太平洋戦争の末期、沖縄等南西諸島から強制疎開によって多くの人々が宮崎市のこの地に移住してきたが、その中の漆工技術者を中心にして漆器作業を意図して昭和32年4月社会福祉法人宮崎県大島更生指導協会が設立され社会福祉事業授産場を設置、地域の生活困難者に対しても稼働の場所を与え、その後生活保護授産場に変更するなど幾多の変遷を経て昭和48年4月法人名を宮崎県大島振興協会と改称すると共に身体障害者にも稼働の場を開き身体障害者授産所を設け、昭和56年4月には身体障害者通所授産所をも開設して、いづれも漆器製作を授産科目とする一貫作業「宮崎漆器工房」として今日に至る。