水差しをもつ女
Woman with a Water Jug (1662年頃) 45.7X40.6 ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵

 一連の単身女性像の中でもとりわけ明るい光に満ちた部屋の一角を舞台に描かれたこの作品はまた物語的背後関係への暗示を一切欠いている点においてひときわ抽象度の高い傑作と言える。完璧な三次元空間の描出を達成したフェルメールはここでは<牛乳を注ぐ女>の場合にも増して画面の平面的秩序に類い稀れな深い配慮を示しており、本来異なった水準にある娘の左手と椅子の頭飾、娘の肩掛けとネーデルラント17州の地図(ハイケ・アラルト作)の左下隅などは重 ねられずに異常な接近を見せ、空間と平面のあいだに強い緊張を生み出している。左手で水差しの把手を握り右手で窓を開ける娘の形姿は単純な柱型に収斂することの多いフェルメールの立像としては複雑な輪郭を備えているものの、どの部分もこれ以上変え得ぬほどの均衡をもって微動だにせず「永遠の相」のもとに佇んでいる。水差しと水盤は人々が室内で手を洗う際に用いたもので、「清潔」に通じることから古来聖母マリアの純潔の象徴として受胎告知の場面などにしばしば描き込まれたモティーフである。そうした例においてその傍らにこれまた「純潔」の象徴である純白の手拭いが配されていることを考慮すると、洗い立ての白い頭巾と肩掛けを身につけた女性を描いたこの絵にも「純潔」の寓意を読みとることは充分可能であろう。もっとも名作<水腫の女>(1663年、ルーヴル美術館)の覆いとして制作されたダウの水差しと水盤のある静物が、単に「水」の象徴として「水腫」と関連づけられているのを考えるとこうした解釈には慎重であらねばならないのだが。