赤い帽子の女
Girl with a Red Hat  23X18 ワシントン ナショナルギャラリー蔵

 悪名高いファン・メーヘレンの贋作を始めとする問題作やフェルメールの手に帰す根拠の弱い同時代作品が粛清された結果、近年の研究書にとりあげられる作品はほぼ例外なく35点のみに限定されるようになったが、極めて小さな画面にクローズ・アップで風変わりな身なりの女性を描いたこれら二点の絵画は、それらのうちでいまだに真筆か否かの議論の絶えない特異な存在である。真作と認めているのはデ・フリース、ガウイング、ゴルトシャイダー、ビアンコニ、グリメなどで、その多くは制作年代を1660年代の中頃に置いているのに対し、<赤い帽子の女>を真筆、<フルートをもつ女>をフェルメールの弟子か周辺の作とするウィーロックの判定を継承したスレイトケスのみは前者を1670-71年頃の作としている。これに対して二点をともに否定しているのはスヴィレンス、グズラウグソン、ブランケルトで、最近衣裳について考察したプレンチェンスも帽子を根拠にこれらはフェルメールやその周辺の作ではありえないと判定している(彼女によればこれらの帽子は全くの空想の産物であるという)。
 この二点の特殊性はまずカンヴァスでなく板に描かれている点に存する。画家の遺産目録には板の記載があるから、板絵が制作されたとしても不思議ではないのだが、実際にはこれら以外の現存作はすべてカンヴァス画である。タピスリーはフェルメールの多くの作品に描かれているとはいえここでのように背地として用いられている例はないし、これまた数多くの作品に繰り返し登場するライオンの頭部を摸した装飾をもった椅子もここでは奇妙な配置であらわされている。すなわち、<赤い帽子の女>においては前景の女が坐っているはずの椅子の頭飾りが実際とは反対にこちら向きに描かれているのである。事物の正確無比な描写で知られるフェルメールがこのような不自然な誤りを犯しうるだろうか。こうした疑問、およびスナップ写真的な活写がフェルメールの制作過程に相応しくないことを根拠にプランケルトは これらを18世紀から19世紀初頭にかけてフランスで描かれたものと推定するのであるが、そう簡単には問題は解決しない(<赤い帽子の女>は1822年に記録に登場しているので、それ以後に描かれた可能性はない)。<フルートをもつ女>の板は年輪年代学の調査によって1650年頃切り倒された木と判定されており、またレンプラント風の男の肖像の上に描かれた<赤い帽子の女>からは古い顔料が発見されたと報告されているからである。もし仮にこれらがフェルメール自身の作品でないとしても、ライオンの頭飾りをもった椅子やタピスリーといったモティーフ、あるいは<レースを編む女>のそれと比較しうるような「光の珠」の描写から見て、フェルメールの作品から大きな影響を受けた画家の手になるのは確かである。そしてこれらがもしプランケルトやプレンチェンスが考えるように18世紀の絵画だとすれば、フェルメールの評価の歴史をもう一度検討し直 してみなければならないであろう。トレ=ピュルガーによる再発見以前は忘却の彼方にあったといわれるフェルメールであるが、いくつかの点でこれらの二作品に比較的近い<レースを編む女>については18世紀の模写が二点ほど残されているのであるから。