眠る娘
A Girl Asleep (1657年頃) 86.5X76 ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵

 部屋の中の一人の娘の表現という重大な課題に対する最初の試みであるこの<眠る娘>においてフェルメールが念頭においていたのは<怠惰な召使>や<居眠りする老家政婦>(セントルイス市立 美術館)など1655〜56年に制作されたニコラース・マースの一連の作品であった。それは主題だけでなく開いた扉の向こうに見える隣りの部屋や壁の地図といったモティーフからも明らかであるが、フェルメールは観者との間をとりもつ人物を置かず、副次的空間からも逸話的な人物の姿を追放して空間自体のもつ喚起力を高めている。扉から見える明るい隣室はのちにデ・ホーホのトレードマークとなったものだが、卓子と額縁の見えるこの絵の無人の副次的空間はむしろ現在マースと同郷のサミュエル・ファン・ホーホストラーテンに帰されているルーヴル美術館の特異な作品を連想させる。マースの先例と異なって二つの空間のより自然な統合がなし遂げられているとはいえ、この絵の空間把握にもまだ視点の不一致による矛盾が見られ、画面右下に置かれた椅子の描写にも確固とした自信が見られない。色調の点においてもやはりこの絵は初期作品と盛期の傑作との中間に位置付けられるようだ。
 マースの絵画では居眠りする女は「怠惰」もしくは「勤務の怠慢」 の権化として批判されるべき対象であった。1696年の競売において本図が「酔って食卓で眠っている女」と呼ばれていることからもわかるように、ワイングラスを前にしたこの若い女は酒に酔っているようであるが、ここでも眠りが怠慢を示すとともに無防備な好ましくない状態として捉えられているのは明らかであろう。しかし片手で頬づえをついたこの娘のポーズは古来親しまれてきたメランコリー(憂鬱質)の身振りでもあることから、失恋の痛手によって憂鬱な気分に陥ったところをあらわしたものと見なすこともできる。この解釈にとって有力な手掛りを提供してくれるのは壁の画中画である。クピドの左足が覗いていることれらわかる通りこの絵は<ヴァージナルの前に立つ女>に登場するもののヴァリエーションであるが、ここでは足元に仮面が特に加えられている。オットー・ファン・フェーンの『アモルの寓意図像集』に含まれるエンブレム「愛(アモル)は誠実を要求する」において仮面が「不実」の象徴としてクピドに踏みつけられているのを考慮すると、ここでも捨てられた仮面が娘の憂鬱の原因を暗示していると見るのは決して牽強付会ではないはずである。