遣り手婆
The Procuress (1656年) 143X130 ドレスデン 国立絵画館蔵

 画面右下隅に署名と1656の年号を備える。年記のある作品は本図の他には1668/69年の<天文学者><地理学者>しかないので、フェルメール作品の制作年代決定と配列はまずこれらの基準作との比較に基づいてなされるわけであるが、空間の描写を志向せず人物をクローズ・アップで大きく捉えた本図は他の一連の室内画と根本的に把握を違えていることから、ヴァレンティナーを除くすべての研究者によってフェルメールの風俗画の出発点に位置するものと見なされている。娼家における愛の売買は16世紀のネーデルラント絵画以来「放蕩息子」の物語の一場面として繰り返し描かれたものだが、本図のように半身像の人物たちを画面いっぱいに大きく描くのはユトレヒトのカラヴァッジストたちの十八番であった。その一人ディルク・ファン・バビューレンの<遣り手婆>(1622年)は<合奏>と<ヴァージナルの前に坐る女>に画中画として姿を見せている。本図の制作にあたってもフェルメールが義母マリア・ティンスの所有していたこの絵を参考にしたことは疑いがないところであるが、胸を露わにした娼婦の過激な描写も珍らしくないユトレヒトの先例と比べると情欲の表現はかなり穏やかなものとなっている。とはいえ2年ほビ前に描かれたテル・ポルフによる娼家の情景と比べるといかにも古様である感は免れない。ファン・ローやテル・ポルフによって創始された新しい上品な室内画の世界はフェルメールには未だ遠い存在だったようだ。ユトレヒト派絵画とのもう一つの大きな違いは赤と黄の対比を中心に据えたその強烈な色彩にある。この大胆な暖色の活用と部分的に用いられたインパスト(厚塗り)に、そして画家自身と妻サスキアをモデルにしたレンプラントの<居酒屋の放蕩息子>(1634年、ドレスデン国立絵画館)との類似に注目したトレ=ビュルガーは、ファプリティウスの死後フェルメールがレンプラントに師事したとまで推測した。続くアヴァールによって全面的に否定されて以来両者の関係は等閑視されているが、少なくともこの一点に限ってはフェルメールはレンプラント派の中に数えられてもおかしくないような筆触を示しているように思われる(レンプラント作品と同様本図においても娼婦が妻カタリーナ、左端の音楽家が画家自身をモデルにしたものとする推測が広く見られるが後者についてはさしたる傍証がない)。強烈な原色の魅力と緊密な平面的秩序を見せる本図であるが、空間の把握は弱く、音楽家のもつリュートの胴体の所在や卓子と人物に見られる視点の違いなビ矛盾をさらけ出した個所も少なくない。完璧な空間把握を示すのちの作品にカメラ・オブスクーラの利用を推定する研究者が多い理由の一つもこの点に存している。