のセミナーは、毎朝9時から夜中の2時までぶっ通し。
自己啓発書「7つの習慣」を日本で百万部売ったスキナー氏自らが、「決断・学習・健康・感情のコントロール・目的・時間管理・行動・アプローチの改善・リーダーシップの発揮」の9つのステップについて、アウトスタンディングな成功哲学を次々とインストールしてくれる。
参加費用は、わずか10万円。
あの秀逸なコンテンツから考えると、あまりにも安すぎる。
初日の午前中で、もうすでに元が取れたと思った。
今後の人生にどれだけすばらしい影響を与えてくれるかを考えると、100万円払っても惜しくないセミナーだった。
成功者の一人、ジェームス・スキナー氏を知ったのは、経営コンサルタントの神田昌典氏(「非常識な成功法則」は必読)との対談テープ「スーパー外人があっという間にあなたを変える!」だった。
すでに50回以上くり返し聞いたが、その内容は衝撃だった。
セミナー参加を決めたものの、週末を含めても5泊6日になってしまうので、職場のことを考えて一瞬迷った。
人間、決断できない言い訳ならいくらでも思いつく。
お金、時間、仕事の都合・・・。
しかし、それは現状維持の気持ちだということに気づいた。
現状維持とは、今のつらい現状をわざわざ維持する行為だと。
変化を恐れていては、いつまでも同じことのくり返しだ。
私は決断、つまり決めて断ち切った。
キャンプファイアーを崩して、その上をテンションを上げた状態で素足のまま歩く。
揺るぎない決断、感情のコントロール、思い切った行動、安心領域の突破、恐怖の克服、大いなる達成感・・・すべてをわずかな時間で経験させてもらった。
しかしそれはまだ2日目のことで、4日目のフィナーレを迎えるときには、火渡りどころではないレベルのものをたくさん得ていた。
数えきれないくらいの演習があったが、中でも印象的だったのは、武道の技と脳神経言語プログラミングだ。
これまで秘伝とされていた神秘的な技の仕組みを、実際に参加者を相手にわかりやすく解説してくれた。
うつ病やトラウマに悩んでいた人たちを、スキナー氏は私たちの目の前で、一瞬にして明るく前向きな人間に変えてしまった。
今まで禁煙できなかった数十人が、30分でたばこ恐怖症になった(この模様はCNNで報道される)。
この1週間の平均睡眠時間は4時間で、昨夜は3時間ちょっとしか寝ていない。
スキナー氏の指示通りに生活しているので、それでもまったく疲れを感じない。
以前は7時間以上寝ないと体調が悪かったのに、今では朝から晩まで絶好調だ。
一日30時間ほしいと思っていたが、必要に応じていつでも時間を増やせるようになった。
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<グレイシー柔術とボブ・サップ> 2002/12/26
10年前にアルティメット大会(バーリトゥード=何でもあり)でホイス・グレイシーが無傷で優勝したとき、私の格闘技観は根本から覆されてしまった。
プロレスラー、空手、キックボクシング、ボクシングの選手たちが、あっという間にホイスの柔術の技でギブアップしてしまう。
そのひょろっとした柔術家のたたずまいは、世界最強のイメージからもっともかけ離れたものだった。
そして今、あのとき以上の衝撃が格闘技界を席巻している。
ボブ・サップである。
元アメリカンフットボール選手で、格闘技はズブの素人。
にもかかわらず、205センチ160キロの肉体を武器に、K−1グランプリ王者のアーネスト・ホーストを下手くそなパンチで2度もKOしてしまった(K−1ルールで!)。
この2人の登場で、世界最強とまったく関係ない一格闘技愛好家である私でさえ、一時期自分のやっている格闘技にすっかりヤル気を失ってしまった。
グレイシー柔術のホイスとその兄ヒクソンの登場で、一対一の戦いに打撃系格闘技はほとんど通用しないことがわかった。
ボブ・サップに至っては、体格とパワーの前にはいかなる技も無力であることを思い知らされた。
よくミット蹴りや試割りを見て「あの蹴りがまともに当たったら死ぬな」などと言う素人がいるが、そんなことはない。
相手がよく鍛えていて、体重があって、しかも動き回られると、めったなことでは一撃で倒せるものでなはい。
KOが多い格闘技は、興業としてそのようなルールを設定しているのだ。
私でさえ、素手で石やレンガを割るくらいの芸当はできるし、蹴りでバットを折ることもそう難しいことではない。
しかし、仮にボブ・サップを100発蹴ったところで、犬がじゃれてきたくらいにしか思われないだろう。
悔しいが(いい年をして悔しがる自分は好きだが)、それが現実だ。
私は若い頃に極真空手をやっていたが、体重差など気にしたこともなかった。
毎日メチャクチャ鍛えて、どんなにデカい奴とでも正面からガンガン打ち合っていた。
ボクシングなど、体重制のスポーツには興味がなかった。
今でこそフェアなルールだと思えるが、当時は、たとえ世界チャンピオンでも無名のヘビー級選手に子ども扱いされる、という現実が許せなかったからだ。
しかし、いつまでもそんなスタイルでは体がもたない。
年をとると、スピードやスタミナも衰えてくるだろう。
若い頃だけ強いという競技に、果たして意味があるのだろうか?
多くのスポーツ選手のように、現役を引退したらブクブク太って口だけ達者になるのも悲しい。
そこで、限界を感じた多くの格闘家と同じく、私も武道や武術といった分野に興味を持ちはじめた。
年をとっても強い(いわゆる達人・名人)、筋力やスピードに頼らないというのが彼らの主張だからだ。
ある一定の水準に達したら、自転車に乗れるのと同じく、一生使える技が手に入るというのだ。
もちろん、小柄で年輩の彼らが格闘技のルールという制限の中でボブ・サップのようなファイターと戦ったら、結果は明らかである。
しかし、武道を学ぶ上での考え方としては、大きな気づきをもらった。
他人と比較するのではなく、自分の技の上達と人間的成長に集中することにも大きな意義がある。
私はこの数カ月間、誰もが人生の成功と幸福を手に入れられる理論を勉強することに集中していて、ろくに体を動かしていなかった。
先日久しぶりに道場の練習に参加したら、体は堅くなって足は上がらないわ、筋肉痛にはなるわで、練習不足を痛感した。
と同時に、ちょっと練習しないと衰えてしまう程度の技術習得に、大きな疑問が出てきた。
スポーツとしては当然だが、武術としては少々問題があるのでは?
古武術に守・破・離という考え方がある。
最初は素直に学んで、次に自分の個性に応じて変化させ、やがて独自のスタイルを確立するということだ。
私も年齢的に、そして性格的にその時期がきたような気がする。
どんな格闘技でも、グレイシー柔術やボブ・サップのような存在にあっさり破られる穴を宿命的に持っている。
それでも私がこの世界から離れられないのは、単純な理由だがやはり「好きだから」だ。
これからも流派にこだわらず、自分なりの武の道を歩んでいこうと思う。
蛇足ながら、ボブ・サップもいずれ勝てなくなるだろう。
自分のスタイルに限界を感じ、競技としての技を学び始めて輝きを失った、極真空手のフランシスコ・フィリョやホイス・グレイシーのように。
PRIDEやK−1で戦った経験から、同じ技術を学ぼうとしているサップもまた、ガムシャラな突貫ファイトの持ち味を失いつつあるような気がする。
グレイシー柔術にこだわり続ける世界最強の武道家、ヒクソン・グレイシー。
170センチにも満たない東洋人ながら、世界のアクションスターとして、また武道哲学者として自分のミクロコズム(小宇宙)をつくったブルース・リ−。
この2人が、私の武道家としての究極の理想(好きなのはジャッキー・チェン)である。
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<フラッシュダンス> 2002/12/28
待ってました!
思わずそう叫びそうになった。
80年代に夢中で見た映画「フラッシュダンス」が、ようやくDVD化されたのだ。
なんと、「フットルース」「ステイン・アライブ」「コーラスライン」も同時発売。
ビデオを買って擦り切れるほど見た映画ばかりだが、なぜかDVD化が大幅に遅れていた。
さっそくインターネットで注文して全部手に入れた。
このチョイスでもわかるように、実は私は大のダンスファンだ。
自分ではろくに踊れないのだが、肉体で表現するダンサーたちのパフォーマンスを見るのは大好きで、公演にもよく足を運ぶ。
昔少しだけブレイクダンスを習った程度なので、ぜひ機会を見つけて今からでも練習したい。
「フラッシュダンス」については、エッセイ集やラジオ番組などで何度か語っているが、ここでも書いてしまおう。
大阪での大学時代、地元に残してきた恋人から別れを告げられて、悲しい気持ちで深夜レストランでウエイターのバイトをやっていた。
閉店まぎわにテーブルを拭いている時、いつも流れていたのが映画のテーマ曲「ホワット・ア・フィーリング」だった。
その頃、大学の近くの喫茶店のマスターが、アメリカ直輸入(日本未公開)のビデオをコーヒーとクッキー付き500円で学生に見せていた。
外国語大学だったので、字幕なしでもチャレンジ精神旺盛な学生がけっこう集まっていた。
噂を聞きつけて店に行ったその日に、「フラッシュダンス」をやっていたのだ。
単純な青春サクセスストーリーなのだが、当時の感情とリンクする部分が多かったのだろう。
今でもオープニングで赤いFLASHDANCEの文字が流れただけで、あの日の感動がよみがえる。
その喫茶店には、それから映画を見るために何回通ったことか。
ジェニファー・ビールスの魅力的な表情、ストーリーのディテールとセリフのほとんどを覚えているくらいだ。
思えば、「フラッシュダンス」に無意識のうちに影響されていることがたくさんある。
当時はミーハーで、主人公と同じようにアーミージャケットを着て自転車に乗ったりしていた。
体を鍛えている女性を好むのも映画の影響かもしれないし、20代ではダンサーとの恋愛もあった。
映画好きになったのも、「フラッシュダンス」との出会いがきっかけだ。
そして何よりも、自分の夢を求めてチャレンジを続ける生活、これは今でもまったく変わっていない。
「ステイン・アライブ」にもかなり感情移入してしまう。
ジョン・トラボルタのダンス、セリフ、ジョークなど、一つ一つの場面がたまらなく好きだ。
「フットルース」では、旧態依然として偏見に満ちた大人たちに、ケビン・ベーコンが禁じられたダンスパーティーを開いて挑む。
マイケル・ダグラス出演の「コーラスライン」は、ダンスもすばらしいが、明るいダンサーたちのさまざまな屈折した背景がいい。
社会人になってよかったダンス映画は、「ショーガール」「コヨーテ・アグリー」、そして何といっても今年の個人的大ヒット作「センターステージ」。
DVDのおかげで、自宅のホームシアターで画像も音響も最高のダンスが楽しめる。
年越しはダンスと「イノキ・ボンバイエ」で派手にいこう。
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<年越し> 2002/12/31
今年もまた、部屋で文章を書きながら、楽しく心豊かな年越しだ。
この一年間、ツイてることだらけの本当にいい年だった。
来年はもっと良くなりそうな予感がする。
さっきまで、ペイパービューで「イノキ・ボンバイエ」の生放送を見ていた。
去年は安田劇場に感動したことを書いたが、今回も少しだけ格闘技ファンとしてのコメントを。
K−1選手のマイク・ベルナルド(VSゲーリー・グッドリッジ)とシリル・アビディ(VSクイントン・ランペイジ・ジャクソン)。
2人とも今年「K−1ルールで」総合格闘技(PRIDE選手)のグッドリッジとランペイジ・ジャクソンに「KO負け」しているのだ。
今日はそのリベンジマッチということだが、なんでまたK−1ルールやねん!(怒)
自分に有利なルールで闘ってKO負けしながら、再戦も自分のルールなんて、見てるほうが恥ずかしくなってくる。
しかも、アビディはまた負けた、あわやKOされそうな判定で!
ベルナルドもさんざん殴られて、最終的にはKO勝ちできたものの、かなり危なかった。
最悪だったのは、不利なルールで2回もリングに上がったグッドリッジがダウンしたとき、ベルナルドは失神したグッドリッジを踏みつけてガッツポーズをしたこと。
私がセコンドなら、100%ベルナルドに殴りかかる。
主催者なら、ベルナルドは永久追放する。
対戦相手に対するリスぺクト、ゼロ。
自分は相手の土俵に出る勇気がないのに。
どんなルールでも執念で勝つボブ・サップの、100分の1でも見習えと言いたい。
同じ大学だった佐竹雅昭(正道空手とK−1出身)が総合格闘技の引退試合をしたが、たった1ラウンドで吉田秀彦(柔道オリンピック金メダリスト)に負けて去ったのは寂しかった。
でも本人は笑顔だったから、やはり格闘家としては潮時か。
打撃で総合に勝てるのは、今のところミルコ・クロコップだけだ。
今年はいい本をたくさん読んで、優れた人たちと出会って、ラッキーでハッピーな経験ばかりだった。
正確に言うと、そう言い切れるくらいポジティブなものの見方を身につけたということだ。
今後も周りにとって「警告」になるような存在ではなく、「インスピレーション」を与えられる自分でありたい。
今年あった素晴らしい出来事、出会い、達成をリストアップしたら(ネガティブなことは完全無視&忘却)、数えきれないくらい出てきて感謝の気持ちでいっぱいになった。
来年はいい思い出をさらに増やそう。
2003年の達成事項と、人生の長期目標もすべて書き出してファイルを作成し、インストールした。
このファイルは常に持ち歩き、読み返すものだ。
ここでは公表しないが、すべて必ず実現すると信じている。
このホームページを見ているみなさんと、見ていないすべての人へ。
来年も最高の一年間にしましょう!