<新「文武両道」始動!> 2000.7.21.

 今日からようやく更新ができるようになりました。

 大切なホームページのデータをすべて一瞬にして失い、茫然自失。しばらくは立ち直れませんでした。ド素人はこれだから困ります。でも、デジタルの世界の怖さというか、実態のなさを思い知らされていい勉強になりました。

 最近プロバイダを宮崎ケーブルテレビに移して、大満足。24時間インターネットにつなぎっぱなしでも、月にたったの5000円。電話代ゼロだからストレスがなくなりました。ISDNよりスピードもずっと速いし、快適です。オススメですよ。

 今日から生徒たちは夏休みですが、教師はもちろん仕事です。課外授業や保護者面談、調査書作成や指導要録書きなどで大忙し。違いといえば、生徒がいなくて静かなことくらいです。各地で夏祭りも始まっているみたいですが、あいかわらず一人で文武庵にこもっています(笑)。

 文章だらけの「文武両道」、ある程度の量になったら1冊の本にまとめてみようかと考えています。3大テーマは、「英語」「武道」そして「心の癒し」、裏テーマは「離婚と子ども」です。これからは最低でも毎週末に更新していく予定です。ご意見やご要望をお待ちしています。

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<本を出すということ> 2000.7.26.

 今日は、明治図書さんから久しぶりの原稿依頼がありました。年末に発売される「楽しい英語授業」という本に載るそうです。ありがたい、養育費を稼ぐぞ!(笑)

 明治図書さんで書かせていただくようになったきっかけは、私のミーハーな性格のおかげ?です。20代の頃、「おもしろくて、わかりやすくて、ためになる」授業をやりたかった私は、毎日のように書店に通い、その方面の本を買いあさっていました。

 その中で「英語授業の上達法」(柳井智彦/明治図書)という本と出会い、大きな影響を受けました。著者は大分大学助教授(現教授)。隣の県ではないですか。同じ九州に、こんなにすごい人がいる。すっかりファンになった私はその後、柳井先生の著書や論文をかたっぱしから読みまくって、自分の授業に応用しました。

 そんなある日、職場の机の上に置かれていた1枚のビラ。宮崎の英語教師のナントカ研究会で「柳井智彦講演会」! その場で申し込みの電話をかけました。

 そして当日、柳井先生のお話と実演で刺激を受けた私は、思いきって先生に名刺を出して話しかけたのです。私が尊敬する人に共通することなのですが、英語教育界では有名人の柳井先生もまた腰が低く、私のような若造にもていねいに接してくれました。

 その年の夏に大分で行なわれた研修合宿に自費で参加、柳井先生と再会した私は、あつかましくも論文を何本か提出しました。宮崎に帰ってしばらくすると、柳井先生がたくさん本を出している明治図書さんから、生まれて初めての原稿依頼があったのです。

 「どうしたらそんなに本が出せるの?」と聞かれることがあります。もし自分の本を出してみたいという人がいたら、私は言いたい。私のような平凡な田舎教師にもできたのです。あなたにもできないはずはない。「いつか必ず自分の本を出すぞ!」という目標に対する強い意志があれば、必ずできる。要は、絶対にあきらめないことです。

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<子どもの誕生年ワイン> 2000.7.29.

 「文武両道」の「ともだちリンク」でおなじみ「ななくさワインクラブ」作者、ワインエキスパートのNAX三河屋さんといっしょに、「パリ16区」という店で赤ワインを買ってきました。同サイトの「子供のための誕生年ワイン」という記事に影響されて、離れて暮らす6歳の娘の生まれた1994年もののいいワインを探してもらったのです。

 これから14年の間「パリ16区」地下のセラーにねかせて、時を超えて娘の二十歳の誕生日にプレゼントできたら…と思っています。乾杯していっしょに飲むことができたら、もう最高ですね。NAX三河屋さん、本当にありがとうございました。

 人生、いつ何が起きるかわかりません(少なくとも、計算通りにいくことはまずないでしょう)。こうして健康で文章を書いている私も、明日にでも交通事故や急病で死んでしまう可能性もあるのです。死ぬ瞬間に私の頭をよぎるのは、きっと娘の顔でしょう。

 めったに会わせてもらえない娘には、このホームページ、私の本(英語の本にも例文の中に娘の名前がある)、そして今日買ったワインを含めて、父親としての愛情を「形」として残しておきたい。そう思いながら、セラーにワインのボトルを入れました。

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<本を出すということ2> 2000.7.31.

 私が「自分の本を出したい!」と強烈に意識したのは、大学時代の友人である宮野智靖君(現関西外国語大学短大部助教授)が、まだ26歳で出版した英会話の本を宮崎の書店で見かけたときでした。

 正直言ってそのときの気持ちは、嫉妬と羨望でした。いっしょにバカをやって、エッチな話などしていた悪友が、しばらく見ない間に本の著者に! 全国の書店に自分の本が並ぶのです。夢のような話ではないですか。

 私はすぐに大阪まで飛んで、宮野君に会って話を聞きました。そのときの具体的な様子は、拙著(なんて書いてみたかったんだよなーあの頃は)「HOW TO 旅」を読んでもらえるとうれしいです。宮野君は、自分の得たノウハウを惜し気もなく私に公開してくれました。

 その後、宮野君とは数えきれないくらいのFAXでのやりとりがあって、「凡人の英語術」という本の企画書をある出版社に送ったのですがボツ、結局は宮野君の出した英検2級の単熟語集シリーズを引き継ぐ形で、私の処女作が出版されました。あの日の感動は忘れられません。

 私は当初、宮野君への感謝の気持ちから「共著でもいい」と申し出ていました。しかし彼は、「本を出す者にとって、1册目はとても重要な意味を持つ。次につなげるためにも、中元個人の著書にすべきだ」と言ってくれたのです。

 そして昨年、テコンドーの友人でエッセイ集を自費出版したMさんに刺激されて、同人雑誌に長年書きためてきたエッセイをまとめて出版。こうしてふり返ってみると、人との出会いのおかげで私は本を書かせてもらっていることになります。ありがたいことです。

 プロのダンサーをめざして東京に行った、ある卒業生から聞いた話。彼氏と同棲を始め、生活費を稼ぐためのバイトに明け暮れていたある日。偶然つけたテレビで、同じく東京でがんばっていた宮崎出身の先輩が、安室奈美恵のバックダンサーとして踊っているのを見たそうです。どれだけ驚き、うらやましく思ったことか。もし自分もダンスだけに打ち込んでいたら、ひょっとすると今ごろは…。

 今日、帰省してきた彼女と会ったのですが、彼氏とはきっぱりと別れて、もう一度やり直すことに決めたそうです。私もまた、英語も武道も中途半端なままここまできてしまったので、今年の正月から「文武庵」に移り住んでこの2つを極める決意をした身。お互いに夢を持つことで、立場と年齢差を超えて(笑)話が盛り上がりました。

 本の出版に限らず、歳をとっても夢や目標を持つことはすばらしいことだと思います。

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<なんじゃこらワイン会> 2000.8.1.

 NAX三河屋さんの「ななくさワインクラブ」の第1回オフ会があることを今朝になって知り、予定を変更して飛び入り参加させていただきました。いやー楽しかった。掲示板でハンドルネームを知っているだけの初対面の方がほとんどでしたが(県外からも)、みんな本当にいい人ばかりでした。

 私はアルコールがほとんど飲めないので(今日は飲みすぎてダウン)、ワイン会員としては失格ですが、美味しいワインをちょっとだけ飲んで、豪華な食事と内容のある会話を楽しむのは大好きです。それでついに、同ホームページのワインクラブに入会してしまいました。

 パソコン(インターネット)を始めてから、予想もしなかったような人とのつながりがたくさんできました。私のホームページに来てくれる人たちも、今夜お会いした方々も、パソコンを買わなかったら絶対に出会っていないはずなのです。不思議です。

 今ほど出会いの機会が多い時代はないでしょう(私が独身なのはほっといて)。インターネットはもちろん、ケータイのメールなどを利用したり、ビジネスとしてもさまざまな出会いの場が提供されています。喜ばしいことだと思います。

 しかし逆に、それだけ危険な出会いも増えるということになるわけです。今夜のオフ会のメンバーでホームページを持っている人も、その危険性を話してくれました。特に女性は、被害にあう確率が高いでしょう。勤務先の学校の生徒たちの中にも、安易な出会いを求めたがために傷ついた子がいると聞きます。

 私自身もホームページをやりながら、嫌な思いをしたことが何回かあります。世の中にはいろいろな人がいます。何の関係もない者に対して悪意を抱く変わり者も存在するのです。出会いに限らず、これからの社会では、各自が自己防衛の意識を高める必要がありそうです。

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<スキャンダル好き> 2000.8.3.

 地元の月刊情報誌で、アメリカとカナダの友人がインタビューに答えていました。印象に残ったのが、「宮崎の人のどんなところが嫌いですか?」という質問に対して、「スキャンダル好きなところ。どうしてこんなにうわさ話が好きなんだろうと思います」と答えていることです。なるほどなあ、と思いました。

 田舎だから毎日退屈で、何か刺激的な出来事を求めているのかもしれませんが、まあこれは宮崎に限らず、日本人全体の特徴だろうと思います。

 ある事件が起きると、マスコミがいっせいに騒ぎ立てて、まるで日本中がその話題でもちきりのように私たちを錯覚させます。実際にはそれよりも深刻な問題かもしれない数日前の事件は、あっという間に隅のほうに追いやられてしまいます。流行についても同じ。ある日突然熱狂して、急速に冷めるのが日本人のようです。

 それからもうひとつ。ある事件が起きると、まるでそれがブームであるかのように連鎖反応を起こして、同じ世代や環境の者が似たような事件を起こし続ける。一般大衆も、常識を逸脱した事件の連続にまゆをひそめながら、まったく関係のない立場にいてそれを語れる自分に軽い興奮をおぼえる(嫌いな心理だなあ)。

 最近は、大手メーカーの牛乳がいたんでいたというニュースに端を発して、次から次に食品メーカーの管理ミスがやり玉にあげられているようです。仕事から戻ってニュースを見ると、「また?」と思うくらい連続で訴えられています。今日の宮崎でも、パンにカビがはえていたとか。

 もちろん人が食べたり飲んだりするものを作る責任の重さは、油断することなく認識していてもらいたい。しかしこう毎日のように聞かされると、少しうんざりしてきます。これらの出来事は、最近になって急に起こりはじめたことなのでしょうか。みんなちょっと敏感になりすぎているような気がします。

 いくら完璧に管理したとしても、しょせんは飲食物なのだから、たとえ賞味期限内でも腐るときは腐る。食中毒を起こすような菌が入っていたというなら別ですが、まあ長い人生、パンにカビがはえることもあるだろう、くらいの幅は持っていたいものです。

 メーカーにクレームをつけるのは正当なこととしても、なにも公にまでする必要はないだろうし、その心理のどこかに、今なら大騒ぎになるのでは、という計算があるように思えていい気持ちはしません。

 今日届いたのですが、アメリカのクリントン大統領が自らパロディー主演して大きな話題になった 爆笑ビデオ、さすがアメリカ人と感心しました。ヒラリー、ゴア副大統領ほかすべて本人が出演しているのです。あの不倫騒動のあとにこんなバカな企画にのる政治家たちのジョーク精神、それを笑いとばす国民の余裕、日本人も見習うべきではないでしょうか。

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<季節感のない生活> 2000.8.5.

 今日の宮崎は、夏の風物詩である花火大会でした。若い頃は夏といえば祭りと花火大会、会場まで必ず出かけていたものです。しかしここ数年間、意識的に華やかな場を避けている自分に気づきます。

 離婚して人生が一変しましたが、その中のひとつに、生活の中の季節感がなくなったことがあげられます。家族で暮らしていれば楽しみだったはずの一年間のさまざまな行事も、独りでいるとほとんど意識せず、むしろ冷めてしまう。正月でさえ、今では何の感慨もなくなりました。

 ハワイに住む人が言っていたことです。
「日本には四季があるから、過去の思い出がそれぞれの季節につながっていますよね。たとえば、あれは桜の散る頃のことだったとか、雪の降る寒い夜だったなど。でもハワイは常夏なので、そういう感覚がわからないんです」

 逆に言えば、だからこそ過去にこだわらず、いつも前向きで陽気に生きていけるのかな、とも思います。私の場合は残念ながら、過去にこだわりつつ季節感がない生活なのですが(笑)。過ぎ去った日々のことを思い出すのは「女々しい」そうですが、私は別に「雄々しい」のがいいとも思わないし、そもそも少しくらいは女々しさがないと文章なんか書けないので、今日は開き直って懐古趣味?です。

 同僚のお父さんが亡くなって、今夜はお通夜に行きました。今年の春先に中学時代の友人の葬儀があった所なので、よけいにしんみりしてしまいました。海に身を投げての自殺でした。彼女は美人で太陽のように明るい、私の初恋の女性でした。結婚して子どもを産んで、彼女の人生に何が起こったのか、いまだにわからないままです。

 不謹慎な話ですが、今のところ独身主義の私も、落ち込んでしまった通夜の帰り道「こんなときに妻がいたら、ずいぶん気持ちも違うのになあ…」と思ってしまいました。遠目に見える花火のドン!ドン!という音を聞きながら。娘のことを思い出して、「今頃は新しい家族で花火を見ているのかなあ…」とか。家に戻って独りで塩をまくことにも、まだまだ慣れません。

 でも帰り道、ミニスカートのお姉さんによそ見していて、電柱に車をぶつけそうになった程度なので、私もまだまだだいじょうぶ!(笑)

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<温泉宿への逃避> 2000.8.8.

 昨日から夏休みを先取りすることに決めて、発作的にひなびた温泉宿でくつろいできました。平日なのでさすがに人も少なく、温泉も貸切り状態。1泊2食付で8600円。仕事のことは忘れ、携帯も切って、着がえとDVD(「WHO AM I?」「ノイズ」)だけを持って出かけました。

 この田舎宿にはなんと部屋の外に露天の岩風呂がついていて、いつでも一人でゆっくりつかることができるのです。うれしいのが宿の屋上にある露天風呂。ちょっと人工的ですが、バスタブにジャグジーとライトアップがついていて、星空を見ながらの缶ビールは最高です。

 DVDやマンガ本を楽しんで、夜中の1時ごろに岩風呂につかっていたら、今まで雨模様だった夜空がすっかり晴れ上がり、山奥ならではの満天の星空。あんなに美しい星空は久しぶり…いや、忙しい毎日、ゆっくり星を眺めるゆとりさえ忘れていたというほうが正しいでしょう。ラッキーなことに、目がさめるような素晴らしい流れ星を2つも見ることができました。

 ストレスだらけの毎日、たまにはこんな、誰にも邪魔されない息抜きのひとときを持つことも大切ですね。逆に、いつも忙しいからこそ、このようなリラックスを楽しめるのかもしれません。毎日が日曜日では、ありがたみがなくなるでしょう。「よく学び(働き)、よく遊べ」、これにかぎりますね。

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<秋の気配> 2000.9.4.

 文武庵の窓の外では、闇の中からかすかにスズムシの鳴き声が聞こえてきます。なかなか風流なので、風呂から上がるとめずらしく缶ビールを開けて、久しぶりに文章を書こうという気になりました。今日は癒し系の文章ということで(笑)。

 今朝、目がさめて外に出てみると、蒸し暑かった昨日までとはうってかわって、空気が冷たくなったのを感じました。空を見上げると入道雲はいつの間にか消えていて、空の色も透き通った青に変わっています。一年の中で私がいちばん好きな秋が、少しずつ近づいてきたようです。

 仕事から帰る道、夕焼けの山を見ているうちに、あっという間にあたりは暗くなっていきます。ほんのこの前までは、この時間帯はまだ明るかった。秋の夜長といいますが、季節によってさまざまな風情を見せてくれる日本はいいなあ、と思います。

 昨日の日曜日は真夏日でとても暑かった。実家の庭では父が草むしりをしており、太陽で焼けた草の匂いが地面から吹きつけてきました。
「一戸建てとマンションの人を比べると、庭のある一戸建てに住んでいるほうが長生きするそうだ」
いつもなら聞き流す父の気まぐれな言葉も、なるほどと思えました。コンクリートに囲まれて生活するなんて、人間にとっては不自然なことに違いありません。

 世界最強の武道家、ブラジルのヒクソン・グレイシーは、格闘技のトレーニング以上に、海や山などの自然からエネルギーをもらうことにかなりの価値観を持っているといいます。先日引退した元横綱の若乃花も、悩みがあると真夜中にこっそり相撲部屋を抜け出して、海岸で静かな独りの時を過ごしたそうです。

 比較の対象にはなりませんが、私も先日友人たちと久しぶりに山奥の川へ泳ぎに行きました。なんでもないことのようですが、川の水に触れて緑の風に吹かれて、疲れ果てていた体と心がずいぶん癒されたような気がしました。河原の石の上に寝転んでいるうちに、ウトウトと居眠りまでしてしまいました。

 そのときに思いました。離婚してからずいぶん長い間、自分はいろいろな意味で閉じこもっていたのだなあ、と。本を出したのも、ホームページを始めたのも、泥沼の中であがきながらもなんとかして抜け出そうとしていた経過でしょう。私的なホームページに集まってくれて、落ち込んでいた心を明るく開放してくれた仲間たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

 そういえば先日、北海道の友人があることでショックを受けたときに、悩みながらも外に出て土をいじっているうちに気持ちが落ち着いてきた、と聞きました。気持ちがブルーになったら、裸足になって大地を踏みしめてみたり、星空を眺めるのがいいかもしれません。

 私が住む文武庵は実家の離れに建っているのですが、八畳間の小さなプレハブで、場所的には山を切り崩した崖っぷちにあります。周りは緑一色なので、虫や蛇もいるのですが、夕方になると山から狸が庭に出てくるようなのどかな小屋です。雨が降ると、屋根に当たる音がダイレクトに部屋の中に響きます。住み始めたときはうるさかったのですが、最近はそれもまたよし、という心境になってきました。

 今年も去り行く夏ですが、記憶に残っているのは、夏休みが無限に感じられた小学生の頃。朝早起きをしてラジオ体操に集まったり、毎日のように学校のプールに泳ぎに行っていました。その日その時が楽しくて、先のことなんて考えていませんでした。夏休みといえば日焼けして真っ黒になるのがあたりまえ。今の自分はどうだろう。考えることが多すぎて、今この瞬間を楽しむことができない。今年もほとんど日に焼けないまま、夏が終わります。

 個人的には、ほろ苦い思い出が多くて夏は好きになれません。恋人や妻、そして娘と過ごした楽しいひと夏もあるのですが、つらかった思い出が過ぎてしまえば美しくなるように、楽しかった思い出はそれを失って時間が流れると、逆につらくなってしまう。夏の照り返すような暑さが、わき上がる入道雲が、美しい花火の音が、軽い鬱状態を呼び起こしてしまうのです。

 ようやく秋の気配。車をとばして宮崎の海に出ると、ピンと張った空気を通して、空も海も山も鮮やかな彩りを見せてくれる季節になろうとしています。夜、外に出ると、満天の星空が美しく広がっています。こんな涼しい夜に、愛する女性とそのあたりを散歩でもしてみたいものだなあ…と、最後はいつものオチでしめましょう(笑)。

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<さよならアンディー> 2000.9.15.

 多少なりとも自分に関係のあった人物が亡くなったとき、その死を悼みながらも、どこか自分が今人生の一大事とかかわっているのだという意識に軽い興奮を覚え、悲痛な表情を浮かべながらも、無意識のうちに快活にさえなってしまうものだ。今年の春、自殺した友人の通夜の席でそう感じた。

 どんな有名人や親友の死でも、時の流れとともに当時の悲しみは忘れ去られていき、人々は何事もなかったかのように、もとの生活に戻っていく。人生のターニング・ポイントとさえ感じられたことも、過去の思い出のひとつとして埋没し、再び軽薄に笑いふざけはじめ、とるにたらないことで一喜一憂をくり返す。そうでなければ人は長い人生を明るく生きていけないのだが、私はそんな生身の人間のたくましさが苦手なほうだ。

 格闘技というマイナーなスポーツの中でも、ヘビー級キックボクシングのK−1で一般の人たちにも知名度があった、アンディー・フグが急死(2000.8.24.急性前骨髄性白血病)したときも、マスコミやインターネットなどさまざまな場面で同じような嘆きが聞かれた。ひねくれた見方かもしれないが、今までろくに格闘技など見たこともないような人まで「なぜ!大好きな選手だったのに…」「生前私とは仲がよかった」などとコメントしているのには苦笑してしまった。

 アンディー・フグの死について1ヶ月以上書かなかったのは、そのような気持ちがあったからだろう。あることがブレイクしたとき、まだ無名時代からそれを支持してきた者たちは、昨日や今日飛びついてきた者たちがいっぱしのサポーターぶっているのを見て、その軽薄さを嫌う。幼稚な感情かもしれないが、アンディーがK−1デビューするずっと以前に同じ極真空手を修行していた私たちの世代は、同じような気持ちではないだろうか。

 私と同じ年齢のアンディーは、私が大山倍達館長の極真会館にいた時期に、まだ知られていなかった「かかと落とし」という豪快な技で一本勝ちを続け、世界大会で外国人初の準優勝を果たした。その後、新進気鋭の石井和義館長率いる正道会館に移って、私の大学の後輩にあたる佐竹雅昭らとともに今のK−1の土台をつくってきた(佐竹は現在総合格闘技の世界でがんばっている)。

 流派をかわったことについては、当時の極真関係者からいろいろと言われていた。しかし私は、アンディーがインタビューで語った経済的な問題、つまりプロの格闘家として十分に生活していける、チャンピオンになれば成功者として大金が入ってくるようになった今の状況に対して、最初に公の場で率直な提言をしたことについては大きく評価をしている。

 日本人以上に武道魂を持ち、厳しい練習はもちろん、私生活でもストイックな節制を欠かさない修行者だった。身長180センチというヘビー級の中では小柄な体で、この歳になるまでK−1トップファイターであり続けた彼は、「鉄人」と呼ばれていた。「かかと落とし対決」と期待された、我がITFテコンドーの世界チャンピオン、ピア・ゲネット(世界大会後のレセプションで話したがイイ男だった)を左フック一発でふっ飛ばしたのは、印象に残っている。

 今でも忘れられない感激の場面は、1996年に横浜アリーナで、アンディーがK−1グランプリで優勝して念願のチャンピオンになったときのことだ。私はそのとき、会場でファンのひとりとして観戦していた。顔面パンチなしの極真空手から、グローブをつけて殴り合う全く別の競技でなかなか勝てなかったアンディーが、努力によって夢を実現させた一瞬だった。そのひとときを会場の熱気の中で共有できたのが、今でもいい思い出として残っている。

 アンディーのいた場所とは比べものにならないが、私もテコンドーを始めてから長い間、極真時代のクセが抜けきれずに(今もだが)、ずいぶんともどかしい思いをしてきた。それにかぎらず、人生には思うようにいかずに「もうだめだ」と弱音をはいてしまうこともたくさんある。しかし、何度絶望的なノックアウトをくらっても努力で地獄の底から蘇ってきたアンディーを見習って、これからも日々精進していきたい。

 アンディーは、死の2カ月前に離婚していた。いろいろ事情はあろうし、十分に話し合った結果だろうし、日本人とは離婚についての考え方そのものが違うので無責任なコメントはできないが、やはり個人的には、元奥さんはどうしてもう少し待ってあげられなかったのだろう、と思えてならない。愛する息子もいる。夫が遠く離れた日本で活躍していても、永遠に今の状態が続くわけではなかっただろうに。

 それにしても、死とはなんとすべてのプロセスを無に帰してしまう、味気ないものだろうか。世の中には、不健康なことばかりしながら欲望を抑えることもせず、好きほうだいやって長生きする者もいる。一方、アンディーのようにプロに徹した生き方を選び、節制の限りをつくして強い体と心をつくりあげながら、若くして一瞬のうちに灰になってしまうケースもある。

 若き「鉄人」の突然の死という事実に、「人はいつか必ず死ぬ」という現実を改めて思い知らされた。あのアンディー・フグが35歳で死ぬこともありうるのだ。遅かれ早かれ、あなたも私もやがて死を迎える日が来る。それなのに、こんな生き方をしていていいのか? 死ぬ瞬間、「なんだ、こんなところで死ぬ運命だったのなら、もっと自由に生きればよかった…」などと後悔しないか? 今一度、真剣に考えてみたい問題である。

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<武道を修行する意味> 2000.9.18.

 テコンドーの大会に出場するため、広島に行ってきました。旅の途中で通過したことはあるけれど、滞在するのは始めての土地です。お好み焼きがすごく美味しいので、なんと4回も食べに出ました。

 出場者100名で盛り上がった中四国大会ですが、やはり私が最年長でした。しかし私は40歳で選手としてのピークを迎え、それ以降は達人、名人への道を歩む予定なので(笑)、まだまだです。今回は上位入賞できませんでしたが、とてもいい経験をさせてもらいました。

 ひとつの試合に勝ったあと、次の試合に出て、また勝ちました。トーナメントなので次に備えて休憩していると、何やら係の人たちが慌てている様子。どうも勝ち残った選手の組み合わせを間違えてしまったようで、たった今の私の勝ちは取り消され、本来の選手とすぐにやらねばならないはめになりました。当然選手たちからは苦情の嵐、不手際をしてしまった係は真っ青になっています。

 ここでまったく動揺しなかったことについては、自分で自分をほめてやりたい。事情を察して、すぐ試合場に立ちました。こういうときにこそ、武道精神が試されるのだと思って。不意の事態や不完全な条件の中でどれだけ対処できるかも、武道なのだから。相手は優勝候補のシード選手、こちらはまだ肩で息をしているオッサン。判定で差がついて負けましたが、不満はありませんでした。

 あとで事情を知った師範から「そんなん、どんな状況でも誰にでも勝たなあかん」とアッサリ言われて、かえって我が意を得たりという思いでした。どんなに仕事が忙しくても、テコンドー以外に打ち込んでいるものがあっても、体調が悪くても言い訳にはならない。ただ今回の事件は武道うんぬんではなく、単なる年の功なのかもしれませんが(笑)。

 何のために日頃から厳しい武道の練習を重ねるのか? 私の場合は、試合に勝つためではありません。ある一定のルールに制限されて闘うゲームの結果など、私の人生には何の意味もありません。生活の中の護身(護心)、これは大切です。万が一危険な状況に追い込まれたとき、不当な暴力にどれだけ対処できるか、精神的に傷つかないか。映画のヒーローのようにカッコよくなくても、なんとか切り抜けられる力はつけておきたい。

 しかしいちばん私が到達したいレベルは、何事が起きても動じない、少なくとも慌てふためいて醜態をさらさないくらいの精神的強さなのです。離婚という不本意な経験をして、私は自分がいかに精神的に弱い人間かを思い知らされましたから。今回持っていった本「僕にできないこと。僕にしかできないこと。」(春山満)にもありましたが、どんな悲惨な状況の中にも活路を見い出す「強さ」が武道家の条件です。その意味で、私は春山さんを「武道家」だと思っています。

 閉会式では、主席師範のあいさつがあります。内容は毎回同じ。
「テコンドーを修行して強くなれ。強いということは、人にやさしくなれるということだ。武道家なのだから、強くなって人にやさしくしてあげなさい」
それだけなのですが、私はこの単純なあいさつが大好きなのです。

 私がみなさんにテコンドーを勧める理由は、これです。たしかに人間は弱い存在ですが、その弱さに甘えてしまうと、好き勝手な行いで他人に迷惑をかけても、人間は弱いからとすべて許されることになります。生活の中に武道の修行をとり入れることによって、少しずつでも強くなれる。試合に勝たなくてもいい。他人と比較する必要もないのです。昨日の自分と比べて、今日の自分のほうが強いかが問題だと思います。

 このことについて、ある空手の先生は次のように語っています。
「一人一人が強くなれば、社会全体が強くなる。それによって、人間の弱さが原因である犯罪や悲惨な事故が減っていく。個人が武道を修行して強くなることは、実は健全な社会づくりに貢献していることでもある」
私はこの意見に大賛成なのです。何のために武道を選んだのか?という問いに、そろそろ答えが出ようとしているのを感じています。

 広島で宿泊したホテルは、平和公園が見おろせる絶好のロケーションでした。14階の部屋からは、夜景とともにライトアップされた原爆ドームが見えます。私は熱い珈琲を飲みながら、そのアンバランスな風景を眺めていました。するとそこに、すごい騒音とともに多数の暴走族が道いっぱいに広がって、奇妙な服を着てバイクに旗を立て、日曜の夜中の静けさをぶち壊します。

 私も好きなように生きている。君たちも何をやろうが自由だ。しかし、原爆投下という悲惨な歴史を持つ広島という地にせっかく生を受けながら、もったいない生き方をしていると思わないか。祖父母や両親の世代のあの体験は、すべて無駄になるのか。原爆ドームのある風景と、真夜中に騒音をたてて安眠を妨害する暴走族。なんともやりきれない矛盾を感じました。

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<オリンピックで八百長?> 2000.9.22.

 なんだ、あの柔道100キロ超級の決勝戦は? 誰がどう見ても、篠原選手の一本勝ちではないか。完全なミスジャッジ。主審と審判団が仕組んだ八百長ではないか、とさえ思えてくる。日本選手団はもとより、国民全体が激怒するような疑惑の判定だった。オリンピックの大舞台であんなインチキを見せられては、柔道は今後スポーツとして成り立たなくなる。世界中からナメられてしまう。

 ただ、武道の観点から少しだけ不満を述べさせてもらう。表賞式の篠原選手、気持ちは痛いほどわかるのだが、世界中の見守る場であそこまで露骨に落ち込む必要はないのではないか。金メダルは取れなかったが、試合に勝ったのは万人の認める事実。堂々と胸を張ってほしかった。泣いてくれる奥さんもいるではないか。柔道を修行しているのがメダルのためだけというのでは、あまりにも虚しい。

 金メダルを取ったフランス人選手。世界を代表する柔道家には間違いないのだろうが、あのような勝ち方で大喜びしてみせるとは、武道家として少々恥ずかしいことではなかったか。それとも、日本で生まれた柔道は、もはや単なるスポーツゲームになってしまったのか。観客も含めて、フランス人はお洒落でプライドがあるとひそかに好意を持っていたのだが、今夜はちょっと幻滅してしまった。

 その上で、マヌケな主審と審判団に言いたい。この日のために死ぬような練習を重ねてきた選手の気持ちの重さを、いったい何だと思っているのか。資格剥奪くらいですむような問題ではない。自分は血も汗も流したことがないくせに、人の必死の思いを踏みにじるような行為は、犯罪にさえ等しい。人の気持ちを理解しようとしない、いわゆる「おエラいさん」連中は、なにもスポーツの世界に限ったことではないが。

 抗議した山下氏のコメントによると、審判団長も「個人的には篠原のポイントだったと思う」と認めたとか。こんなごまかしの言葉に、わずかたりとも溜飲を下げてはならない。それなら最高責任者として、なぜその場で物言いをつけなかったのか。その場しのぎの言い訳ではないか。その決断もできない腰抜けのくせに、「それでもいったん下された判定は覆せない」などともっともらしいことを言うのは卑怯だ。

 全試合一本勝ちで見事に優勝を飾った、本県(宮崎)出身の井上康生選手は、一本勝ちにこだわる理由として「他人に下駄を預けるような試合はしたくない」と答えた。まだ22歳だが、立派な決意だと思う。宮崎の誇りだ。

 同じく本県出身で、ボクシングの世界チャンピオン、戸高秀樹選手。始めての世界タイトルマッチで、元チャンピオンサイドのずる賢い勝ち逃げ(会場にいた私は靴を投げた…武道家失格)にめげることもなく、再戦でキッチリとダウンを奪い、文句のつけようのない勝利で世界チャンピオンの座に輝いた。

 試合の勝敗に限らず、他人や世間の評判を基準にして一喜一憂している人が多すぎる。つまらない者の悪意になどふり回されてたまるか、というプライドを持ちたい。そろそろ私たちは「自分の評価は自分で決める」と肚をくくったほうがいいのではないか。

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<意地でも前向きに> 2000.9.29.

 最近どうも体の調子がおかしいと思っていたら、病院で「疲労とストレスによるヘルペス」と診断された。食欲はあり、テコンドーの練習をしても体は動くのだが、微熱が続いて倦怠感が抜けない。鼻のわきにヘルペスと思われる湿疹ができて、あごの下のリンパ腺が腫れ上がっている。最近ちょっと、体と心を酷使しすぎたか…。

 じゃあなぜエッセイなど書いているのかというと、アンディー・フグみたいに急死してしまうとまずいので、少しでも多くの遺書?を書き残しておきたくなったのだ(笑)。冗談はさておき、書きたいテーマは数えきれないほどメモしているのだが、いかんせん時間が足りないし、体がついてこない。

 いくら体を鍛えていても、もともと虚弱な体質はなかなか変わるものではない。まあ、精進料理みたいなものを食べてヨガや気功を修行するような生活を続ければ別かもしれないが(死の宣告を受けたガン患者が生活習慣を根本から変えて治った例もある)、私はほとんど開き直っている。というより、親からもらったこの体、前向きに考えることにしている。

 風邪ひとつひいたことのないような頑健な人が、ある日ポックリあの世へ逝ってしまうのをたくさん見てきた。医者嫌いで、病院など絶対に行かないタイプの人だ。その点私などは、「病気上手の死に下手」ということわざを信じていて、幼少時代からさまざまな病気に悩まされてはきたが、体に無理がきかないのがわかっているので、そのたびに適切なケアをして大病に到ることはなかった。

 疲れがたまったら、すぐに体に変調が起きる。これが私の長所?だと思っている。食べ過ぎや運動不足が続いて体脂肪がたまったら、まず顔に表れる。知人に「太ったんじゃない?」と言われる。だから、すぐに対応してウェイトをコントロールできる。脂肪率が増えても体だけが太る人はたいへんだな、とさえ思う。

 ほとんど負け惜しみのようだが(笑)、どうせ一度きりの人生、意地でも前向きに明るく楽しく過ごしてやる、というのが最近の私のポリシーだ。失恋?離婚?新しい出会いのための儀式じゃないか!なんてね。

 マイケル・J・フォックスだったか、昔インタビューで「あなたのように身長が低いと、ハリウッドスターとしては困るでしょう」と言われて、さわやかな笑顔で答えていた。「ズボンにアイロンをかける時間が短くて便利だよ。ただ、雨が降ってきた、と気づくのが君たちより一瞬遅れてしまうのが悩みだけどね」

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<氏名のローマ字表記> 2000.10.9.

 先日、国語審議会が「日本人の姓名のローマ字表記は「名―姓」の順でなく「姓―名」の順が望ましい」と発表した。私はもちろん賛成の立場である。

 山田太郎という名前を例にとれば(安易な発想…)、今までは通常 Taro Yamada と書いてきた。それをこれからは日本語表記の順番で Yamada Taro と書こう、ということだ。中国などではとっくにやっていることで、欧米に合わせた表記を続けているのは日本くらいのものではないだろうか。

 作家の夏目漱石などは、今までも Soseki Natsume ではなく Natsume Soseki と表記されてきた。これは文献などの関係上、日本人名が固有名詞として使われたことと、歴史上の有名人は通例このような表記が行われてきた経緯があるようだ。

 反対派の意見としては、今までずっと「名―姓」で通してきたのに、急に「姓―名」に変えたら欧米人に名のったときに誤解が生じるのではないか、ということらしい。急に変えたほうが、徐々に変えるよりも誤解が少ないような気がするのだが(笑)、要は現状のままいこうという保守的な考えで、どこか欧米文化に媚びたことろが感じられる。

 国語審議会の中では、「姓―名」の順番を誤解されないように、姓を大文字にして YAMADA Taro としてはどうか、という意見もあったようだ。たぶんこれは、英語で論文を書くときの表記法だったはずだ。異存はないが、私は堂々と Yamada Taro でいいと思う。

 インターネットで検索してみると、「どっちでもいいではないか。なぜそこまでこだわるのか。そもそも国語審議会は日本語を検討していればいいのであって、よけいなお世話だ」という意見もあった。たしかにどちらでもいいが(現に私の名刺は「名―姓」になっているという節操のなさ)、問題なのは自国の文化に対するプライド意識だと思う。

 「英語公用語化」問題についても、似たような気持ちでいる。これは「英語学習Q&A」にも書くつもりでいるが、なんとプライドのない発想か。母国語である日本語を自らの意志で放棄し、他民族の言語である英語を公用語にしようなどとは…。これは明らかな「自己植民地化」である。

 小さなことにこだわるわけではなく、その裏側に隠れている欧米に対する日本人の劣等意識、媚びが許せない。なぜならそれは、何らかの理由で優越感が持てる他民族への差別意識につながるからだ。どんなに小さな国でも、「独立」したうえで他と協調すべきである。

 明日、自分の名刺のローマ字表記を変えてこようと思っている。

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<失恋のダメージ> 2000.10.9.

 もうずいぶん時間がたったので、書いても影響はないと思う。生徒から失恋の相談を受けた。特別な内容ではなく、大人から見れば「よくあること」なのだが、初めての経験である本人にとっては深刻な問題だ。彼女には失礼だが、最近の状況にしては新鮮な感じのする相談だった。

 ずっとつき合ってきた彼氏から、何の前ぶれもなく別れ話の電話があった。他に好きな女性ができたらしい。会って話そうとしたが、断られた。ショックで立ち直れない。何もする気になれない。どこへ行っても、思い出の場所ばかりでつらい。思い出の曲を聞いても涙が出る。先生はどうやって離婚のダメージから立ち直ったのですか(苦笑)。

 私なりに本音で話し、彼女を励ました。前向きになる発想やテクニックも。いずれにしても、時間が必要だけれど。しかし、このように真剣に悩む高校生を見たのは、久しぶりだった。この10年間、まったく逆の姿ばかりを見せつけられてきたから。

 今の高校生たちの恋愛傾向を見ていてうらやましいのは、誰でも簡単に恋愛を楽しむことができるようになり、別れてもすぐ次の相手を探してくることだ(もちろん例外も多い)。セックスについても罪悪感などなく、実にあっけらかんとしている。いい意味でも悪い意味でもノリが軽い。立ち直りが早い。

 私が高校生の頃は、女の子に電話をかけるにも、まず親(特に父親)という関門を突破せねばならなかった。まだまだ親の存在が怖い時代だったのだ。今はほとんどの高校生が携帯電話を持ち、いつでもどこでもお手軽に、相手に直接連絡をとることができる。「理解のある」親は、ほとんどお友だち感覚。iモードなどの出現によって、出会いの場などいくらでもある。

 しかし本人たちは気づいていないが、かわいそうなのは「浅く広く恋愛症候群」の弱点といおうか、ひとつの恋愛に対する重みが感じられず、いちばん感性の豊かな時代にあっても深い感動とは無縁なことだ。と、いちおう大人みたいなことを書いてみたが、やっぱりうらやましい(笑)。

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<「ヤラセ」は是か非か?> 2000.11.10.

[未来日記]

 ウッチャンナンチャンの人気TV 番組の中で、「未来日記」という企画があった。オーディションで選ばれた素人の男女に恋愛ドラマの台本である日記を渡し、その通りに演じさせることによって、果たして本物の恋が芽生えるのかどうか、というものだ。

 何組かの出演者が今まで登場してきたのだが、いちばん話題になったのは「スケッチブック」というタイトルで、台湾の女性と日本人男性とのストーリー。テーマは「言葉の壁」で、言葉が通じなくても愛し合えるのかという内容だった。いい歳をして恥ずかしい話だが、めったにテレビを見ない私も、たまたま見たこの番組にすっかりハマッてしまった。

 いちばんの理由は、主人公の台湾女性、ルー・イーロンさんだ。21歳のOLというふれこみだったが、まずその美しさに一目惚れしてしまった。性格はひかえめで、感情表現も素直。もろに私の好みの女性なのだ。20代の頃につき合っていたフィリピンの女性ダンサーを思い出した。この「未来日記・スケッチブック」は、かつて自分が経験した恋愛のプレイバックだった。

 全国に感動を呼んだこの番組、実はいわゆる「ヤラセ」であったことが発覚した。イーロンは実は台湾のプロダクションに所属する女優、相手役のトシは番組を製作したテレビ局のカメラマンだったらしい。インターネットで検索してみたら、なんとイーロンのファンクラブのサイトがいくつか見つかって、アゼンとしてしまった。後日、写真週刊誌などでも話題になっていた。

[ガチンコ・ファイトクラブ]

 札つきの不良(死語)たちが、元ボクシングミドル級世界チャンピオン竹原慎二の指導するジムに入門し、短期間でプロテストに合格することを目標に、竹原と激しい対立をくり返しながら猛烈なシゴキに耐える中で成長していくという企画である。

 この番組については、緊張したシーンの連続で興奮させられるものの、随所に「ヤラセ」が行われていることは容易にわかる。練習でバテて立ち上がれないシーンなど、スポーツ経験者ならすぐに演技だと見抜けるし、雨に打たれるシーンでは、ドラマでよく使われる大型扇風機と水道水によるもので笑わせてくれる。

 しかし今考えれば、「未来日記」も「ガチンコ・ファイトクラブ」も、毎週見ていて本当に楽しかった。エンターテインメントとして割り切って、リアル感のあるドラマとしてハラハラしたり、それなりに感動もできたのだから、何も文句はない。「あれはヤラセだった!」と騒ぎ立てるのは大人げないように思う。バラエティー番組にはつきものの「演出」だと思えばいい。

(「ガチンコ・ファイトクラブ」については、出演者はボクシングのプロテストを受けた。これはもちろんヤラセではない。ボクシングの世界はそんなに甘いものではない。それに挑戦したのだから、出演者がそれなりのトレーニングをしたのは事実だろう。最初から受かる見込みの1名を除いては、2回受験して全員不合格となった。)

[伝説の川口浩隊長]

 私たちの世代のテレビ番組で、明らかにヤラセであることがわかっていても、ついつい見てしまっていたのが、今は亡き川口浩の秘境探検・世紀の大発見シリーズである。パロディー歌手の嘉門達夫が「ゆけゆけ川口浩」という歌で「川口浩が洞窟に入る カメラマンと照明さんのあとから入る♪」などと歌っていた。

 毎回、雪男やツチノコの類をあと一歩まで追いつめる?のだが、明らかに着ぐるみとわかる影をチラッと映像で見せるだけにとどめ、「あれはいったい何だったのだろうか…」というナレーションとともにエンディングの曲が流れはじめるという、ふざけた番組だ。あそこまでいくと、真剣に抗議するような視聴者もいなかっただろう。

[プロレス]

 お客さんを楽しませるために、ある程度の筋書きに沿って演じてみせるという意味では、格闘技のシミュレーション・エンターテインメントであるプロレスがあげられる。「プロレスは八百長だ」「いや、真剣勝負なのだ」「リング上の闘いはショーだが、プロレスラーは本当は強い」などの言い争いは、昔から小学生たちがやっている。

 プロレスラーが本当に強いかどうかという議論はともかく(ここ数年の異種格闘技戦において結論は出ているが)、リングの上でくり広げられるプロレスはあくまでも興行であり、観客を興奮させて楽しませる仮想のファイティング・パフォーマンスといえるだろう。

 この対極にあるのが、強さだけを重視し、試合に勝つことだけを求めるアマチュア格闘技だろう。代表はやはりグレイシー柔術か。こちらは結果だけが大切なので、観客のことなど視野に入っていない。派手な技を見せて喜ばせようなど始めから考えていないので、見る側からするとあまりにもあっけない勝負になったりする。

 最近の傾向として注目すべきなのは、プロレスと格闘技がそれぞれの長所に気がついて、融合しはじめている事実だ。プロレスはただ見せるだけではなく、実際の闘いにおいても勝てる技を研究して、格闘技は観客にアピールできるさまざまな演出をプロレスから学んでいる(例:K−1)。

 テレビ番組(特に民放)において、適度な「ヤラセ」は視聴者に楽しんでもらうための不可欠な「演出」と考えたほうがよさそうだ。もし私たちが番組を作る側にまわっても、たぶん現実をそのまま流すことはしないのではないだろうか。

 大切なことは、視聴者としてもう少し賢く楽しむことだろう。実話かもしれないとワクワクする子どものような気持ちと、エンターテインメントとして余裕を持って楽しむ大人の態度の両方が必要だと思う。

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<「ヤラセ」は是か非か?2> 2000.11.10.

[サンフランシスコ大地震]

 もうずいぶん前の話になるが、私は仕事でサンフランシスコの街を、地元のツアーガイドとともに車で走っていた。ちょうどサンフランシスコ大地震があった直後のことである。

 ところが、日本のテレビ報道で見ていたような、街全体が崩壊しているような様子はまったく見受けられず、何回も放映されていた倒れたビルなどどこにも見あたらない。不思議に思ってガイドに尋ねると、
「ああ、あれは特に古い町の一角で、都心のビルにはまったく影響がありませんでした」
との答え。

 「でも、たしか何百人も命を落としたって聞いたけど」
「ここをどこだと思ってるんですか。3分に1回誰かが銃で打たれて、毎日のように川に死体が流れている街ですよ。それくらいの死者数でいつまでもどうこう言っていられませんよ」

 もちろんそのガイドは大げさに話したのだろうが、少なくともこのときの経験が、「テレビはすべてをありのままに伝えているわけではない」と実感した最初のことだった。

[オーストラリアの日本報道]

 その数年後、オーストラリアに仕事でホームステイをしていたとき、夜のテレビニュースで日本の特集があった。驚いた。これはいったいどこの国だ?とさえ思った。

 流れている映像自体は、決して捏造されたものではなかった。都会の朝ではごく日常的な、サラリーマンの通勤ラッシュの駅。ホームに入ってきた電車に、無表情なサラリーマンたちが流れ込む。乗りきれない人たちを、車掌や駅員が無理やりに押し込むシーン。

 もうひとつ印象的だったのは、昭和天皇が亡くなったときに、皇居で土下座をして手を合わせ、何度も頭を下げる2人のおばあちゃんの映像。たった2人である。しかし、国の象徴とされる天皇が死んで涙を流す老女の表情には、やはりかなりのインパクトがあった。

 日本について何も知らない人がこれだけを見ると、日本人は「全国的に」ワーカホリック(仕事中毒)で、ギュウギュウづめの電車に乗って片道2時間もかけて会社に行くロボットのような企業戦士ばかりという印象をいだくだろう。日本人「全員が」天皇制を崇拝し、天皇の死をこの世の終わりのごとく嘆き悲しんでいると誤解しかねない。事実、ホームステイ先の家族はそのような表情をしていた。

 逆に私たち日本人も、他国の紛争や飢饉の映像などを見せられたとき、(もちろんそれは事実でもあるのだが)その国全体が悲惨な状況にあるような錯覚を起こしてしまいがちだ。これはある意味で危険なことともいえるので、少なくともそのような傾向については知っておくべきだろう。

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<「ヤラセ」は是か非か?3> 2000.11.12.

[ニュースでさえもヤラセ?]

 先日、NHK宮崎支局長の話を聞く機会があった。

 「映像はすべてを見せるわけではなく、テレビはすべてを伝えない」
「現場にいれば肉眼でいろいろ見えるが、ニュースでは残酷なシーンや不都合な場面はカットされている」
「実際にテレビで流れている映像の7〜10倍は撮影しており、取捨選択した結果は数分の1に過ぎない」
など、当然のことながら、あらためてなるほどと思わせる内容だった。

 テレビ局側にしてみれば、大衆に理解され、楽しませる番組でないと意味がないわけだ。つまり、理解されない、楽しくないものはカットされていることになる。自分たちの作る番組が大衆に支持され、視聴率を上げなければ、番組は打ち切りになってしまうのだ。逆に言うと、最近のテレビは低俗だという批判が向けられるべき矛先は視聴者自身であり、大衆の知的レベルが落ちてきたということにほかならない。

 小学5年生にアンケートをとったところ、約6〜7割の子どもがドラマやバラエティー番組(「中学生日記」や「伊東家の食卓」など)を現実と思っているという結果が出たそうだ。つまり、テレビ局側の巧みな演出によって、虚構と現実の境目がかなりあいまいになっているということになる。これは大人でも「未来日記」「ガチンコ・ファイトクラブ」が100%ノンフィクションと信じたケースがあるので、笑えない事実だ。

 あまり深くつっこむと哲学の世界に入ってしまうが、とりあえず視聴者の存在するテレビの世界においては、ドキュメンタリーであっても架空の部分のほうが多いと思っていた方が無難だろう。事実NHK支局長も、ドキュメンタリーを「フィクションとノンフィクションの中間に位置するもの」と定義していた。ニュースでさえも、「そのドキュメンタリーとノンフィクションの間にあるもの」だと。

 ドキュメンタリーの例として、暴走族の取材をする場合、当然ある一定の期間内に番組として編成しなければならないので、彼らに金を与えて街を暴走してもらう。「幻の動物」的なものでも、与えられた条件の中で必ずしも撮影に成功するとは限らない。むしろ、その逆だろう。よって、NHKでもはく製をフィルムに収めたり、着ぐるみで撮影した時代もあったらしい。

 事実そのものでないものをすべて「ヤラセ」と定義するならば、この世はヤラセだらけになってしまう。プロレスどころか、国技の大相撲もヤラセ。。八百長疑惑はマスコミに任せるとして、もともとが「祭り事」であり、たとえ格闘技の世界でも友人の選手を本気で殴れないことを考えてみても、すべてが真剣勝負だという考えには無理がある。どの場所でも調子のいい若手が現れて話題づくりをしているのも、不自然に感じる。

 先日行われたサミットでの、各国首脳の握手はどうだろう。カメラのフラッシュの中、撮影がひととおり終わるまでずっと手を握り合っていたが。普通、あんなに長い握手をするおじさんはいないはずだ。「ヤラセ」ではなく、やはり「演出」、つまり見る側へのサービスといえるだろう。ちょっと古いが、Mr.マリックの超魔術はどうなのだ? 「あれは魔術なんかじゃない、絶対タネがある!」。あたりまえである。あれをヤラセと騒いでどうなる。

[誰がそれを伝えるのか]

 以上のことから考えると、やはりテレビはある意味で批判的な態度で見なければ、容易に世論が操作され、自分の意見も揺れてしまう恐れがある。私自身はほとんどテレビを見ることがないので、いまひとつ実感がわかないのだが、視聴者は番組の演出を理屈抜きで楽しみながらも、どこか冷静でいなければならないと思う。

 テレビを見なくなった時期を同じくして、私は週刊誌の記事も読まなくなった。特にスキャンダル系は、タイトルさえも見ない。もともとアマノジャクな私は、どの報道も論調が同じだと嫌気がさしてくる。視点の画一化、共通化には大きな危険を感じる。

 たとえば、ある事件を起こした有名人に対して、全国民がバッシングするような姿勢。たった1回の仕事と直接関係のない過ちの発覚だけで、その人の実力や地位や名誉にとても到達できないような人たちが、鬼の首でも取ったかのような非難を浴びせ始める。その人が今まで成しとげてきた業績も、すべて無価値であるかのように。しかも、自分たちが絶対多数であり、絶対正義であるというような恍惚とした目の色で。

 たとえば、ある分野で不祥事が起きると、どういうわけか連続して同じような不祥事が発覚し、ごく一般の人たちまで調子に乗ってその摘発がブームになる。以前であれば大人同士の示談で済んでいたものまで、マスコミに通報してひと騒ぎを狙う「にわか愉快犯」たちが急増している。

 最近「17歳」などといって、若者たちの深刻な犯罪がクローズアップされているが、マスコミはどうやら家族や学校の責任を追求したいようだ。それも間違いではないだろうが、自分たちの重大なミスに気づいている気配はない。つまり、一部の地域の一部の人間(たまたま17歳)による犯罪をニュースやワイドショーで大げさにたれ流した結果、潜在的レベルにすぎなかった全国の同世代の少年少女の心理を必要以上に刺激してしまった責任は、ほとんど追求されることはないのだ。

 これはNHK支局長の言葉だが、「誰もが同じように感じるのは異常」だと思う。タレントの田代まさしが女性のスカートの中を撮影したといって、全国的に変態扱いされているようだ。たしかにやったこと自体に言い訳はできないだろうが(男性なら誰でも共通の欲望をかかえている事実は否定できないはず)、問題なのは、彼がすべてにおいて最低の男だったと錯覚するような論調だと思う。

 この騒ぎの中、ある写真週刊誌が「田代まさしは今回過ちを犯したが、実生活では息子思いのよき父親であり、仕事熱心で生真面目な部分もあった。今回の事件は、そのストレスが引き金になった可能性もある」と報じたことに感心した。どちらかに偏りすぎるのはまずいが、テレビからモロに影響を受けるのは危険だ。私たち視聴者は「批判的に見る」態度を養い、違った観点からひとつの現象をとらえる賢さを身につける必要があるだろう。

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