天文学者
The Astronomer (1668年頃) 50X45 パリ ルーヴル美術館蔵

 女性優位のフェルメールの芸術において研究に従事する男性の姿をあらわしたこの二点の絵画は全く独自の位置を占めている。左に窓のある同じ部屋が舞台に選ばれ、同じモデルによる人物がいずれも左方を向いているため、並べて観賞した場合の対比・呼応はヴァージナルを弾く女を描いた二点に比べて今一歩ではあるが、1713年に始まる数度の売り立てに際して対幅として扱われており、内容的にも一対をなすことから、当初から対幅として制作されたものと考えられる。<天文学者>には1668年、<地理学者>には1669年の年号が書き込まれている。これらはいずれも後代に記入された疑いが強いが、フェルメールが再評価を受ける前でその様式変遷に関する知識も全くない時代に記入されたものであればかえって何らかの確実な根拠−例えばかつての額縁に書かれていた年号−に基づいていると考えるのが自然であることから、この年記の信頼度の高さはすべての研究者によって認められている。
 椅子に坐った「天文学者」は机上に置かれた天球儀をまわしつつ思索にふけっている。この天球俵はヨードクス・ホンディウスが1600年に発表したもので、地球儀と一対をなしていた(<地理学者>の中で箪笥の上に姿を見せているのがそれである)。ヴァージナルやギターなどの楽器の場合と同様、天球儀についてもフェルメールの描写は正確無比であって、われわれはそこに大熊座、竜座、ヘルクレス座、蛇座、天秤座などの星座の姿をはっきりと認めることができる。この他机上のアストロラーベと呼ばれる簡易観測器や箪笥に掛けられた天体観測図も精密な描写を施されているところを見ると、画家か注文者が天文学に詳しかったか、あるいはこの学問に造詣の深い者が周囲にいて助言を与えたことは間違いない。現存するフェルメール作品のほぼ半数を有していたアブラハム・ディシウスの収集にこの絵と<地理学者>が含まれていないという事実もこれらが特殊な注文によるものであることを示唆している。最近ウィーロックはこれら二点の絵のモデルを科学者アントニー・ファン・レーウェンフックとする旧説に再び脚光を当て、同時代の銅版画にあらわされたその容貌 との類似に注意を喚起しているが、<音楽のレッスン>の中の男と同じモデルによっているように思われる(とはいえこれらを画家の自画像とするマルローの説には到底与することができないが)。しかしモデルの同定を離れて注文者の問題に限るならば、ウィーロック説はやはりかなり有力なものと言わねばならない。顕微鏡による原生動物や精子の発見によ って科学史に名を残したファン・レーウェンフックであるが、ファン・ブレイスヴェィクの書の増補版ともいえるR・ボワテの『デルフト市誌』(1729年)には彼が航海術、天文学、数学、哲学においても非常に秀でていたことが語られ、挿図に掲げたフェルコリエによる彼の肖像版画には天球儀が顕微鏡と共に重要なモティーフとして登場しているからである。