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同級生の山崎瑞枝ちゃん。
運動が得意な彼女は陸上部で活躍した。優勝カップを持ってニッコリ!
セピアカラーの写真ながらまぶしい笑顔だ、男子に人気があったのもうなずける。
彼女の父は太平洋戦争のフィリピン戦線で亡くなった。母上は郵便局の保険の仕事をして子供たちを育てた。私らの同級生はそんな戦争の傷跡を心の中に残している人も少なくない。
末弘モト子さんの父は沖縄戦の海上で撃沈され死亡、入沢峯子さんの父も戦争で亡くなった。
父のいない家庭の寂しさは子供心になにかしら影を残していたであろうが、私たちはそれに気がつかなかった…。 |
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この写真は34年卒の女子。
当時の田舎は女子と仲良くするとすぐ噂を立てられた時代であった。だから顔は知っていても親しく声をかけることはなかった。
私らより一級下の女子だが、顔は知っていても親しく会話することもないままに三年間が過ぎた。
中ほどのメガネの婦人が少林(若林)先生。音楽や家庭科を教えていた。色白肥満型の先生で、やんちゃざかりの男子生徒に手をやいていた。
中学生といっても男子は体形的には大人のような人もいた。
(写真提供は大前(梶原)八重子さん、少林先生の右横で中腰の人) |
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