デルフトの小路
The Little Street (1660-61年頃) 54.3X44 アムステルダムド 国立美術館蔵

 1696年のディシウス収集売り立て目録の32番「デルフトの一軒の家の外観」(72フルデン10スタイフェルス もしくは33番「数軒の家の外観」(48フルデン)のいずれかに該当するものと考えられ、ここからフェルメールが少なくとももう一点類似した画題の絵を描いていたことがわかる。デルフト時代のデ・ホーホは中庭や路上の人物を扱った絵の背後に建築物を描き込むことが多かったが、建築物の外観それ自体を主たるモティーフとした作例は残していない。一方街角の名もない家々を繰り返し描いた画家としてはヤコーブス・フレルの名が挙げられるが、彼の作品はみな実在の都市の景観によらず想像によって組み立てられたもので、メルヘン的な味わいは備えているものの迫真的な実在感は全く欠如している。オランダの街を訪れたことのない人々にも抗しがたい昔日への郷愁を覚えせしめてきたフェルメールのこの名作は、画題の点だけに限っても、比較しうるものとしては18世紀の都市名所図集の版画しか見当らない珍しい作例と言える。ところでいかなる歴史書の記述にも増してデルフトの家々の佇まいと人々の静穏な生活ぶりを雄弁に物語るこの絵の類い稀な実在感はやはり画家の構想力だけによって生み出されたものではないようだ。つねに現実のモティーフの観察から出発したフェルメールはこの場合にもアトリエの窓から眺めた通りの向かい側の家をモデルに選んだ可能性が強いのである。彼の育った居酒屋「メヘレン」の裏手には小さな運河と小路(フォルデルスフラハト)を挟んで古い養老院が建っていた。その階上にある聖グリストフォロス礼拝堂は長らくラーケンとサージの布地の市の会場として用いられてきたが、その目的には手狭になりすぎたのを理由に1661年頃これを聖ルカ組合の本部集会所に転用することが取り決められ、それに伴って建物の一部改造が行われたのである。スヴィレンスはその新しい聖ルカ組合本部をあらわした18世紀の版画に登場する隣家とその傍らの中庭への入口の外観が<デルフトの小路>の左側に見えるものと極度に似ていることに着目して、この絵の主役をなす建物はフェルメールが「メヘレン」の二階の窓から眺めた養老院に他ならないと断定した。もしそうだとすれば画家がこの絵を間もなく改造される馴染み深い建物の外観を記録に留めるために描いた可能性は非常に強いと言わねばならない。多くの賛同者を得たスヴィレンスの仮説はしかし最近モンティアスによって根本から問い直されることになった。古文書に記載された改造費用の少なさを考慮すれば本図に見られるほどの外観の変化が生まれたとは考えられない、というのがその根拠である。ただ洗濯する女の姿の見える中庭への通路だけはフェルメールが構成上の観点から付け加えたものと見る。
 都市名所図版画にあらわされた家並みとの最大の相異はこの絵の建物がかなり大きくとりあげられながらも頂部と右側を画面の縁によってかなり唐突に切断されており「断片」の印象を与える点にある。フェルメールの近代性を支えるこの大胆な構図をカメラ・オブスクーラの使用と結び付けるのは決して無理ではないだろう。並んだ三つの開口部を三者三様に描きわけた工夫は見事な成果を収めており、くすんだ緑色の鎧戸とその裏面の鮮やかな赤が壁の漆喰の白の上に映えている部分は抽象絵画に通じる純粋な美しさを呈示している。左側の家の手前に描かれた樹木の葉が青に変色して色調のバランスを欠いてしまっているのだけが少々残念である。