【花かげ残照】



 大店の薬種問屋「日向屋」のひとり娘お美代は、幼いころから
出入りの人力車夫の息子慎吉を兄のように慕って育った。
 「ねえ、慎ちゃん、大きくなったらあたいをきっとお嫁さんにしてね」

 「おう、まかしとき。おいらの嫁さんはお美代ちゃんしかいねえよ。」

 「うれしい!慎ちゃん、きっとよ。約束げんまん・・・」

 時は流れ、お美代は美しく気立てのよい娘に育った。慎吉もたくましい
若者となり、死んだ父のあとを継いで人力車をひいていた。
 あちこちから寄せられる縁談にお美代は見向きもしない。
ただひたすらに慎吉の妻となる日を夢見ていた。慎吉も、主家の娘と
しがない俥引きという、どうしようもない壁を承知しつつも、お美代への
想いをつのらせていた。

 やがて…隆盛を誇った日向屋の身代に翳りが見え始める。お美代の
父清兵衛は、店の建て直しのため、取引先の稲穂銀行の頭取の息子と
お美代との縁談を進めていた。

 逆らいようのない父と先方の強引な段取りで、見合い、結納と過ぎ、
いよいよ今夜は祝言の春の宵・・・・・白無垢をまとったお美代は
いとしい慎吉の引く俥で、嫁ぎ先へと向かう。
 
 夜空にぽっかりと浮かぶおぼろ月。その淡い光に照らされた桜並木の道。
満開の桜吹雪が舞う中で、白無垢の花嫁御寮がぽつりと車夫につぶやく。
 「慎ちゃん、これでいいの?お嫁さんにしてくれるんじゃなかったの?」

 「お美代ちゃん、いい縁談じゃねえか。しがねえ俥屋の女房なんかに
 なっても苦労するだけだぜ。」

 「いやだよ慎ちゃん!お願い。このままあたいを乗せて
 どっか遠くへ連れてってよ・・・ねえ、慎ちゃん」


 「悪ぃがおいら所帯なんてえ窮屈なもん、持ちたくねえしよ・・・」

 「やだ・・・やだよ・・・慎ちゃん」

 「すまねえ・・・お美代ちゃん、幸せになってくれよな・・・」 

 白い綿帽子に隠れたお美代のほほと、編み笠の下の慎吉のほほを、
ともに二筋、キラリと光るものが流れ落ちる・・・・・わだちを転がる車の
きしみと、かわずの鳴き声だけのおぼろ月夜。桜吹雪がいっそう激しく乱れ舞う。

童謡「花かげ」