<アー・ユー・ハッピー?> 2001.4.1.(1)

矢沢永吉の話題本「アー・ユー・ハッピー?」を読んだ。

ファンではないが、昔「成りあがり」(実際には糸井重里が書いたらしい)を読んで熱くなったこともあった。
YAZAWAも51歳、離婚を経験して、去年は30億円を横領される被害にあって話題になった。

この本は、傷ついた中年オヤジには特にオススメだ。
成功しても、金持ちになっても、なぜか虚しい。
大切な人や物を失った。
でも、気持ちは死んでいない。

矢沢永吉が素手でつかんだ「本当の幸福とは何か」という答え。
その語り口もいいが、再婚した奥さんの言葉がすべてを物語っていた。

「あなた、すごいわ。あの事件が起きてから、なにひとつ生活は変わっていないのよ」
家族を守り、スタッフを守る。
見に来てくれたオーディエンスに対しては、失望させないステージを見せる。
そう考えたら、オレは何ひとつ失っていない。
何ひとつ負けてない…。

YAZAWA信者のT指導員に「アー・ユー・ハッピー?、最高や!」とメールしたら、瞬時に「ようこそ矢沢の世界へ」と返事がきた(笑)。
彼はドライブのBGMもYAZAWA、カラオケもYAZAWA 。
…彼女だいじょうぶか?

たまには自分に問いかけてみよう。
「アー・ユー・リアリー・ハッピー?」

*****

<清武英会話スクール開校!> 2001.4.1.(2)

これは本名でいいでしょう。
私の親友兼悪友、アメリカ人のウェルトンが3年間の高校講師から再び独立し、英会話スクールを始めました。

1クラス6名以内の少人数クラス。
e-サポートといって、インターネットや衛星放送、映画やカラオケまで使って、初・中・上級に分けて楽しみながらも徹底した指導です。

私も企画段階で協力しているので、内容には自信あり。
会費は月謝制で、大手英会話学校の半額くらいのようです(ちなみに私は、本物の英語力をつけたい人に大手は勧めていません)。

興味のある方は、ぜひ一度遊びがてら見学に行ってみてください。
Jackieのホームページを見てきたと言えば、珈琲とお菓子くらいは出るでしょう(笑)。

連絡先 0985-85-5811(FAX兼用)
e-mail weltian1@hotmail.com(日本語可)

ともあれ、我が友の新しい出発に乾杯!

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<フロンティア・スピリット> 2001.4.4.

掲示板にありがたい書き込みをいただいたので、ご本人に了承をとった上でここに転記させていただきます。

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 人が人生を歩んでいくとき、その「先達」の残した「轍」があります。
それをなぞり、それに従い自分の行く先を見定めて進み行く・・・。
そうやって、多くの人が自分を見失わずにおのれの人生を謳歌していく。

 私は、自分が決めた人生の決断に、心が引き裂かれそうになり、自分を見失い、「死」すら考えました。
宿泊したホテルの8階の部屋・・・その窓が10cmたらずしか開かなかった事が私を救ってくれたのかもしれません。

 しかし、私はすぐに「F's」というところに出会いました。
そこの管理人のお一人、Jackie氏に出会いました。
正直、救われた・・・と思いました。
誰も解ってくれることはない、と思っていた心の痛みが共有できることを知りました。

 転じて、管理人Jackie氏本人は・・・、自分の心がズタズタだったとき、地元には話せる人もいなかった。
手に入れたPCで、やっと巡り合った「二人の男性」に命を救われました。
彼は、この日本という国の親と子の関係に矛盾を感じ、このままでは「離婚後の親に会えない子供が増加する」と思い、「F's」を立ち上げました。
「文武両道」を作りました。
色々な人が、それぞれの悩みを話し合える「場」を提供しました。

 フロンティア・スピリット・・・「開拓者精神」という言葉があります。
私は、最近「彼」は私達の「先達」なんじゃないかと思っています。
人には、その人にしか解らない悩みがあります。

 自殺した大学時代の後輩がいます。葬儀には沢山の友人・知人がきました。
こんなに来る人がいるのなら、この中の一人でも、二人でも、悩んでいたであろう「後輩」の話を聞いてあげられるひとがいたのでは・・・と思えてなりません。

 ここに来られる方々、「F's」をご存知の方々、一人で悩んでいることは、必ず誰かその気持ちを解ってくれる人がいるものです。
話せないことは、話さなくていい、でも「先達」がいることだけは心に留めて、生きていて欲しいものです。

 私達は、何気に訪ねているHPですが、そこに辿り着くまでに管理人が痛めた「心」に、思い悩んだ「心」に、もっと「尊敬」と「敬愛」の念を持つことを、忘れてはなりません・・・・。

・・・・2001.4.4 「風の旅人」・・・・

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<中年肉体改造中間報告> 2001.4.8.

中年肉体改造トリオ、順調に脂肪を落とし、筋肉をつけています。
3名ともハマる性格らしくて、合同トレーニングは県武道館のトレーニングルームで週1回(月曜夜)なのですが、どうやら他の日にもコソ練してるようです。

道場の練習も意地になって休まないので、
月曜日 ウェイト・トレーニング
水曜日 テコンドー
金曜日 ウェイト・トレーニング
土曜日 テコンドー
こんなに鍛えてる中年っているんですかね。

中年の特徴は、まず形から入ることと、何かと理屈っぽいところです(笑)。
私のトレーニングのポイントを。

練習前に「ヴァーム」を飲みます。
普通はエアロビクス(有酸素運動)を始めて20分くらいから脂肪が燃えてくるのですが、ヴァームを飲んでおくと最初から体脂肪が燃焼して、運動のエネルギーに使われます。
脂肪が取れてスタミナがもつ、というわけです。

練習中は、今はバイオ茶を飲んでいます。
普通のお茶よりも水分の吸収効率がいいので、お腹もタプタプしません。
練習中は、水分は十分とってガンガン汗をかくようにしています。

練習後は、クエン酸(またはリンゴ酢)を飲みます。
これが私のトレーニング革命でした。
どんなに追い込んだトレーニングをしても、翌日に疲れがまったく残らず、筋肉痛も出ない。
もともとはテコンドーのP師範に勧められたものです。

クエン酸は体質を弱アルカリ性にして、疲労の元である乳酸(トレーニングすると出る)を分解してくれます。
副作用はまったくないし、使用量も気にする必要がないというスグレモノです。
運動をしない人でも健康にいい(抵抗力・免疫力・自然治癒力)ので、マメに飲むといいですよ。

道場練習のあった昨夜は、クエン酸と同じ効果があるリンゴ酢に変えてみましたが、やはり今日も体が軽い。
以前は、翌日に疲れが残るので、平日の夜にはあまり激しい運動はしたくなかったのですが、今はまったく平気です。

このリンゴ酢は、ボクシング世界チャンピオンの畑山隆則さんが愛飲しているものと同じです。
水で1:4に割って飲みますが、発砲水のほうがミネラルの吸収が数倍いいので、畑山さんはぺリエで割っているそうです。

今は筋肉をつけることを重視しているので、もちろんプロテインは定期的に飲んでいます。
粉末青汁といっしょに低脂肪乳に溶かして飲みますが(マズくはない)、筋肉の発達が全然違いますね。
あとは、毎日ビタミン剤とプロポリスです。

本当はバランスのいい食事で十分なのですが、格闘技をやる中年の肉体ケアのためには、サプリメントによる栄養補給は必要だと考えています。
でもいちばん大切なのはトレーニングをすること、そしてケガをせずに続けることです。

筋力トレーニングは、原則として2日に1回。
やるときは重量の限界までガンガン鍛えますが、トレーニングによって壊された筋肉細胞がその負荷に耐えられるように強く大きく再生される(超回復)まで、約24時間かかるからです。

練習前後のストレッチングと、最後のマッサージは必須です。
今回の企画?で私が絶好調なのは、サプリメントの他にこの2つをしっかりこなすようにしたからでしょう。
それから、練習後の温泉もね。

筋力と柔軟性は60代までは伸びるので、最強の老人めざして(どうなるの、とも思うけど)がんばりましょう、仲間たちよ。

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<両親に感謝する日> 2001.4.9.

今日は私の誕生日ですが、元妻の出産に立ち合い、娘の誕生の瞬間を見た経験から、私はこの日を「自分が生まれた日」というより、「母が自分を産んでくれた日」と考えるようになりました。
だから今日は、むしろ母がお祝いされるべき日です。

私は出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、帝王切開でこの世に出てきました。
体の弱かった母は、すでに亡くなった祖母に聞いた話によると、目を開いたまま意識がもうろうとなって、うわ言までつぶやいていたそうです。

妹のときもそうでした。
父は母が死ぬのではないかと思い、妹のほうをあきらめる覚悟までしたそうです。
しかし、母は私がほしがっていた妹を産んでくれた。

私と妹が今ここに存在するのは、命がけで産んでくれた母のおかげです。
心の底から感謝しています。
できれば、人生失敗ばかりで迷惑と心配ばかりかけているバカ息子を許してほしい。

私はまた、一人の娘の父親です。
離婚後の事情で不本意ながら今は会わせてもらえませんが、ある女性がこう言ってくれました。
「元奥さんは、自分がまちがっていることに早く気づいてほしい。愛するSちゃん(娘の名前)を与えてくれたのは誰か、わかってない。父親に快く会わせなさいとアドバイスする大人は、彼女のまわりには一人もいないの?」

そう、私はここで父の存在を忘れてはいけないと思います。
父がいなければまた、私は今ここに存在していない事実を。

私自身が経験させられているところですが、父親というものは、たとえ代役でもなんとかなると考えられがちです。
しかし、仮に私の両親が離婚して父親に会えなくても、母が再婚して新しい父親役ができても、私の父はこの世に一人だけなのです。

幼児虐待やドメスティック・バイオレンスが話題になっています。
と同時に、離婚後父親(母親)に会えない子どもの精神的悲劇も、深刻な問題です。
血のつながった親子の関係を冒涜する、愚かな大人も日本にはまだまだいるということです。

そんなことを、自分の誕生日に考えています。
4と9、「死と苦」、どちらも日本では縁起の悪い数字です。
「幸せが来る」と考えることにしましょう。

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<ぼくの娘へ> 2001.4.10.

S。
入学おめでとう。
あの赤ん坊が、もう小学生か。
入学式、行けなくてごめんな。

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<黒帯> 2001.4.13.

新学期の仕事に忙殺されていたら、ITFテコンドー協会本部のP師範からのうれしい電話。
「Jackieさん、昇段審査受かりました!」

ついに黒帯。
33歳から始めて、3年半かかりました。
憧れのITF黒帯道衣に、ようやく袖が通せます。

人生のどん底にいた頃、P副師範(現師範)と偶然の出会いがありました。
ITFテコンドー普及のため、鹿児島に行く途中にP副師範が立ち寄った宮崎の飲み屋。
そこのママさんが、私の生徒の母親だったのです。

彼女からそのことを聞いた私は、人づてに連絡をとってもらい、人数を集めたうえでP副師範とY師範を宮崎に招き、テコンドー体験セミナーを開きました。
それに参加してきたT君(現指導員)と2人で、公民館を借りて練習を始めたのです。

去年T君が黒帯を取り、宮崎道場として認可されて1年。
すばらしい道場生たちに恵まれ、入会者もどんどん増えてきています。
今後は九州の中心となって、ITFテコンドーの普及に努めていきたいと考えています。

この黒帯は、ただの帯ではない。
この3年半のさまざまな思いの詰まった、今まで私を助けてくれた多くの人たちの気持ちが詰まった、とても重い黒帯なのです。

今日から私はITFテコンドーの有段者。
昇段審査が終わったとき、先日宮崎に指導に来てくれたK師範がかけてくれた言葉、
「これからが始まりですから」
を胸に、黒帯を締める者として恥ずかしくない生き方をしていきたいと思っています。

この場を借りて、これまで私を支えてくれたたくさんの方々に、心からお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

*****

<もういいじゃないか> 2001.4.17.

河島英五さんが亡くなったんですね、びっくりしました。
1/5の日記にも書いていますが、何曲か好きな歌がありました。

「酒と泪と男と女」「時代おくれ」は、この歳になってよさがわかりました。
マイナーかもしれませんが、個人的には「もういいじゃないか」という歌がいい。

歌手になることに反対する父親から愛用のギターを叩き壊されても、決して自分の夢を捨てなかった男を偲んで。

+++++

もういいじゃないか 忘れろよ
そう自分につぶやいて
酒の海を流れてゆく
ずたずたの難破船
もういいじゃないか もういいじゃないか
こんなに 苦しんだから
もういいじゃないか もういいじゃないか
あんな女 いいじゃないか

長い夜を流されて
自分を見失い
朝の光に ふれたとき
なつかしくて 泣けてきた
もういいじゃないか もういいじゃないか
ぶざまに みえるだけ
もういいじゃないか もういいじゃないか
あんな女 いいじゃないか

最後にひとつ 聞かせて欲しい
心変わり いつからか
あんなに笑い 抱きあった日々
あの愛の日々の いつからか

もういいじゃないか もういいじゃないか
男心 知らないやつ
もういいじゃないか もういいじゃないか
ゆるしてやてもいいじゃないか

*****

<ばついち独身首相> 2001.4.28.

新入生の宿泊研修で出張している間に、小泉総理大臣が誕生していました。
政治的なカタイ話は置いて、私は彼が独身であることに日本のユニークさを感じています。

小泉氏は以前14歳年下の女性と結婚し、離婚をしています。
その後ずっと独身を通しているわけですが、その理由を何かの雑誌のインタビューで答えていたのを読んだことがあります。

「離婚は結婚の何十倍もエネルギーがいる。もう二度とあんな思いはしたくないし、させたくない」
たしかこんなことだったと思います。
恋愛はともかく、自分は結婚生活には向かないと悟っているのでしょう。

ここでアメリカと比べてみると、大統領のイメージとしては、よき夫であり父親であるということがとても大切です。
どこに行っても、常にファミリーを意識したパフォーマンスが必要のようです。
ファーストレディーという言葉があるように、妻の存在も大きくアピールされる。

ところが、アメリカはご存じ離婚大国。
結婚したカップルの半分以上は離婚しています。
以前のクリントン氏の不倫騒動もそうですが、本当にハッピーなファミリーはもはや幻想にすぎない。

アメリカ人は日本人を「タテマエばかりでホンネを言わない」と批判しますが、実はアメリカ人ほどホンネとタテマエを使い分ける国民はいません。
しかも、その矛盾で自分たちが苦しんでいる。

差別はいけない。
そう教育されてきて、自分でもそう信じているアメリカ人たち。
ところが現実には、アメリカほど人種差別が生活の中に入り込んでいる国はない。

家族を愛さなければならない。
「アイラブユー」を連発しながら、世界一離婚率の高い国。
この矛盾により、アメリカの街にはいたる所に精神科やカウンセラーのオフィスが建ち並んでいます。

そこに、この日本に離婚経験者で独身のまま頂点に登りつめた男の登場。
日本人のほうがよほど柔軟性があり、実力主義で、表面的なタテマエにこだわらないことが証明されたわけです。

かのアメリカに、黒人で独身の大統領が誕生するのはいつのことになるでしょう。

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<たった1枚の板> 2001.5.7.

全日本テコンドー選手権大会(国立代々木競技場第2体育館)から帰ってきました。

結果は、予選の手刀レンガ割りに成功して午後の部に残りましたが、決勝に進むための板4枚割りが3枚しか割れず、そこでストップ。
組手の部に出場したT指導員は、今回第3位になった強豪選手と当たり、残念ながら勝ち上がることができませんでした。

不思議な感覚でしたね。
会場の中央に自分が選手として立っていて、360°を観客に囲まれている状態。
見る側とやる側が、こんなに違うのかと思いました。

ITFテコンドーの全日本大会など、ビデオで見て憧れていただけの世界です。
私などは末席に加えていただいた程度の出場ですが、有名選手のみなさんと開会式の場に立っているだけで感動でした。
テコンドーのテーマ音楽で入場するときは、いろいろなことを思い出して感慨深かった。

夜は「ファーザーズ・ウェブサイト」の同志で、広尾に住むMさんにごちそうになりました。
この1ヶ月間ずっと節制して体を鍛えてきたので、久しぶりに好きなだけ飲み食いして大満足。

それにしても、絶対に割れると思っていた正拳での板割りが1枚残ってしまったこと、納得いかずにその夜は眠れませんでした。
正確に言うと一度は疲労で瞬間爆睡したのですが、真夜中に目がさめてずっと悔しがっていました。

でも、最後のたった1枚の板が割れなかったことが、私に欠けている何かを象徴しているのかもしれません。
いい勉強になった、この経験は必ず今後に生かせる。
それが今回の出場の結論です。

*****

<トレーニング再開> 2001.5.12.

久しぶりに、といっても1週間ぶりに武道館でウェイト・トレーニングをしてきました。
帰りには温泉にゆっくりつかって、たっぷりと睡眠を。

テコンドーの昇段審査と全日本大会で、燃えつき症候群というか、ちょっとした五月病にかかっていたようです。
仕事もプライベートもまったくヤル気が起きず、おまけに風邪までひいて、長い一週間でした。

英語もテコンドーも教えてばかりで、まったく満足していない自分の実力を伸ばすための練習ができない。
仕事は事務処理や校則指導にばかり追われて、大切な授業研究や生徒たちの話を聞くのは二の次。
時間と心のゆとりがまったくない。
愛する娘にも、ずっと会えないまま。

このように、頭でマイナス面ばかり考え続けていると、うつ病になってしまいそうです(笑)。
こういうときには、体を動かすに限りますね。
筋肉にビシバシ刺激を与えて、風に吹かれながら夜の露天風呂で星空を眺めて、ずいぶんスッキリしました。

風呂から上がるとき、ずっと前にまだ幼かった娘と来たときのことを思い出しました。
私「上がる前に、10数えようか」
娘「いーち、にーい、さーん、…はーち、くーう、じゅう!」
私「シェリー(娘のニックネーム)、すごいねー、全部言えるようになったな」

父親にほめられて、とても嬉しそうな顔をしていたシェリー。
いつかまた会える日を夢見て、「強く、明るく、やさしい」パパとして前向きに頑張っていこう。

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<天国までの百マイル> 2001.5.14.

邦画では「鉄道員(ぽっぽや)」以来の感動。
またしても浅田次郎原作、ツボを心得てます。
いい歳して、真っ昼間から涙が出てしまいました。

主人公は時任三郎でヤスオというのですが(笑)、会社がつぶれて負債をかかえ、離婚して子どもとも離ればなれ。
月々30万円の養育費を払っています。

心臓病で医者に見離された母親を、天才的な腕を持つ外科医の病院まで160キロ(100マイル)を借り物のワゴン車で運ぶだけのストーリーなのですが、その経過のひとつひとつの場面が泣かせる。

離婚後にヤスオが転がり込んだアパートの部屋に住む、大竹しのぶ(男性にとってはいつまでもかわいい存在)演じる飲み屋の女性。
これがまた、辛い過去を持ちながらやさしい心を持つ女性で。

実はこれ、「ファーザーズ・ウェブサイト」である女性から推薦された作品なのですが、宮崎では上映がなかったので、新作ビデオで借りてきました。
オススメです。

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<新記録達成!> 2001.5.18.

「この肉体を通し 自分自身をどこまで高めるか 生きるということは それにつきる。」
尊敬する片岡鶴太郎さんの言葉です。

肉体・頭脳・精神のいずれも、物理的な限界というものがあります。
その中で自分がどれほどのことをやれるのか。
今、そのことにとても興味があります。

今日武道館のジムでトレーニングをしていたら、チェストプレス(胸の筋肉を鍛える両手でウェイトを押し上げる運動)の94キロがやけに軽く感じました。
それで自己最高の104キロにしてみたところ、あっさり持ち上がるのです。

まさかと思って114キロに挑戦してみたら、なんと成功してしまいました。
自己新記録達成です。
ささやかな話ですが、鍛えれば誰でも能力が向上するということでしょう。
(筋力と柔軟性は60代までは伸びるとか)

本格的なウェイト・トレーニングを始めたのが1ヵ月半前。
最初は86キロ挙げるのがやっとでした。
黒帯が自宅に届いたその日に、100キロ突破。
今日の114キロで、マシンに残っているウェイトのプレートはあと2枚だけです。

中年肉体改造計画に参加してくれた2人も、トレーニングを休まず続けた結果、1ヵ月半前とはまったく違う体になりました。
努力すれば目に見えて自分が「変わる」ことを、何か始めてみませんか。

*****

<二谷友里恵「盾」批判> 2001.5.27.

郷ひろみと離婚した二谷友里恵が「ダディ」に対抗するような形で出版した本「盾」。
かつてのベストセラー「愛される理由」で、その洒落た文章に彼女の知性を感じていたのだが、今回の暴露本を読んで失望した。

母親として最低だと思ったのは、「愛するものを守るため」と副題のついた「盾」の出版を決意したのが、娘の「いちばん嫌なのは、ママがここまで嘘ばかり書かれても黙っていることだ」という言葉だという下手な言い訳。
まだ小学生の娘の人生に、そんな重い十字架を背負わせていいのか大きな疑問である。

娘の言う「嘘」とは、週刊誌などが書き立てた、著者に対する非難中傷の数々らしい。
ではなぜ、「マスコミに」反論する手段として「娘の父親の」非難中傷を今頃本まで出して並べ立てるのか?
この矛盾を恥ずかし気もなく世にさらす神経はとても理解しがたい。
しかもその責任を、「子どもに」負わせている!
守るどころか、子どもの心の傷を逆撫でするような行為ではないか?

内容は、離婚後に大活躍を始めた郷ひろみの人格批判。
大人の読者なら、芸能人なのだからこんなものだろうと思えることがほとんどなのだが(芸能人と結婚した覚悟は何処へ?)、娘に流れる半分の血を否定するような愚行にも気づかないほど、離婚後の再婚生活がうまくいっていないのかと同情さえ感じる。

著者が「ダディ的手法」と非難している「嘘は書かないが、同時に必要のないことも書かない見事なスタンス」。
「盾的手法」こそまさにそのものであるという事実が、ちゃっかり棚上げされている。
私は、その相手を選んだ自分の責任も含めて「離婚の原因はフィフティー・フィフティー」だと信じているのだが。

そして終章で、家庭教師トライの社長で何かと取り沙汰された再婚相手のH氏については、「私人」(!)の彼の結婚というプライバシーをこれ以上荒立てたくないし、この本には盛り込む必要がないと避ける。
これでは、離婚と再婚でケチのついた自分たちの腹いせに、仕事がうまくいっている元夫に嫉妬して、再婚したばかりの彼に嫌がらせをしていると言われても仕方がないだろう。

著者はさらに、「ダディ」出版とその後の郷ひろみの娘たちへの接し方が、自分勝手な「自己満足」だと切り捨てる。
娘たちは父親を敬遠しており、自分が会わせないのではなく、彼女たちが会いたがらないのだと。
その原因のひとつが、元夫からの電話に対応する著者の暗い表情を娘たちが見てきたことだと、あきれ果ててものが言えない「洗脳」発言さえしている。

このあたり、調停不履行の罰則がないことをいいことに、養育費だけは受け取って面会はさせない、巷の感情的で不勉強な親権者(多くは母親)と何ら変わらないレベルと判断せざるを得ない。
私たちは、この半年近くですでに全国から4万件以上のアクセスがあったサイト「ファーザーズ・ウェブサイト」において、この問題を厳しく取り上げている。

理屈はともかく、すでに大人の一方的な都合である離婚によって、子どもの気持を傷つけるという罪を犯してしまったのである。
いくら養育しているからといって、子どもたちの実名まであげて、これ以上その小さな胸に錆びた釘を打ち込むような凶行が許されていいものだろうか。

週刊誌などで概略は知っていたが、批判を書くためにあえて読んだ。
どう読んでみてもユーモアにならない、久しぶりに不愉快な1册だった。

*****

<ちょっといい話(1)> 2001.6.4.

「みやざき中央新聞」(2001.3.26.)に載っていた話です。

+++++

もし、現在の人口統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を人口100人の村に縮小するとしたら、どうなるか?

その村には、
57人のアジア人、
21人のヨーロッパ人、
14人の南北アメリカ人、
8人のアフリカ人がいる。

また、
52人が女性、
48人が男性。

70人が有色人種、
30人が白人。

30人がキリスト教徒、
70人がそれ以外の人たち。

89人が異性愛者、
11人が同性愛者。

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人はアメリカ国籍。

80人が標準以下の居住環境に住み、70人が文字が読めない。

50人が栄養失調で苦しんでいる。

1人が瀕死の状態にあり、1人が今生まれようとしている。

そしてたった1人だけが大学の教育を受け、たった1人だけがコンピュータを所有している。

もし、あなたが今朝、目覚めた時、「健康だなぁ」と感じることができたなら、あなたは今週生き残ることが出来ないであろう100万人の人たちより恵まれている。

もし、あなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、拷問の苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないなら、世界の5億人の人たちより恵まれている。

もし、冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら、あなたはこの世界の75%の人々より幸福である。

もし、銀行に預金があり、財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら、あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの1人である。

もし、あなたの両親が共に健在で、2人がまだ別れずにいるなら、それはとても稀なことだ。

もし、このメッセージを読むことが出来るなら、あなたはこの瞬間、2倍の祝福を受けるであろう。
あなたのことを思ってこのメッセージを伝える誰かがいて、その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからである。

*****

<ちょっといい話(2)> 2001.6.5.

ネット上で見つけた文章です。

+++++

次のような銀行があると、考えてみましょう。

その銀行は、毎朝あなたの口座へ86400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。

つまり、86400ドルの中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。

あなただったらどうしますか。

もちろん、毎日86400ドル全額を引き出しますよね。

私たちは、一人一人が同じような銀行を持っています。
それは、時間です。

毎朝、あなたに86400秒が与えられています。
毎晩、あなたがうまく使いきらなかった時間は消されてしまいます。

それは、翌日に繰り越されません。
それは、貸越しできません。

毎日、あなたのために新しい口座が開かれます。
そして毎晩、その日の残りは消されてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を使いきらなければ、あなたはそれを失ったことになります。

過去にさかのぼることはできません。
あなたは、今日与えられた預金の中から今を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。

そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大のものを引き出しましょう。
時計の針は、走り続けています。

今日という日に、最大限のものを作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、浪人した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

1週間の価値を理解するには、週刊誌の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。

そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は、与えられれるものです。

だから、英語では「今」をプレゼント(= present)といいます。

*****

<芸能人はなぜ老けない> 2001.6.9.

2年ほど前に買ったままうっかり「積ん読(つんどく)」になっていた野口五郎さんのエッセイ(ぶんか社)ですが、ちょっと開いてみたらおもしろくてイッキ読みしてしましました。
歌手であり芸能人だからこそ年を取らない理由、それを一般人がどう日常生活に生かすかなど、具体的でユニークな持論ばかりです。

たとえば野口さんは、大のテレビゲーム好き。
ゲームに夢中になる人は老けないとか(笑)。
理由は、「闘争心」なんだそうです。

闘争本能をむき出しにすることが、若さをキープする秘訣だというわけです。
そういえば、現役のプロスポーツ選手はみな若く見えますね。
テコンドーを始めた中年の方たちも、やせるということもあるのでしょうが、あっという間に若返ります、本当に。

ステージ本番直前には、ほとんどの芸能人が激しいウツ状態になるという話も興味深かった。
野口さんは吐気、越路吹雪さんは下痢だったそうです。

この先ステージに立って、たくさんのお客さんの前で全身全霊を傾けて歌わなければならない。
そのレベルまで一気に持ち上げていくのかと思うと、今の自分と本番中の自分の落差が大きすぎて、体と心が拒絶反応を起こすということです。
レベルは違いますが、教師の仕事もそれと似たところがあります。

彼の場合は、そこで自分のイメージとはかけ離れたような下品な言葉をバンドメンバーの一人一人に吐いて、少しずつテンションを上げていくのだそうです。
そして幕が上がってステージに立つと、いきなりピアノでバラードを歌ったりして、まったく別人であるエンターテイナーを演じはじめるのだと。

テレビで陽気なお笑い芸人たちのパフォーマンスを見ると、あれが彼らの「素」で「天然」のように思えますが、どうやら違うようです。
彼らは自分たちのイメージが作られたものであることを知っていて、人間には裏表があることをよく知ったうえで、冷静に計算して天然のフリをしているのだそうです。
プロだなあと思います。

最後に書かれていた、野口さんの座右の銘「楽観的、積極的、希望的」について。
どんなに楽天的に見えても、その裏ではやはりいろいろとつらい経験をしているのですね。
少し長いですが、引用します。

+++++

 どん底でした。まさに絶望の淵に立たされました。もうステージに立てないのなら、歌手としてやっていけないのなら、そして、今の圧倒的な不安や苦しみから逃れられるのなら、この絶望の崖っ縁から暗黒の海に飛び込んでもいい、とまで思いました。

 そんな時、ふっと、今の自分の心の状態を紙に書いてみようと思いました。あまりに最悪な状況だったし、ひどく混乱していたので、「気持ちを紙にでも書いて整理してみよう、一度、自分を客観的に見てみよう」と思ったのです。

 紙に書いたのは次の三行でした。

<今の自分はすごく悲観的だ>
<今の自分はすごく消極的だ>
<今の自分はすごく絶望的だ>

 僕の座右の銘はこの時に生まれました。「楽観的、積極的、希望的」という座右銘です。

 「悲観的、消極的、絶望的」という言葉は、「楽観的、積極的、希望的」という言葉と裏腹になっている言葉だと思います。

 そして、裏にある言葉(悲観的、消極的、絶望的)の意味を本当に分かるためには、人生のどん底を経験しなければ無理だと思います。どん底の毎日の中で、実際に、悲観的、消極的、絶望的になって初めて、それらの言葉の本当の意味を知るものだと思います。自分の場合もそうでした。

 裏にある言葉が持っているほんとうの意味を知らずして、「楽観的に…」「積極的に…」「希望的に…」と使っても、それは言葉遊びにしか過ぎません。

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<作者は見た!宮崎最強の老人(マル秘画像付)> 2001.6.11.

月曜日の夜、いつものように武道館のジムにトレーニングに行きました。
最近は中年肉体改造計画トリオの時間が合わなくなったのですが、いつも来ている人たちで話すようになったり、ちょっとした出会いと交流の場としても楽しみです。

先日知り合ったアメリカ人の大学教授の影響で、ここ数回はマシーンよりもバーベルやダンベルを使っています。
そのほうが筋肉に強い刺激がきて、より大きく発達するような感じです。

今夜ベンチプレスをしていたら、派手なスパッツにタンクトップ姿の、ムツゴロウさんのような顔をしたおじいさんが話しかけてきました。
「こんな重いウェイトを持ち上げる前に、もっと軽くてもいいからフォームを正しくしたほうがいい」

その他にも専門的なアドバイスをしてもらったのですが、とにかくこのおじいさん、ものすごい筋肉をしているのです(笑)。
「調子のいいときは、ベンチプレス130キロは挙がる」
まさか〜、という反応をしたら、なんと私の目の前でいきなり120キロに挑戦、成功しちゃいました!

失礼を承知で、年齢を尋ねてみました。
「お兄ちゃんの倍以上は年取ってるよ」
「あのー、私37歳ですけど」
「えぇッ!」
逆に驚かせてやりました(笑)、せいぜい30歳と思っていたそうです。

ところがその直後、私はその100倍くらい驚かされましたよ。
なんとその人、66歳でした!
しかも、本格的にウェイト・トレーニングを始めたのが10年前、つまり56歳の時だというではないですか!

思わず、
「師匠と呼ばせてください!」(笑)
鍛え続けるってことは、本当にすごいですね…。

ちなみに、身長は私とほとんど変わらないのですが、筋肉はそれこそ私の2倍以上のボリュームでした。
今回は特別企画で、1ヵ月前の私の体を公開します(笑)。
この2倍以上の肉体を持った66歳、ちょっと想像してみてください。



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<異性の魅力> 2001.6.21.

気が強くて生意気だけれど、かっこいい女性がいた。
美人で英語ペラペラ、ジョギングやジムのエクササイズでスタイルも抜群。

20代の後半になって友人が次々と結婚していったときも、「平凡な主婦になんてなりたくない。私は好きなように生きる」とうそぶいていた。
周りにいたオバサンたちが、それを聞いてムッとしていたのを覚えている。

彼女はたくさんの恋愛をしたと思うが、結局留学中に知り合ったアメリカ人男性と国際結婚をした。
彼女が選んだだけあって、とても素敵な男性だった。

久しぶりに帰国した彼女に会って、ぼくはちょっとびっくりした。
あれほど「マドンナのような肉体を保つ」と言っていたのに、すっかり幸せ太りしていたからだ。

どんな話題で話していても、「夫が」という言葉を連発、しまいには「私も人妻になっちゃったのね〜」などと言う。
「安定」にすっかり身をゆだねている、彼女の幸せそうな表情がほほえましかった。

その反面、勝手な男の言い分に過ぎないのだが、いつも突っ張っていてトゲのあった彼女の魅力が失われてしまったのも感じた。
まったく別の立場にいるぼくが言うのも変だが、なんとなく寂しい気がしたものだ。

あとで彼女が打ち明けたところによると、独身時代はカッコをつけてストレスをためていたとのこと。
今は心の底から幸せなのだと。

ちょっとだけガッカリしたような…という話を別の女性にしたら、「いいじゃない。その人が幸せになった証拠なんだから。あんたに関係ないでしょ」と叱られてしまった。
いや、ごもっとも。

脚本家の内館牧子さんが「愛しくてさよなら」というエッセイ集に、おもしろいエピソードを書いている。
まだOLだった頃にお世話になった男性脚本家に10年ぶりくらいに出会ったとき、いきなり「あの頃のあなたにはとても好感を持っていたんだけどなァ」とフォローもなく言われたそうだ。

内館さんは、「今の過度に素直な、楽な生き方と引きかえに、私は好感の持てる何か大切なものを失ったのかもしれない」と結んでいる。

本人が本当に幸せな状態がもちろん正解なんだけど、人の魅力の定義って難しいですね。

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<体のメンテナンス> 2001.6.23.

最近、整体に凝ってます。
きっかけは、テコンドー道場に通ってくる女子大生のIさんから強く勧められたことです。

Iさんは高校時代、陸上部の選手として活躍していました。
長距離の練習に加えて筋力トレーニングやストレッチで体を鍛え抜いており、180度開脚なんて楽々こなします(ウラヤマシイ!)。

毎日の激しい練習と試合の連続でケガに悩まされていたためか、若いのにスポーツマッサージやサプリメントにとても詳しいのです。
元教え子なので、今では私の専属マッサージおよびアドバイザーとしてこき使っています(笑)。

マッサージというと気持ちよさそうに聞こえますが、実際にやってもらうと悲鳴を上げるくらい痛い。
私は疲労から足腰の筋が張っているらしく、遠慮なくグリグリされていつも泣きそうです。
Iさん自身、高校時代は毎週のように整体に通っていたそうです。

彼女が言うには、道場生たちはあんなに激しく動いているのに、練習後は軽くストレッチをする程度なので信じられないと。
あと、糖分だらけのスポーツドリンクをガブ飲みしているのにも驚いていました。
最新のスポーツ科学から見れば、武道の世界はずいぶん遅れて見えるかもしれません。

私もいい歳なので、テコンドーを長く続けていくためにも、今後はお金をかけてでも体のメンテナンスに気を配ることにしました。
週2回のテコンドー、週2回のジョギング&ウェイトトレーニングをキープしながら、Iさんに紹介してもらった整体を週1回ライフスタイルに組み込みました。
もちろん、温泉もね。

それに加えて、テコンドーのP師範に勧められた「ストレッチボード」を購入(9000円くらい)しました。
傾斜のついたボードの上に90秒立つだけなのですが、この効果は絶大でした。
数日で足腰の張りが消えて、Iさんもビックリしていました。

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<異性の魅力(2)> 2001.6.24.

21日の「異性の魅力」について、女性の側からの意見も聞いてみましょう。

男性についても、久しぶりに会ったらガッカリさせられることがあります。
若い頃には夢を語って魅力的だったのに、今ではすっかりくたびれたオジサン。
会社と家庭で疲れ果てているのでしょうか。
あの頃の瞳の輝きを思い出してほしい。

たしかに、大人になって失うものは、男のほうが多いのかもしれません。
耳の痛い話です。
私も若くて怖いもの知らずだった昔を思い出すと、今の自分がちょっと情けないような気もします。

時が流れる以上、老化と死は避けられない。
でも、老け込むのは心がけと努力次第で防げると思います。

先日、2人の卒業生(女性)が学校に遊びに来てくれました。
先輩と後輩という間柄です。
後輩のほうはすでに結婚して子どもがいて、先輩のほうは恋人はいますが未婚です。

2人分驚かされました。
年上のほうが以前にも増して美しくなっていたこと(性格は変わってないけど)。
そして、失礼ながら年下のほうが化粧もせず、老けて見えたこと(昔はかわいかった)。
2人とも20代後半、この差はいったいどこからくるのでしょうか。

これは反論から先に聞いたのですが、ある専業主婦の友人の意見。

結婚した女性で、仕事を続けている人は若く見えて、専業主婦は老けて見えるとよく言われますが、それはあまりにも失礼だと思います。
家にいても、夫や子どものために美しくあろうと化粧や服装にいつも気をつけていれば、仕事をしていようが関係ないはずです。

やはり、条件ではなく本人の努力次第ということでしょうね。
矛盾するようですが私はなぜか、「若さとは年齢ではなく、心の若さのことだ」といった類いの言葉が好きではありません。
年輪を重ねることが、良くないことだとは思わないから。

ただ、運動もロクにしないまま中年に近づいて、だらしなく太っている人は苦手です。
身長や髪の毛だけはどうしようもありませんが(笑)、体のたるみはその人の努力放棄を表しているように思えてならないからです。
エステでお金だけ出して人まかせでやせようなどという発想も、私の中では同じレベルの嫌悪感です。

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<同期の桜> 2001.6.27.

偶然ってありますね。

昨夜父と食事に出かけたのですが、その店で新卒教師時代の同期Sに会いました。
そして今日仕事から帰るとき、もう一人の同期だったKが、珈琲豆の小売店から出てくるところを見かけたのです。
二人とはもう何年も会っていなかったのに、いきなり連日とは。

当時、Sと私はフィリピン人のダンサーと恋におちて、ほとんど毎晩のように彼女たちが踊っているバーに飲みに行っていました。
睡眠時間は3時間、使った金は100万を軽く越えました(笑)。
もう時効ということで、授業で使うラジカセの裏側に貼った彼女の写真を見ながら、眠気に耐えていたのもバカな思い出です。

Sは愛車の赤いスポーツカーに、彼女の名前のステッカーを貼って話題になっていました。
チャラチャラしたパステルカラーのシャツでいっしょに夜の街にくり出したSも、今ではよきパパであり、県教育委員会からも高い評価を受けて、生徒たちからも尊敬されている(らしい)立派な数学教師です。

同じ英語教師のKは、軽いノリの私と違って真面目な男でした。
コツコツと努力をして授業研究を重ね、1年後には、英会話のセンスだけでやっていた私よりもずっと上手い授業を見せられました。

夏にKのアパートに遊びに行ったら、超本格的なアイスコーヒーを目の前でつくってくれました。
「実はおれ、コーヒーだけにはこだわってるとよ」
メチャ美味しい!といって飲む私に、うれしそうに話してくれたのを覚えています。

当時私は1年契約の講師で、2回目の県の教員採用試験に落ちたところでした。

数年後、私立高校の英語教師となった私のところに流れてくるKの評判は、あまりいいものではありませんでした。
いわゆる出世至上主義で、上司に媚びへつらっているといった類いのものです。
私は噂を絶対に信用しない男ですが、同僚から好かれていないようなので心配はしていました。

今日、煎りたての珈琲豆を買って嬉しそうに店から出てきたKを見て、車を運転中だったので声はかけられなかったのですが、「根本は変わってないな」と安心しました。
同じ珈琲愛好家だから、わかります。

お互いどんな生き方になろうとも、SもKも同期の桜。
男として自分の信じた人生を歩いていきたい。
もっと年をとってから、3人で飲めたらいいな。

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<ノータイ> 2001.7.6.

毎日暑い日が続きますね。
私はここのところずっと、職場では半袖のボタンダウンのカラーシャツにノータイです。
これにはいくつかの理由があります。

通勤途中に見ていると、一般の会社員のみなさんはスーツを着ているようです。
ここは南国宮崎ですよ…見るからに暑苦しい。
北海道の冬休みが長いように、宮崎の夏の仕事着はTシャツでいいのでは?(笑)

私の職場では、体育科以外の男性教師はほとんどがネクタイをつけています。
でも私は英語教師なので、もう少しカジュアルでいたい。
「やっぱり今日はピンクだ!」
最近は毎朝、生徒たちが私のシャツの色当てをやっているようです(笑)。

しかしいちばんの理由は、私がかなりの低血圧(95〜45くらい)ということです。
午前中はボーッとしていて、午後は異常に疲れやすい。
私の五月病が毎年夏休みまで続くのは、この生まれつきの体質によるところが大きい。

冬はいいのですが、暑くなると血管が広がり、余計血圧が低くなってしまうのです。
そうすると、仕事の能率が下がる。
実力を発揮するためにも、多少ヒンシュクを浴びながらもノータイで通すつもりです。

週刊文春に、ファッションジャーナリストの日置千弓さんが「ビジネスマン諸君!ノータイ背広に挑め」というタイトルで、欧米でも主流の「センツァ・クラバッタ」(イタリア語でノーネクタイ)について記事を書いています。
若くありたいオジサンたちには参考になりますよ。

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<マスターズ> 2001.7.8.

35歳以上のアスリートたちが競う、日本スポーツマスターズ2001まで、あと2ヵ月ちょっとになりました。
先日、本県の選手3名が地元テレビ番組で紹介されていたのですが、感動モノでした。

中学校で陸上部を指導している40歳の女性。
綱引きに出場する48歳の男性。
2人とも若い頃の夢を忘れられずに、地道にトレーニングを続けています。
試合そのものよりも、それに向けての練習風景のほうが私の興味を引きます。

最後の1人は、空手に出場する近所の動物病院の先生(65歳)でした。
毎朝起きて、空手の型で一日が始まる。
忙しい仕事が終わると、空手道場の師範として子どもたちを指導する日々を送っています。

「あと80日を、ひとつの目標に向かって充実して生きるために出場を決めました。勝ち負けなどよりも、自分に恥ずかしくない試合ができるかどうかに賭けたい。そのために体と心のコンディションを整えることがいちばん大切。試合のために急な特訓はしない。マスターズが最終ゴールなんて思っていませんから」

同じ武道家として、共感できる言葉でした。
試合はルールのあるスポーツ。
武道とはあくまでも個人的な、人生をよりよく生きる「道」につながるものです。
日頃から肉体・精神のコンディショニングに留意し、事に臨んだときに自分をいかにコントロールできるかが問われます。
そんな基本的なことを、改めて思い出させてくれました。

それにしても、3人とも若い!
みんな実年齢より少なくとも10歳は若く見えました。
やはり上っ面だけを飾るのではない、日頃の鍛練が歴史的な結果として出るのですね。
私も彼らに負けないように、チャレンジを続けていこうと思いました。

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<このホームページを応援してください> 2001.7.11.

福岡県に、宮崎哲也さんという方がおられます。
宇多田ヒカルや浜崎あゆみなどの歌に出てくる英語を楽しく解説した「カラオケ・イングリッシュ」というユニークな本を出されています。

英語授業に活用しようと購入したところ、まえがきの最後に次のような言葉がありました。

+++++

本書を、音楽(カラオケ、ピアノなど)が大好きで、英語への興味も芽生えていた亡き長女(陽子、享年9歳)に捧げたい。
とても明るい子だっただけに、本書を手にして、はしゃぐ姿が目に浮かぶようである。

娘の事件に関する詳細は…
http://members.tripod.co.jp/TMiyazaki/

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宮崎さんのホームページ、特に「ショート・エッセイ」を最初から読んでいるうちに、涙が出てきました。
とても明るいテンポで書かれている「カラオケ・イングリッシュ」の陰に、愛する娘さんのこんなに悲しい出来事があったとは…。

「文武両道」を支持してくれる読者の方なら、たとえ同じような経験がなかったとしても、きっとわかってもらえるはずです。

愛する子どもと引き離され、会うこともできない悲しさを。

卑怯な行為でもやった者勝ちという不合理に対し、裁判所や法律さえもあてにならない中、孤立無縁で戦い続けねばならない悔しさを。

私は公務員ではありませんが、学校の中にいる教師という立場です。
しかしそれ以前に一人の男であり、父親です。
宮崎さんの戦いを応援します。

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<焼肉40人前!> 2001.7.12.

えらいことになりました。

今日は、1年生の球技大会(バレーボール)。
我がクラスの連中も張り切っていたので、担任としてはあとでジュースかキャンディーくらいはオゴってやるつもりでいました。

ホームルームで生徒の一人が、
「先生、もし優勝したら、全員に焼肉をごちそうして〜」
出場するのは20チームです。
優勝などできるはずがないので、
「ああ、いいよ。ただし優勝だけだぞ。準優勝とかはダメ」

結果を先に書きますが、なんとあいつら本当に優勝しちゃいました…。
試合中の応援はずっと「やっきにく!やっきにく!」でした。

そんなに強いチームじゃなくて、どの試合も僅差で危なっかしいのに、いつの間にか勝ってたというラッキーパターン。
友人関係のトラブルなどがあって、クラスのまとまりもイマイチだったのに、食い物がかかると突然一致団結しやがって…。

優勝の瞬間、感激で泣いてるヤツもいたけど、私も別の意味で泣きたかった。
40人に焼肉をオゴったこと、あなたありますか!?

生徒たちよ、波乱万丈の経験をさせてくれてありがとう(ヤケクソ)。
武士に二言はない、夏休みはオレについてこい!(涙)

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<価値基準は変わる> 2001.7.21.

勤務先の学校が、校舎改築に伴ってスリッパからすべて土足へと変わりました。
いつも靴を脱ぐ玄関からそのまま上がっていくとき、ちょっとした違和感がありました。
生徒たちも、なんとなく勝手が悪そうでした。
でも、すぐに慣れてしまうのでしょう。

おかしなものです。
昨日までは、土足のまま教室に入ると厳しく叱られていたのです(礼儀作法に厳しい学校なので)。
今日はもうスリッパを履いていると注意される(笑)。
こうしてみると、あるひとつの基準なんて、あまり深刻に考えないほうがよさそうですね。

極端な例が、戦争でしょう。
学生時代に年輩の方から聞いた話です。
「私たちは戦争に行って人を殺したんだから、もし今なら殺人犯で逮捕だ。でも当時はそれが正義だったんだから、何が正しいとか間違っているとか、時代によってアテにはならないもんなんだよ」
今まで鬼畜米兵などと目くじらを立てていた教師たちが、戦争に負けると突然民主主義を唱えはじめて不信感を持ったなどと、よく聞く話です。

オーストラリアに行ったときの体験談。
日本と違って、線路の踏切で車は一時停止しなくていいのです。
考えてみれば当たり前ですよね、遮断機があるんだし(笑)、どう見ても電車なんか来てないんだから。
気持ちよかったです、踏切をぶっちぎって走るのは。

高校卒業までは、アルコールを飲んだら停学です。
しかし数日後に短大や大学に入れば、新入生歓迎コンパから始まって、アルコールが出ないとは考えにくい。
つまり、黙認ということでしょう。

卒業生が、金髪にしてピアスに化粧、派手な服装でタバコを吸いながら、これみよがしに学校に遊びに来る。
ほんのこの前まで厳しく注意していた怖い先生も、ニコニコ顔です。

時代(時期)によっても、場所によっても、価値基準はあっという間にコロコロ変わる。
絶対なんてことは、絶対ない(笑)。
だから今「自分なんて…」と思っている君、な〜んも落ち込む必要なんてないんだぞ、と生徒たちに話したことでした。

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<「文武両道」の存続危機?> 2001.7.22.

「私はコレでホームページをやめました」という雑誌の記事を読んだ(けっこう笑えた)。
実は私も最近、正直なところ「管理人やめようかな…」と思いはじめている。
モチベーションがなくなったというのか、自分がやっていることがバカらしくなってきたというか…(今ごろ気づくなって?)。

記事には、元管理人たちのいろいろな体験談が書いてあった。
「迷惑メールや嫌がらせの掲示板書込みが止まらなかった」
「情報を発信して与えるだけで膨大な時間を浪費し、何も自分の得にならなかった」
「カウンターがぜんぜん増えなかった」
「書くことがなくなった(テーマに飽きた)」
「会社で更新していることが上司にバレて叱られた」…etc.

私の場合は…そうだなあ。
「文武両道」はもともとコンセプトがあいまいで、別名「優柔不断」とも呼ばれている(笑)。
要は飽きっぽい管理人の「広く浅く」「熱しやすく冷めやすい」性格がそのまま出ているわけだ。

立ち上げ当初、トップページに書いたモットー。
「読んでも読まなくても同じ文章は書かない」
新聞の読者投稿欄とかに、どうでもいいようなことを書いて掲載されている文章に対するあの嫌悪感。
でも続ければ続けるほど、自分でそのモットーを破っているような気がする。

それと、ちょっとここでは詳しく書けないけれど、「文武両道」の文章が悪用されたこともあったなあ。
その結果、ホームページが一時閉鎖に追い込まれたことも…(数日後に無理やり復活させたが)。

何かを表現すれば、必ず反論は来るものだ。
その覚悟がないと文章など発表できないし、無難に生きようと思えば、とにかく何もしないこと、目立たないに限る。
そんな生き方はつまらない、とはいうものの、言葉じりをとらえて非難されると精神衛生上よろしくないのも事実だ。

俗っぽいことでマイナス?面をあげると、他人からのアプローチに利用(というと悪いけれど)される場合もある。
ある女性と話していて、やたらと私の性格や好み、考えていることを言い当てるわけだ、さも自然にわかったように。

そうすると、ひょっとしてこの女性は自分にとって特別な存在では…などと(ちょっと大げさか)考えてしまいかねない。
しかしなんのことはない、相手は私の本やホームページで十分下調べ?をすませているのだ(それはそれですごいことだけど)。

そんなとき、個人的な日記などインターネットで世界に向けて発信(笑)している自分のマヌケさが実感されるのだ。
ロムる(読む)だけでネット上に姿を表さない連中が、好きにはなれないが、むしろ賢く思えてくる。

まあ、こんな中途半端な「文武両道」も全国オフ会までやったし、最初は盛り上がって集まっていたメンバーもそれぞれ巣立って?いったし、「娘への手紙」なんかは単行本化するとして、そろそろ区切りをつけて、今後インターネットは情報収集の手段として活用することにしようかな。

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