<修学旅行> 2000.3.10.

 4泊5日の修学旅行から帰りました。お決まりの京都と東京です。

 リニューアルした京都駅ビルはすごかった。夜はカップルだらけのデートスポットですが、一度行ってみる価値はありますよ。屋上からの夜景も美しい。男だけで行くもんじゃないですね。

 東京の自由研修では、神保町の書店めぐりです。大量に買って、宅急便で送るといういつものパターン。昼も決まっていて、吉野家の牛丼。学生時代から大好きなんです。

 三省堂書店の裏手にある、お気に入りの喫茶店「ラドリオ」でアイスコーヒーを飲みました。小さな古い喫茶店で、おばあちゃんたちがやっています。昔はよく、小説家と編集者が打ち合わせに使っていたそうです。

 東京に来るたびに入る店なので、その時々のいろいろな思い出がつまっている店です。いつも、昔ながらのちょっとシロップが入ったアイスコーヒーが、疲れた体と心を癒してくれます。いつか私も、こんな喫茶店を持ってみたい。

 でも、やっぱり海のある宮崎がいちばんですね。都会と違ってのんびりしているし。旅行中、忙しい中を会いに来てくれた友人たちに感謝。

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<重なるときには重なる> 2000.3.14.

 風邪をひいてしまって、仕事が終わって早々に帰ってきました。たくさんの人に読んでもらっているようで、うれしく思います。このまま寝るわけにはいきませんね。

 「重なるときには重なる」ということ、ありませんか? 今日もそうだったのですが、職場に業者の方が来られたとたんに外部からの電話が入り、話している途中で胸ポケットの携帯が鳴るという。以前使っていたキャッチホンでもそうでした。どうして同じ時間にかけてくるの?(笑)

 妹の店(ケーキ屋)で手伝いしたときも思ったのですが、お客さんが来るときは、不思議なくらいいっぺんに来るのです。いつもそうらしいです。

 そういえば、竹久夢二が書いていました。「来ないとなると野良犬も来ない。来るときにはつめかけてかち合う。幸福も女もそんなものだ」。いえてますかね(笑)。

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<「今、いい?」> 2000.3.16.

 ついに風邪でダウン。無理すれば行けないことはなかったのですが、あとが心配なので、仕事を休みました。なかなか信じてもらえないのですが、これでも病気がちで、体は弱いほうなのです。

 熱は下がったようですが、ずっと寝ていたためか、起き上がるとふらふらします。治ったのか治っていないのかわかりません。明日からまたハードスケジュールなので、今夜中に回復するといいのですが。

 平日に休んでわかったこと。やたらと電話が鳴ります。国際電話の割り引き、いろいろなセールス、宗教の勧誘?などなど。ただでさえ気分が悪いのに、こちらが出たとたんに一方的に話し続けるので、ちょっと不愉快でした。そんな人を信用しろというほうが無理です。

 普通の電話(特に携帯)もそうですが、「今、ちょっといい?」のひとことくらいほしいですね。意外とないような気がします。そんな小さな心配りができる女性、いいと思いますけど。

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<失って初めてわかる> 2000.3.17.

 食事をすると苦しい。なぜかと思ったら、鼻がつまっていて、食べていると呼吸ができないからでした。子どもの頃、どうして口でも呼吸ができるのか不思議でしたが、風邪をひいたときのためだったんですね(笑)。

 「人には口が1つ、耳が2つついている。なぜかというと、人の話をよく聞くため」という話を聞いたことがあります。それはともかく、存在するすべてのものには何らかの意味があるようです。体のどんなに小さな一部分でも、実際になくなってしまうと、どれだけ不便なことか。

 「失ってみて初めてわかる」などと言いますが、あって当然、いて当然という状態に慣れきってしまうと、感謝する気持ちがなくなってしまうものです。あとで後悔しないように、今あるもの、今いてくれる人を大切にしたいですね。自分が持っていないものを嘆くよりも、持っているものを喜ぶことが、小さな幸せの秘訣です。

 なんか、教会の牧師さんの説教みたいになってしまいました(笑)。自分に言い聞かせているだけですけど。

 明日から3日間、テコンドーの昇段審査のため、また東京に行ってきます。今月末から勤務先が春休みになるので、このホームページもどんどん更新していくつもりです。

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<都会から戻って> 2000.3.20.

 今年2回目の東京から帰ってきました。

 いつもながら、人が多いのには驚かされます。通り過ぎていく人々の顔を見ながら、一人一人にさまざまな人生模様があるのだな、としみじみ思いました。あのマンションの窓の一つ一つに、それぞれの生活があるわけで。

 その見知らぬ人の波の誰一人として、私の人生とは関係がなくて、その人がどれだけ深い悩みをかかえていようが、極端に言うと死んでしまおうが、第三者である私には何の興味もわきません。あちらにとってもそれは同じで、当人にとっては自分のことが世界のすべてであっても、他人や全体から見れば、それは本当にどうでもいいくらい小さなことなのです。

 だから、あまり自分の状況にこだわりすぎずに、時にはもっと高くて広い、全体的な視点から眺めてみることも大切だと思います。簡単に言うと、「自分(の人生)なんて、ナンボのもんや」くらいにとらえておくほうが、毎日気楽に生活できるのかもしれません。

 などと偉そうに人生論をぶってみたのですが、実際は街の雑踏の中で「パパー!」と呼ぶ子どもの声がしたら、ついふり返ってしまったり、小さな娘と手をつないで歩く父親を見てうらやましく思う、孤独な中年男(苦笑)です。空港に着いても、誰も迎えに来てくれていないのは寂しいものです。

 部屋に戻ってみたら、このホームページもカウント200に達していました。10人程度の友だちにしかアドレスを教えていないはずですが、ご苦労さまです(笑)。私はいったい、誰に向かって書いているのだろう。やはり、会えない娘かな。

 娘のことを思わない日は、ただの1度もありません。

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<わかってくれる人がいる> 2000.3.26.

 週末3連チャンの職場関係の送別会が終わり、久しぶりの休日をゆっくり過ごしています。アルコールがだめなので(タバコも吸わない)、あらゆる飲み会は苦痛です。レストランか喫茶店でやってほしい、軟弱な私です。

 ホームページも、音楽を入れたりして遊んでいるうちに時間がなくなり、かんじんの文章の更新をサボってしまいました。書きたいことは、無限にあります。文章ばかりでみなさんには申し訳ないのですが、文を書くことこそ私の宿命だと思っていますので。

 ページをもっとカラフルに、というご意見もあったのですが、インターネットで小説を売っておられる方のアドバイスをもとに、大量の文章を読んでも目が疲れないように、あえて「黒背景に白文字」を選択しています(後日変更)。実際に読まれていかがでしょうか。

 ずっと娘と会っていないことが影響して、今後の交渉に迷いが出ていました。久しぶりに離婚経験者のホームページで相談したら、たくさんの方から親身になって叱咤激励してもらい、感激しました。

 何を弱気になっていたのだろう。娘のことは、一生をかけてこだわっていこうと決めたのに。私なんかよりよっぽど厳しい条件の中で、絶対にあきらめずに頑張っている人もたくさんいるのです。甘かった。目が覚めました。

 宮崎県は全国でも離婚率がトップグループらしいのですが、実際の生活の中では、私にとって相談できる人は1人もいません。いい人は多いのですが、同じ経験をした人でないと、本当の気持ちはわかってもらえないからです。相談されたほうも、何と言っていいか困るでしょう。

 その点、典型的な文系人間である私が、アメリカ人の同僚から無理やり買わされたパソコン(iMac)、始めてよかったと今では感謝しています。全国の同志たちと、どれだけ貴重な出会いがあったことか。

 たとえ直接会ったことがなくても、親身になって「あきらめないで」とメッセージを送ってくれる、この苦しみをわかち合ってくれる仲間がいる。それだけでもずいぶん心が癒されています。

 今でも思い出します。離婚経験者のためのホームページに初めて「寂しくてたまらない」と正直に書いたら、離婚したばかりの千葉県の女性から、「辛いですね」と短いメッセージが残してあった。夜、独りのアパートで、パソコンの前で涙が止まりませんでした。

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<「独チン会」恒例の花見> 2000.4.1.

 先日「マグノリア」という映画を見たのですが、たぶん私の頭が悪いから理解できなかったのだろうと反省しつつも、ぜんぜんおもしろくなかった!とコメントさせてもらいます。なんじゃありゃ? 途中で席を立つ人たちまで出てきて、バラバラの話が最後にまとまるかと思ったらそうでもないし、オレの3時間を返せ!

 さて今日は、高校時代のクラスメートで、離婚した男+結婚できない男のさえない中年グループ、「独チン会」による毎年恒例の花見をやりました。

 5人前後の仲間なのですが、もともと「ばついち会」だったのが、未婚男の入会とばつ2男の登場によって「30代男の会」となり、やがて「独身会」に、酔った勢いで「独チン会」に収まりました(笑)。理由は恥ずかしくて書けません。「目標を高く持って、毒チン会なんてどう?」というオヤジギャクもありましたが、即刻却下されました。

 35歳にもなると、それぞれがいろいろな経験をしています。職種もまったく違うので、妙なライバル意識もないし、本当に気楽にバカがやれる仲間たちです。こいつらといるときだけ、教師である前に1人の男である私は、本来の自分に戻ることができるのです。

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<ヒッチハイク> 2000.4.6.

 久しぶりに気持ちのいい若者と出会いました。夕食を外で終えて帰る途中、「一番街まで!」と書いたプレートとギターを持って親指を立てている男がいたので、車を停めて乗せました。

 21歳。東京からの一人旅で、街角で歌いながら小銭を稼ぎ、沖縄まで南下してまた戻る途中だそうです。将来ビッグな歌手になることを夢見て、今夜は宮崎の繁華街で歌うということでした。茶髪で音楽もパンク系、私とまったく趣味が合わないのですが、歳の差も忘れてけっこう話は盛り上がりました。

 もう15年以上も前の話になりますが、学生時代に北海道を貧乏旅行したとき、私もずいぶんヒッチハイクでお世話になったものです。見知らぬ若い奴など乗せても何の得にもならないはずなのに、北海道で出会った人たちはみんなとても親切でした。とことん面倒を見てくれた。

 中でも印象に残っているのが、安全地帯というグループがまだ無名時代、倉庫みたいなところで練習をしていたらしいのですが、デビュー直前までメンバーだった人の車に乗せてもらったことです。伝説の倉庫は洒落たレストランに変わっていて、彼はたしかオーナーシェフだったと思います。ごちそうになったレストランには、若い頃の玉置浩二たちの写真が飾ってあったのを覚えています。

 そんな話をしながら、いろいろな人たちにさんざんお世話になっていながら、お礼のハガキくらいは書いたはずですが、その後何ひとつ恩返しらしいことをしていない自分に気づきました。若さとは傲慢なものですね。宿泊までさせてもらったことも多かったのに。ヒッチハイクの若者を乗せてやる立場になって、忘れていたことをたくさん思い出しました。

 目的地に着いて、「メシ代。頑張って有名になれよ」と言って5000円札を渡すと、若者は驚きながらも、喜んで夜の街の雑踏に消えていきました。

 かつての私と同じく、彼もすぐに今夜のことは忘れるでしょう。でも、将来自分の夢を実現したときに、一瞬でも「宮崎でオッサンに親切にしてもらったな」と思い出してくれることがもしあったら、素敵なことだと思いませんか。

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<誕生日> 2000.4.9.

 久しぶりにゆっくりくつろげる週末。夜中に録画しておいたビデオを見ていたら、午前0時を過ぎた頃から、携帯のショートメールやEメール、HPの掲示板などに、「誕生日おめでとう!」のメッセージ(ありがとう!)。パソコンの電源を入れたら、iMacの"Happy Birthday!"の表示。それで、今日が自分の誕生日だと気づきました。

 4月9日ということで、4(死)と9(苦)。縁起の悪い数字です(笑)。じゃあ足してみようかってことで、4+9=13。「13日の金曜日」で、外国に行っても不吉。やれやれ。でも、ある卒業生が、「先生、し(4)あわせがく(9)る」って考えたらいいんですよ!」 なるほどねー。

 毎年この時期は、始業式や入学式など、新学期の行事でドタバタしています。だから独りになったここ数年は、本当に自分の誕生日を忘れています。歳をとっていません(笑)。自分がこうですから、みなさんの誕生日も覚えていません。ごめんなさい。

 36歳になった瞬間、私は部屋でブルース・リーの特集ビデオで興奮したあと、ウッチャンナンチャンのテレビ番組の録画を見て、「未来日記」の完結編に涙していました。今年もたいした人間にはなれそうにありませんね(笑)。

 それにしても、あの台湾の女の子は可愛かった。私としてはビビアン・スー以来の大ヒットです。ずっと前にフィリピンの女性とつき合ったことがありますが、感情の表現がストレートで、いっしょにいて楽しかった。言葉がうまく通じないことも、会えない時間や遠い距離が愛を育てるように、いい意味での壁になるのかもしれませんね。

 最近思うのですが、誕生日というものは、自分が祝ってもらうというよりも、実は自分を生んでくれた母親に感謝する日なのではないかと。私は前妻の出産に立ち会いましたが、そのときにもそう感じました。自分が生きているのではなく、何か必要があって「生かされている」のではないか、とも。たかが人間、傲慢になるのは慎まないといけません。

 今日の午後は、久しぶりの娘との面会です。いつもなら、休日の朝は珈琲を飲むくらいでボーッと過ごしているのですが、今日は娘に会うのでヒゲをそり、髪を整え、ちょっと若く見える服を着ました。少しでもかっこいいパパでいないとね。

 修学旅行で買ってきたおみやげ(ディズニーランドのサングラスと、お台場で買ったコニーちゃんの人形)、やっと今日渡すことができます。喜んでくれるかな。

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<誕生日2> 2000.4.9.

 あー疲れた。もうすぐ6歳になる娘と2時間、面会場所の公園で暴れまわってきました。1ヶ月分の体力を使い果たしました。子どもって、なかなか電池が切れませんね(笑)。わずかな時間だったけれど、限られていただけに、充実した時が過ごせました。

 今日が私の誕生日だと言うと、「えっ、ほんと?」とびっくりしていました。そして、公園の花畑からいくつか花を摘んで、手でハートの形に切った葉っぱといっしょにプレゼントしてくれました。「これでいい?」と心配そうに。

 私にとっては、元気な娘と会えたこと、これが娘からの最高のプレゼントでした。

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<コンビニ弁当> 2000.4.14.

 離婚して一人暮らしをしていたとき(今も同じですが)、困ったのは毎日の食生活でした。

 こう見えても、料理は苦手ではありません。学生の頃は毎日のように自炊をしていたし、何でも始めると凝る性格なので、食材選びからこだわって、けっこう美味しいものをつくれると思います。栄養のバランスなども考えるほうだし、それなりに器用なのです。

 問題は、時間です。やりたいこと、やるべきことが多すぎて、食事をつくる時間がとれません。野菜など切っている暇があったら本でも読んでいたい、というタイプなので、どうしても料理の優先順位が低くなってしまうのです。

 それで、どうしても外食やコンビニ弁当に頼ることが多くなりました。最初の頃はおいしく食べられるのですが、何日か続くともう飽きてきます。特にコンビニで買った食べ物は、飽きるというよりうんざりして、口に入れるのさえ嫌になったことが何回もあります。

 でも、家でつくってもらった弁当なら、同じものが続いても飽きがきませんよね。私のスタンダードは、「おにぎり・ウィンナー・たまご焼き」という、いかにも子どもが喜びそうなパターンなのですが、毎日続いても文句は言いません。不思議です。

 コンビニ弁当にすぐ飽きるのは、今まで「味が濃いから」「味のベースがどれも同じだから」と思ってきました。しかし、先日あるコンビニエンスストアの商品開発の顧問をしていた女性が、新聞に書いたコラムを読んで、なるほどと思いました。

 彼女の仕事は、試作品の弁当を売れる商品にするために、何種類も試食していくことでした。そのたびに、彼女は1.5リットル近い水を飲んだそうです。彼女はこれを、「保存料や添加物が大量に使われているため、体内に残したくないものを水で流してしまうように、体が自然に指示を出したのではないか」と言っています。

 夏に家庭でつくる弁当は、わずか6時間以内には食べるものでも、腐らないための配慮が必要です。しかしコンビニ弁当は、夏でも常温で24時間はもつようにできているそうです。ちょっとこわいですね。

「ただ、それが体に及ぼす影響については、わかっていないことが多い。体が告発してくれる場合はまだいいが、そのうち体も慣れてくる。ただ、私たち人間に、それを消化し、浄化させる能力が備わっているのかは、はなはだ疑問だ」

 学生時代はすべてのカップヌードルを制覇し、社会人になって十数年も外食中心で生活してきた私が言っても説得力がありませんが、食べ物や飲み物は、体の中に入れるものです。なるべく自然に近いものを選びたいですね。

 また、しばらく肉ばかり食べていたら、なんとなく体が野菜を欲するような感覚、ありますよね。人間に元来備わっているはずの能力、これも失わないようにしたいものです。

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<大反省> 2000.4.25.

 「離婚と子ども」のページで書いた、私を励まし続けてくれている東京の男性から、久しぶりにメールが届きました。涙が出そうになりましたよ。何て書いてあったと思います?

 このホームページの写真(事情により削除)を見て、「娘さんとの再会おめでとう」「2人とも幸せそうでうらやましい」「よかった」です。何の変哲もない言葉だと思うでしょう? 違うんです。言葉の重みが。

 この人は、私なんかよりずっとつらい状況にあるのです。詳しい事情は書けませんが、もうずっと子どもさんに会えないままで、再会のために必死の努力を続けておられます。しかも、離婚したのはこの方のせいではありません。

 そんな人が、たかだか数ヶ月娘に会えないくらいで泣きごとを言ったり、今後のことで弱気になっていた私に、「頑張れ、負けるな」と励まし続けてくれた。愚痴ばかり言う私を見捨てず、落ち込むたびに長いメールを送ってくれた。

 今回のメールで、彼の現状を改めて教えてもらいました。私など比ではありません。こんな人に甘えていたのかと思うと、申しわけない気持ちでいっぱいです。私もまだまだ先はわかりませんが、これからは私も彼を応援しなくては…。反省しきりです。

 すごく強い人だと思っていました。こんなつらい状況の中で、なんて気丈に頑張っているのだろうと。しかし今回、初めて弱味を見せてくれました。「シェリーへの手紙」(事情により削除)を読んで、涙が出たと。ずっと会えない子どもが恋しいと。

 そんな人が、最近娘と会うことができた私に「おめでとう」「よかった」と言ってくれたのです。心にしみました。Mさん今までごめん、そしてありがとう。あなたが愛する子どもさんとの再会を果たすまで、私はずっと応援を続けます。

 たぶんあさって、「タウンみやざき」という月刊情報誌に、このホームページが紹介されます。ありがたいことですが、不安もあります。プライベートな内容が含まれているため、実は今まで信用できる友だち数人にしか、ここのアドレスを教えていません。もちろん、検索ページなどにも登録してありません。

 しかし考えてみれば、これからはまったく知らない人や、私に対して反感を持っている人でも、私の分身ともいえる文章を読むことができるようになります。非難中傷や、掲示板にいたずら書きもあるかもしれません。たとえ間接的にでも、前妻や娘には迷惑をかけたくないと思っています。

 私があえてこのようなホームページをつくった意味は、何だったのか? 娘への愛情表現の手段、これはその通りでしょう。今後私が書くすべての文章は、エッセイや小説はもちろん、英語や武道関係も含めて、すべて娘に捧げます。だからこと文章については、こんな私でも、それなりのプライドを持っています。

 長期的には、離婚率ばかり高くなっていながら、その後の傷ついた子ども(親もそうかもしれない)の心のケアが遅れている日本の現状を、少しでもよくしていきたい。アメリカやフランスなどのように、さまざまな結婚や離婚、家族のスタイルが認められるような、懐の広い健全な社会にしていきたい。

 私の小さな取り組みには、そんな大望があったのでした。もうこうなったら、批判でも何でもこいだ。経験していないヤツに、何がわかるというんだ。私のうしろには、不幸にも私と同じ経験をして、自分も悩み苦しみながら、親身になって私を支えてくれる人たちがいる。

 このホームページを読んで、傷ついた心が癒される人だって、きっと中にはいるはず。非難中傷は聞こえやすいが、本当の味方は、声なき声の中にこそある。そんな気持ちを思い出して、これからも書き続けることに決めました。

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<日本人の誇りを!> 2000.5.4.

 私は英語教師をやっていて、外国人たちと交流する機会も多く、日本に欠けている部分を意識することが多いです。でもときには、「やっぱり日本人でよかった」と思うこともあるのです。「ここがヘンだよ日本人」などと言われて、「ヘンなのはおまえたちのほうやろ!」と言い返したいこともたくさんあります。

 昨日、キックボクシングをやっていたというアメリカ人(書くとわかる人がいるので特定しません)が、テコンドーの道場にやってきました。まだ若いので仕方がないのかもしれませんが、武道の道場だということが理解できておらず、目上の者に対する礼儀や道場でのふるまいがなっていません。

 実は彼とは以前一度会っており、日本の文化を学びに来たはずであるのに、日本語はろくに話さず英語で通し、まだ日本に来て1ヶ月なのに日本人女性と遊ぶことしか考えていない男であることを知っていました。日本にはこのような悪質な外国人も多いのです。それに簡単にひっかかる女性も情けないですが。

 私は英語学習者で、英語を教えていて、国際人を養成する仕事についています。しかしいくら生徒が英語を話せるようにしてやっても、彼女たちの本質がミーハーで、ちょっとかっこいいガイジンというだけでキャーキャー言うような、白人に劣等感を持つ情けない日本人であるとすれば、その結果は私の意に反することになります。これは私にとって、大きなジレンマです。

 外国人と接するときには、意味もなくビビッて下手な英語でしょーもない愛想笑いをするのではなく、ここは日本なのだからまず日本語で堂々と応じて、相手の日本語が未熟であれば、そこで初めて「英語を使ってあげる」という態度が普通だと思います。

 私たちがアメリカに行って日本語で通した場合、アメリカ人がオタオタして中途半端な日本語で媚びたような目をしますか? もちろん謙虚な外国人もいますが、多くの場合、日本人はアメリカ人にナメられてるんです! 私は英語がわかるだけに、他の人に見えない彼らの差別心までよく感じ取れるのです。

 私が英語をやっているのは、極端に言うと、この国際社会の中で日本人としての誇りを持って、いざとなれば英語でケンカできるくらいの力をつけておきたいからです。実際、仕事やプライベートで何回も外国人(特にアメリカ人)と真っ向から対立してきました。彼らにストレートにものを言える日本人は少ないらしく、そのあとは一目置いてくれたような気がします。

 英語ができなくても、ここは日本なのだから、日本語で叱りつければいいのです。こちらが怒っていることくらいはわかるでしょう。

 道場に来たアメリカ人は、身長が180以上あるものだから、私の肩に肘を乗せて、基本練習も始まらないうちから「早くスパーリング(試合)やろうぜ」とニヤついてきました。久しぶりにキレました。もうボコボコにしてやりましたよ。ちょっとかわいそうなくらい。私も歳を考えずに動いたので、翌日は筋肉痛で「イタタタ…」とかうめいてるんですけど(笑)。

 まあ、私も大人気なかったし、彼も練習が終わって帰る頃には素直になって、「これから真面目に道場に通う」と言ってくれました。そこはアメリカ人のいいところですね。いいものはいいと認めて、こだわりなく受け入れるというところは。男同士ガンガン殴り合ったのだから、もうこだわりはありません。

 自分たちの文化や民俗にプライドを持つということについては、私はテコンドーで知り合った朝鮮人の方たちに尊敬の念を抱いています。日本に住んでいて、日本人に媚びない。自分たちの文化を守りながら、日本社会の中で日本語を使って逞しく生きている。中途半端な日本人より、よほど立派です。

 これから英語を学ぶみなさんは、「英会話ができるようになりたい」という憧れはいいのですが、何のために英語をマスターするのか、もう一度よく考えてほしいのです。英語でペラペラやっている軽薄っぽい日本人(私も仕事柄そう見られているかもしれませんが)よりは、英語はできなくても、ごく普通の態度で外国人とやりとりできる人のほうが、私は好きですね。

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<日本男児改造論> 2000.5.6.

 「日本人女性はすぐ外国人男性にひっかかる」といようなことを書いたら、読者の方からやんわりと反論(というよりアドバイス)のメールが届きました。

 彼女いわく、「外国人へのまちがった憧れを持つ女性は、ごく限られているのでは」「日本人男性にない、ユーモアと笑顔とやさしさ、そして気づかいに憧れる気持ちもわかる」「作者の悩みを解消するには、日本人男性にがんばってもらわなくては」…。

 なるほど、と思いました。「日本の女性が外国人男性にひかれるのは、日本の男たちに魅力がないから」! たしかにそういう面もあるでしょう。独チン会メンバーよ、全国の同志たちよ、猛反省すべし!

 イタリアでは目の前の女性を口説くのが礼儀だと聞いたことがあるし、アメリカでもレディーファースト教育が少年時代から徹底しています。それに比べ、最近の日本の男には明治時代のような気骨もないし、かといって女性への洗練された接し方も知らない。ハッとするような魅力や力強さに欠ける、中途半端な存在のようです。

 友人のアメリカ人の多くは、「アメリカ人の女は自己主張が強すぎて嫌い。日本の女性はヤマトナデシコだからいい」と言います。本当に大和撫子かどうかはともかく(笑)、たしかにアメリカの男性から見れば、日本の女性には控えめで恥じらいがあって、男性を立ててくれるイメージがあるでしょう。

 日本人男性にとっては、たとえば台湾やフィリピンなどの女性がそういう存在に映るかもしれません。一般的に保守的で男性にとっては安心感があり、いそいそと面倒をみてくれて一生懸命につくすので、ついいじらしく感じられるのではないでしょうか。私だけですかね(笑)。

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<引きずるということ> 2000.5.10.

 「天国からのラブレター」(本村洋・弥生)という本を買いました。著者が誰だかわかりますか。去年の4月に18歳の少年に最愛の妻と娘を惨殺された、山口県の男性です。まだ23歳だそうです。

 彼のことで印象に残っているのが、今年の3月に犯人の少年(とは言いたくありませんが)に無期懲役というふざけた判決(7年で仮出獄できる)が出た日、涙をこらえながら「死刑でないなら、今すぐ無罪にしてほしい。私がこの手で殺します」と言ったときの表情です。

 私自身、数年前に祖母を殺害されたとき、犯人が生きていたら殺そうと決めていました(犯人は自殺)。私は彼を100%支持します。できることなら今現在も何らかの形で激励や援助をしたいし(どなたか方法を知りませんか?)、もし将来彼が犯人に手を下した場合、必ず署名運動をして罪を軽減させるつもりです。

 遺族の地獄の苦しみを味わったことのない、屁理屈ばかりの死刑廃止論者のたわごとなど、聞く耳を持ちません。私が今までに真剣に耳を傾けたのは、息子を殺されたアメリカ人の女性が、死刑判決が言い渡された犯人の命と人権を守ろうと、みずから運動を起こしたケースだけです。

 日本の少年法の時代遅れぶりは、あまりにもひどい。今日もテレビでバス乗っ取り事件を起こした17歳の少年の特集をやっていましたが、過去にいじめを受けていようが、学校への不信感があろうが、遺族にはそんんなことなど何の関係もありません。なぜ殺人を犯したかの検証など、聞きたくもないはずです。

 本村さんは今きっと、「ほらみたことか。甘い少年法をいつまでたっても改正しないから、また新たな犠牲者を出してしまったじゃないか。妻と娘を殺した犯人に死刑判決が出ていたら、別の少年がいい気になって殺人を犯すことなどなかったのに」と思っているはずです。口に出さなくても、本音では。

 まったく罪のない過失という特例を除いて、他人の命を奪った以上、自分の命を絶つ意外に責任を取る方法などないはずです。人の人生を有無を言わさず終わらせておきながら、自分はその後の人生を味わうなど、どう考えてもおかしな話でしょう。殺人にきれいごとは無用です。遺族の心の傷は絶対に癒えません。一生引きずり続ける運命を背負わされるのです。

 アメリカのある州では、死刑の現場を遺族に見せることが許可されています。NHKのドキュメンタリーでその様子が流れましたが、息子と娘を殺された年老いた母親が犯人の死を見届けて、どういう感想を述べたと思いますか? 「見てよかった」です。「見なければよかった」ではありません。

 それでも、殺された子どもには二度と会うことはできないのです。犯人を殺しても、遺族の問題は何ら解決しません。せいぜい心の整理がつく程度でしょう。しかし犯人がのうのうと生きているとしたら、どこにやり場のない怒りをぶつければいいのか。

 本村さんが死刑を望んでいるのは、あたりまえです。それをたしなめる権利は、身内を無惨に殺害された経験を持つ遺族の人以外にはありえません。私も自分の実体験から、まだまだ日本の法律には「やったもん勝ち」という悲しい側面があるのは事実だと思います。

 「天国からのラブレター」は、本村夫婦が交際していた頃からの往復書簡集です。本村洋氏がコメントをつけています。内容は若くて個人的なもののようですが、迷わず買いました。

 あとがきに、「私が最後に目にした2人の姿は99年4月14日、いつもの朝の出勤風景の中にあります。会社に向かう私に『いってらっしゃい。早く帰ってきてね、パパ』と笑顔でキスしてくれた弥生。その弥生の後からハイハイで付いてきて、無邪気な笑顔で私をジッと見つめていた夕夏…」とあり、涙が出ました。

 そして、「2人を同時に失った私は、これから先、かつて弥生と夕夏を愛した以上に他の人を愛することは、決してないでしょう。生前の2人が私に与えてくれた大きな愛と夢を、一生、忘れることはないでしょう」とも。彼はまちがいなく、この事件を一生引きずっていかねばならないのです。

 まだ23歳なのに、本の中でこう断言してしまって、彼はこれから先、独りで生きていくのでしょうか。不謹慎かもしれませんが、これまでの事情もすべて含めて、彼自身を愛してくれるようなやさしい女性が将来現れてほしいものです。彼にだけは、絶対に幸せになってもらいたい。

 いろいろな事情をかかえた男性に対して、「そんな重い事情を引きずっている男はパス」という反応をする女性もいるようです(逆に男性もそうでしょう)。そのように表面的な条件で男を選ぶような女性が近づいてこないだけに、かえって、すべてを含めて受け入れてくれるような、真の愛情を持った存在が見えやすくなるかもしれません。

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<恋愛スタイル> 2000.5.12.

 遠距離恋愛をしている生徒がいて、話を聞いてみると、なんと相手の顔を見たこともないというんです。友人に紹介されて、電話で話しているうちにお互いに好きになったと。外見はどうでもいいらしいです。

 「実際に会ってみたら、実は言葉が話せるチンパンジーだったらどうする?」などとからかいましたが、中身から入って人を好きになるというのも、これからの恋愛のひとつの形かもしれませんね。流行りの「パソ婚」なども、ちょと前には考えもしなかったことです。

 私は若い頃に3回、遠距離恋愛に失敗しています。高校時代の彼女とは、私が大阪の大学に行って別れて、大阪での恋人は、逆に宮崎に戻ってからフラれました。社会人になってからはフィリピンの女性とつき合いましたが、彼女が帰国してからはどうしても続きませんでした。そんなわけで、私には遠距離恋愛に期待しないクセがついているようです。

 遠距離恋愛の最大の敵は、心理的な距離感と妄想です。今この瞬間にふれ合いたいのに、絶対に無理という事実。相手の親という大障害をなんとか克服して電話したのに、遊びに出かけている。自分がこれだけ寂しがっているのに、相手は今ごろ別の異性と楽しく過ごしているのでは…という疑いetc.。

 でも今は、時代が変わりました。携帯電話やパソコンで、いつでも直接連絡がとれて、相手の声が聞ける。メッセージが読める。私が3連敗した頃と比べて、遠距離恋愛崩壊率というものは、かなり低くなっているのではないでしょうか。

  十分にお互いの考え方を理解し合ったうえで、初めて直接会う。もしかすると、そちらの出会いのほうがより純粋なのかもしれません。ちょっとカッコイイからといって、次々に出会いと別れをくり返す最近の若者を見ていると、オジサンとしてはそう思えてきます。

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<友を許すということ> 2000.5.14.

 学校で、ある生徒のグループが、人間関係でちょっともめているようです。ボーイフレンドを取ったとか取られたとか。第三者から見たらたいした問題ではなくても、本人たちは真剣です。

 私が大学生のとき、仲のよかった友人が好きだった女の子を、結果的に奪ってしまう形になったことがあります。悪気はなかったものの、私としてはやはり気まずかったです。しかし、その友人は私に対して何一つ文句は言わず、それまで通りに接してくれました。

 しかし、私が参加しなかったあるコンパで、彼が泥酔して「中元に取られたー!」と泣きながら暴れたという話を先輩から聞いて、ずいぶん気にしていました。それでも私の前では、決して嫌味を言いません。今でも年賀状を送ってくれます。男とはそういうものでしょう。

 誰かが幸せになれば、その陰で別の誰かが泣くことになります。誰も泣かない場合もあるでしょうが(笑)。そうなると当然、自分が泣く側に立つ可能性もあるわけです。

 厳しい言い方になりますが、傷つく覚悟ができていない人は、まだ恋愛する資格がないともいえるでしょう。自分が幸せになることしか予測に入れられない、幼い人間です。

 生徒たちを見ていて、女性のひとつの特徴なのかなと思うのは、「取った」側、つまり自分の友人を責める傾向です。彼女を好きになった男性の気持ちは(認めたくないのか)棚に上げて、もうあなたなんか信用できない、とグループ全体で無視しているようです。どんないきさつがあったにせよ、不思議です。

 下世話な言葉ですが、自分の彼氏を「寝取られた」場合も、仮に男のほうが積極的だったとしても、「この泥棒猫!」などと、むしろ相手の女性のほうを攻撃する傾向があるのではないでしょうか。男なら他人に責任転嫁をすることは少ないと思いますが。

 とはいうものの、信用していた友人から裏切られて、それを許すというのは非常に難しい。生徒の気持ちもわからないではありません。私もその後同じ体験をして、今さらながら学生時代の友人を尊敬しているところです。

 ずっと以前、私がある女性とつき合っていたと思ってください。そして、私の友人もその女性に興味を持ったと。正々堂々とアタックすれば、恋愛とは一種の戦いですから、私も文句は言えません。しかしその友人は、男友だちだからこそ話したことを(女性同士でもあるでしょう)、かなり誇張してその女性にしゃべったようです。私をこき下ろすことによって、自分をアピールするという手段を使ったわけです。

 女性に裏切られるのは慣れていますが(笑)、信用していた男友だちに裏切られるというショックは、なみたいていのことではありませんでした。本人に直接確認しても、とぼけてウソや裏工作を重ねるのみ。ほとほと情けなくなりました。

 それを考えると、今もめている生徒たちの妥協を許さない怒りの激しさは、理解できなくもないのです。だから、私も生徒たちにエラそうなことは言えないわけですね。キレイゴトを言っても通用しないでしょうし。

 ただ、ある友人から言われたのですが、ここでも忘れてはいけないことがあるようです。私の主張よりも友人のもらしたゴシップに踊らされて、私の元を去っていったその女性の判断基準。彼女がそのレベルであるかぎり、いつか私とは別れていただろうというわけです。それもたしかにその通りで、説得力がありました。

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<足つぼ館> 2000.5.15.

 人に足を揉んでもらうと、めちゃくちゃ気持ちいいですよね。でも、気軽に頼めるものではありません。家の近くに「足つぼ館」という店があって、いつも通るときに気になっていたのですが、どうせ女性専用だろうと思って、今まで入ったことがありませんでした。

 このホームページの読者が通っているということを知って、母の日のプレゼントという名目で親を引っぱり出し、いかにもつきあいでしかたなくといった、「やれやれ…」的な立場をかろうじて保ちつつ、足裏マッサージの初体験をしてきました。いやー、気持ちよかった。

 なんかいろいろ理屈があるみたいですが、難しい話はともかく、清潔に洗った足にオイルをぬり、指一本からていねいに揉んだり、足の裏のつぼを押したり叩いたり、心地よく刺激してくれるのです。その後は別室に入って、肩や首、背中全体をオイルマッサージ。

 私が店に入ったときには、普通のオッサンがマッサージを受けていて、緊張感も失せました。わざわざ市外から来ていたようです。マッサージしてくれる女性がまた美人揃いで…まあそれは関係ないけど。

 私は酒・タバコ・パチンコ・車・ゴルフなど、普通の人がやるようなことに、なぜかまったく興味がありません。休日も家にいることが多いので、ほとんどお金がかからない男です。

 その代わり、「これについては金に糸目はつけん!」と、成金オヤジ的にこだわっていることはいくつかあります。美味しいものを食べること、本や映画、温泉旅行、格闘技観戦などです。これらの趣味は、そうとうな贅沢をつくしても、上に書いたようなことと比べると安いものです。

 要するに、私の体と心が喜ぶことなら、予算は無限?にあるわけです。本日これに、「足つぼ館」通いが加わりました。今度は仕事帰りに行ってみようっと。生徒たちに言わせると、もっとファッションに金をかけろというのですが、私は買い物が苦手なんだよねー。どの店に行っても卒業生だらけで。

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<女性からされたくない質問> 2000.5.31.

 ある女性が、「彼氏が自分の誕生日を忘れていた」とグチっていました。どんなもんでしょうね。いい歳をした男が、妙に女の子の誕生日とかナントカ記念日とか細かく覚えているほうが、信用できないような気もしますけど。独り者のひがみですかね(笑)。

 自分の誕生日さえ忘れがちな私としては、女性からされるとゾゾーッ!とくる質問が3つほどあります。といっても、遠い昔の記憶をたどって、懐かしみながら書いてみるだけですが(涙)。

 その1「今日の私、どこか違って見えない?」
うわーっ、やめてくれ! 男はボーッと生きているものなんです。ちょっと髪を切ったくらいでは、なかなか気づかないんだって。すかさず「おっ、前髪切ったね」なんて言う男のほうが気持ち悪いって。

 その2「今日は何の日だ?」
ひえーっ、かんべんして! 恐る恐る聞いてみたら、ふてくされたように「初めて2人でデートした日!」 そんなんいちいち覚えとるかい!

 その3(電話で)「だーれーだ?」
知らんわ!

 とまあこのように、女性が期待する男性というものは、男性が期待する女性と同じくらい存在しないものなのです。くれぐれも愛情の深さとカン違いしないようにお願いしたい。

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<のりこの子守唄> 2000.6.10.

 最近、すてきな子守歌に出会いました。

「のりこの子守歌」 作詞・作曲/小川憲子 編曲/近藤文生 歌/戸高正代

1 ねんね ねんね いい子だねんね
  やさしい母さんに 抱かれてねんね
  ねんね ねんね いい子だねんね
  いい子の見る夢 いい夢ねんね

2 ねんね ねんね いい子だねんね
  ぽかぽかお日さま あったかねんね
  ねんね ねんね いい子だねんね
  一緒にこ猫も お昼寝ねんね

3 ねんね ねんね いい子だねんね
  夕焼け父さん お帰りねんね
  ねんね ねんね いい子だねんね
  たまには父さんに 抱かれてねんね
  やさしい父さんに 抱かれてねんね

 実はこの子守歌、私が教えた卒業生の小川憲子さん(旧姓戸高さん)が母親になって「娘に何かを残したい」と思い、自分で作詞作曲をしてテープとCDを作ったものです。歌手の戸高正代さんは、小川さんの中学時代からの親友だそうです。

 「子どもにブランドの服を着せたり、写真屋ビデオを撮ったり、髪の毛で筆を作ったり、手形や足型を取ったりするのと同じで、私はたまたま子守歌になっただけなんです」
私も娘のために本を出版しているので、共感を持ちました。

 私が特に気に入ったのが、3番で父親が出てくることです。
「多くの子守歌が、お母さんのことは歌っているのに、お父さんの歌がほとんどないことに疑問を感じたからです。お母さんだけではなく、お父さんも子どものことを愛しているんだよ、という意味がこめられています」
すばらしい発想だと思います。モデルはもちろん、ご主人だそうです。

 小川さんは現在、在宅歯科衛生士として、宮崎県内の子どもや母親たちに歯に関する話をしたり、歯みがきの指導をされています。そのお仕事の中で、役場の保健婦さんや保育園や幼稚園、産婦人科などにこの子守歌のテープを配られているということです。

 最近、育児ノイローゼからくる幼児虐待や、両親の離婚によるストレスなどで、子どもの体と心の健全な発達が阻害されているケースが目立ってきています。極端に甘やかして子どもをダメにする親がいる一方、子どもの気持ちなど考えず、大人のエゴで子どもをコントロールしようとしたり、感情をストレートにぶつけて子どもの心を傷つける未熟な親もいるようです。

 私は自分自身の経験から、ごく身近に見聞きしてきたそのような悲しい現状を、少しずつでも改善していきたいと願っています。それがこのホームページを作った、主な理由でもあります。幼い子どもにとっては、親がこの世界で頼れる唯一の存在なのですから。親は自分の勉強不足を自覚し、日本の社会が子どものメンタルケアの面でかなり遅れていることを認識すべきなのです。

 小川さんがこの子守歌にこめた願いのひとつに、中絶の問題があります。宮崎県の中絶率は、離婚率と同じく、全国でも常にトップグループという残念な現状があります。

 「子どもがほしくてもできない人がいるのに…。しかも、経済的な理由から既婚者の中絶も多いらしいのです。中絶したことのある人が少しでも反省してくれたり、中絶を考えている人が思いとどまってくれたらいいな、と思いながらこの子守歌を作りました」

 やさしいメロディーと歌詞に心が安らぎ、ぜひ子どもに歌って聞かせたい作品でもあるのですが、私は何よりも小川さんの考え方に賛同しました。地元で地道にがんばっている人を応援し、心のある歌を少しずつ広げていこうではありませんか。

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<父の日> 2000.6.18.

 今日はグチです(笑)。

 朝から休日出勤、山のようにたまった雑用をかたづけ、一人でラーメン屋に行きました。つまらない「父の日」ですねぇ。電話で娘の声だけでも聞ければ、大晦日まで仕事をがんばれるくらいのパワーは出てくるのですが。街の「お父さんありがとう」の文字が、ちょっとせつなかったような。

 しかたがないので、例によって自分で買ったプレゼント(父の日バージョン)は、離婚後いちばんつらいときに見た映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」のDVDです。ちょっと好きなセリフがあって。

 好きな女性ができたのに、亡くなった妻を忘れられずにいる主人公に、父親が言います。
"Choose... between yesterday and tomorrow. Pick one. Stichk with it."
(選ぶんだ…過去か、未来か。ひとつだけ選べ。それを離すな)

 昨日は過ぎてしまった。明日はまだ来ない。いちばん大切なのは今日、今この瞬間。理屈ではわかっていても、感情が納得してくれなかったあの頃。やはり「時間」が必要でした。

 さあ、明日からまたがんばるぞ!(カラ元気)

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<離婚後のケア> 2000.7.3.

 職場の同僚の家庭に4月からホームステイしていたアメリカ人の男子高校生が、急きょ国に帰ることになりました。理由は、両親が離婚してそれどころではなくなったからだそうです。

 今朝の飛行機で宮崎を発ったのですが、当の本人は(もちろん悲しいのでしょうが)今後の経済的援助のことをいちばん心配していたようです。親のほうも、「結論を伝えるのは、息子がホームステイを終えてから」という日本的な感覚はまったくなかったらしく、いかにも離婚社会アメリカといったところでしょうか。

 卒業生から聞いた話ですが、高校時代にホームステイしていた家庭を久しぶりに訪ねてみたら、離婚をしていたと。以前の家はホストファーザーと恋人が住んでいて、母親はすでに再婚して、すぐ近所に住んでいたそうです。

「驚いたのは、子供たちがお互いの家庭を自由に行き来してるんですね。しかも、私が遊びに来たというので、ホストマザーまで新しいご主人とディナーに来てくれたんですよ」

 離婚によって子どもが傷つくのは、日本もアメリカも同じでしょう。しかし、その後の生活スタイルや精神的なケアに天と地の差があるのです。ひとりの男や女であることにしがみつかず、親としての立場から、子どもの気持ちを最優先した結果です。日本人は猛反省すべし!

 先日見たNHKのテレビ番組でも、同じような複合家族をいくつか紹介していました。たとえば、一人暮らしの父親が、母親の新しい家庭からときどき夕食に招待されるというもの。新しい父親と腕相撲をしたり、複雑な思いは当然あるのでしょうが、子どものために「大人になっている」のです。

 新しい父親の言葉がいい。これが大人の男の発想なのです。
「子どもの本当の父親は、まちがいなく彼なんです。私も同じように子どもを愛していますが、子どもが私より彼のほうに気持ちがあるのは、当然のことだと思っています。そして、私たちも仲良くやっている。ぜんぜん気になりませんよ」

 別の家庭では、距離的に毎月の面会が難しいということで、夏休みの3ヶ月間、子どもは父親の家庭で過ごします。そのことを、日頃子どもと生活している母親と新しい父親が、快く認めているのです。都会に住む子どもは、父親といっしょに自然の中での生活を満喫して帰っていきます。奥さんのほうも、本当の子どものようにして迎えてくれて、帰るときには子どもを抱き締めて泣いています。

 子どものいる女性と結婚した、ある男性が言いました。
「私は彼女を愛しています。ですから当然、彼女の今までのいきさつも含めてすべて受け入れているつもりです。だから、子どもの父親とも友人として仲良くやっていますよ。子どもにとっては、彼が本当の父親なんですから。はじめからそのつもりで彼女と結婚したのですから、不満なんてありませんよ」

 誤解をおそれずに書くと、日本の社会は遅れています。だからこそ未熟な親が目先の世間体につじつまを合わせようと、子どもの本当の父親(母親)を排除しようとする。上のような現実を認めたがらず、「それは理想でしょう。外国の話ですよ」と議論を避ける。自分たちの都合で子どもが犠牲になっていることに気づかない。残念な話です。

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