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2005年(春) ルーマニア・ブルガリアの旅
5/18〜6/17
1月の末 出先から帰るなり夫が「切符を予約したよ。 ルーマニアとブルガリアに行こうよ。」と言うのだった。 「今年はスコットランドとアイルランドではなかったの」と私。 「イギリスはいつでも行けるよ。 未知の国に行ってみたいのだ」 これで決定。 前日までは予想もしていなかった旅行計画となった。
インターネットを駆使してもなかなか情報は集まらなかった。 何処に行くのと聞かれると「15年くらい前に チャウシェスクと言う大統領夫妻がクーデターで逃げ出したけれど結局銃殺されたあの国」と言うとみな「あー」と納得してくれた。
そして昨年日数が足りなくて行けなかったルクセンブルグにもドイツから足をのばす事になった。
先ず一人分はマイレージで何とか切符が手配できた。
成田→ドイツ・フランクフルト→ルーマニア・ブカレスト (ANAとルフトハンザ)
ルーマニア・ブカレスト→ブルガリア・ソフィア (バルカン鉄道)
ブルガリア・ソフィア→ドイツ・フランクフルト (ルフトハンザ)
ドイツ・フランクフルト→ルクセンブルグ (ドイツ鉄道)
ルーマニア・ブルガリアの国内を移動する為に、バルカンフレキシーパス(一等)を購入した。 結局振り返って見れば一人分約3万円で購入したパスは、現地で購入した何枚かの座席指定券の値段から推測すると随分と割高だったような気がする。 電話で情報を確認しつつ10分間位の時間をかけなければ、一件の切符がさばけないという前近代的なやり方では、混む線では乗り損ねる事もあるかもしれないけれど・・。
列車好きの私の希望で乗ったルーマニア・ブカレスト→ブルガリア・ソフィア間はルーマニアからのワゴンは2等の1車両のみ。 しかも夜一本・昼一本の運行。 現地でのアドバイスで夜間は治安が悪いとの事だった。
「トイレを我慢する体力と精神力がなければ他人には薦められない列車」というと 夫曰く「昭和25・6年頃の宮崎→東京間みたいなものさ」。
私が宮崎→東京間を初めて利用したのは昭和32年。 5・6年後くらいにはブカレスト→ソフィア間がもっと快適に行き来出来るようになればと願っている。
コンパクトに荷物をまとめながら辛うじて持参した文庫本を開く事も出来ず、9時間というあり余る時間を折り紙を楽しんで・・という事が如何に甘い考えだったかを、飛び上がるようなゆれの中で思い知らされたのだった。
これからルーマニア・ブルガリアを個人旅行される方に・・。
駅で観光案内の個人業者にキャッチされる事がある。 彼等が日本語も英語もフランス語も話せますと言う時は往々にして挨拶程度だったりする。 彼等の車はロシアの技術援助で作られた「DACIA=ダーチャと発音する」という古い物でスプリングが全くきいていない。 5・6時間乗って走ると2日間くらいは頭痛に悩まされた。 (骨格の丈夫な人なら問題はないんですって・・・)
「DACIAに御用心」である。
地方の都市はMAILを送っても 「Returned mail」 で返って来ないにも拘らず返事がなかったりする。 FAXを利用した所もある。 すべてやり取りはコピーして持参したので チェックインしてから役に立った。
いつもの事ながら「なんて誠実で親切な人でしょう」と思う事もあれば「結局騙されてしまったのね」と言う事もある。 金銭的な事は「これも又必要経費」と割り切れば済む事だけれど、過ぎ去った時間は取り戻す事は出来ない。
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