絵画芸術の寓意
The Allegory of Painting (1664-66年頃) 130X110 ウィーン 美術史美術館蔵

 17世紀オランダにおいて「アトリエの画家」は数多くの画家にとりあげられた一つの類型的主題であった。フェルメールの周辺でも、ときに彼に少なからぬ影響を及ぼしたレイデンの人気画家フランス・ファン・ミーリスが先例をのこしている。しかし画家が絵筆をしばし休めてモデルの上流社会の女性とくつろいだ会話をかわしているこの情景をフェルメールの作品と比べてみると、誰しもそのあまりの雰囲気の違いに驚かざるをえない。フェルメールの絵は、画中の人物と観者のあいだにガラスが張られていて観者は同じ室内にいながらも画中の空間へははいってゆけないという不思議な印象を醸し出していることが多いのであるが、それにしてもこの絵の非日常的な厳粛な雰囲気は格別のものであって、観者に背を向けたまま一心不乱に制作に没頭する画家の周囲には侵入者はおろかほんの些細な雑音すら許さぬような極度の緊張感が漂っている。しかしそれもそのはずでここに掲げた題名が示す通り、これは日常の世界を描いた風俗画ではなく、「絵画芸術」そのものをあらわした寓意画なのである。その点、この絵はむしろ同じファン・ミーリスの<ピクトゥーラ(絵画の擬人像)>に通ずる内容を備えていると言ってよい(胸の仮面は「模倣」の象徴であり、フェルメールの絵の机の上に置かれた石膏マスクも同じ象徴的意味をもつ)。だがこれは何と特異な寓意画であろうか。クールベが自作<画家のアトリエ>に添えた「現実的寓意画」という呼称はこの絵にこそ相応しいのではあるまいか。しかし<音楽のレッスン>や<合奏>に用いたのと同じ当時のオランダの「現実的な」室内を舞台に選びつつも、フェルメールは舞台の幕のようにたくし上げられた豪奢なタピスリーのカーテンや金色に燦然と輝くシャンデリアを導入して、凡俗な現実世界から昇華せしめている。画家は当時「ブルゴーニュ風」と呼ばれていた15〜16世紀の古風な衣裳に身を固めているが、これも寓意像を日常の現実から隔離するための手段であったろう。それゆえこの絵からフェルメール自身のアトリエの実情を探ることなどは全く不毛の試みと言わねばならない。
 モデルを務めている女性は、手にした喇叭と頭上の月桂冠からかつてはファーマ(名声)と見なされていたが、フルテンがチェーザレ・リーパの『イコノロジア』 の記述との一致を発見して以来、クレイオー(歴史のミューズ)であることが判明している(リーパによればトゥキュディデスの『歴史』を手に携えている筈である)。しかし名声は歴史によって後世に伝えられるのであるから本来両者の間には深い関係があった。画家がカンヴァスに今まさに月桂冠を描いているのももちろん偶然ではないのである。ところで、当時「歴史画」と称され絵画の中で最上位に置かれたのは、狭義の歴史画だけでなく、宗教画、神話画、寓意画などの構想画一般であった。この絵に籠められているのも、画家は「歴史」から霊感を授かり「歴史画」を制作することによって名声をかち得ることができる、という思想であり、フェルメールが構想画(=歴史画)から出発した画家であるのを思えば、この絵が画家にとって非常に大きな意味をもつものであったことは明らかであろう。画面の仕上げもそれに相応しく極めて入念であり、自分自身の重みによって波をうつ地図の微妙な凹凸を浮き彫りにする光の精緻な描写はフェルメールの中でも出色の出来映えである。この地図はすでに分離して久しいネーデルラント17(ベルギーとオランダ)を総合してあらわした古い型のもの(クラース・フィッセル作)であるが、これがとくにネーデルラント絵画の栄光を象徴するものか否かは即断できない。
 1661年にデルフトの聖ルカ組合が新しい建物に移転した際、当時の会長レオナルト・ブラーメルは「7自由学芸」 に8番目として「絵画芸術」を加えた天井画を制作したという。フェルメールもこうした古典主義的風潮の中にあって組合本部の落成に関連してこの寓意画の制作を思いついたのではなかったか。しかし如何なる事情があったのかは不明だが、結局この絵は終生画家の手元に留めおかれることになった。彼の死後破産に瀕したカタリーナが母への借金千フルデンの担保としてこの絵を手渡すという手続きによって何とか他人の手に渡るのを防ごうとした事実は家族もまたこれをフェルメールの画業を代表する作品と認めていたことを物語っている。