リュートを調弦する女
Woman tuning a Lute (1664-65年頃) 51.4X45.7 ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵

 かえすがえすも残念に思うのは、フェルメールが楽器をいつも正確に描写しているにもかかわらず、彼の絵がしばしば余りにも不正確な題名で呼ばれていることである。「ギターを弾く女」というかつてよく見られいまだに散見する呼称が問題外なのは言うまでもないが、これに代わる「リュートを弾く女」もまた大変によろしくない。一見して明らかな通りこの絵の娘は左手で糸巻を調節しながら正しい音程を求めてじっと耳を澄ましているところだからである。「五感」のうちの「聴覚」の表現にしばしば調弦の光景が選ばれたのも、この時こそが全神経が耳に集中する瞬間だったからに他ならない。音楽につきものの愛との関連においても演奏と調弦のもつ意味はおのずと異なっている。入念な調弦の行為は愛の交感に先立つ期待に満ちたその準備であった。窓から差し込む光に向けられた娘の尋常ならぎる強い眼差は、それゆえかのレンプラントの<ダナエ>(エルミタージュ美術館)のそれにも比すべきものと見なさねばならないのである。残念ながら本図の保存状態は極めて悪く、ほとんどの色彩が失われてしまっているが、本来は非常な傑作であったことが想像に難くない。とりわけ見事な画家の配慮を示しているのは壁の大きな地図−ホンディウスの有名なヨーロッパ図、もしくはJ・ブラーウによるその第二版−と娘およびリュートの位置閑係であって、こうした場合普通ならば奥行きを示すために前後に重ねて描くのだが、フェルメールはそれを拒み、地図の角と娘の頭、リュートのネックと地図の下縁の間にほんの僅かの空隙を設けて平面的秩序と空間との緊悪を最高頂にまで高めている。