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novel01


初めての冬の朝

 小鳥が死んだ。
 初めて冬が訪れた朝だった。

 久しぶりの休みなので,僕は寝坊と決め込んで,ずっと布団の中にもぐり込んでいた。起きてもいいのだが,まだ部屋の中は寒い。僕は布団の中から手を出して電気ストーブのスイッチを入れた。ジーという音とともにそれは熱を発し始めた。
 気がつくと目覚まし時計が止まっていた。時計は4時27分を指したまま,もうそれ以上時を刻むのを止めていた。僕は再び手を伸ばし,机の上に転がっている腕時計を取った。9時を過ぎていた。 電気ストーブでは部屋はいっこうに温もらず,僕は寒いながら起きることにした。ストーブの前で着替えたのだけれど,服は冷たくまるで水びたしの服が僕の体を包んでいるようだった。
 息をはくと白いもやとなって漂い,すぐに消えていった。壁の暦は師走を告げて,その上には一面の雪景色が広がっている。ただ,暦には窓の硝子越しに,初冬の陽が輝いていた。
 階下におり炬燵に入り,朝刊を読んでいると母が何か言いたげな様子でやってきた。僕は先手を取ったつもりで,「朝飯は,まだいらんよ。」 と言うと,母は「何を言いよんね,洋平。小鳥が死んどるよ。」と言った。僕は一瞬,何のことだか分からなかった。

 僕たち家族が今の家に引っ越して来たのは,僕が中学生になる春で,もうひと昔前になる。実は昔,我が家では犬を飼っていた。その犬はすでに五代目の犬で名前は「番太郎」といった。名付けの親は僕の祖父らしいが,その祖父ももうこの世にはいない。
 この「五代目番太郎」を引っ越しのため,どうしても連れてこれなくなり,父は「番太郎」のもらい手をさがしてかなり東奔西走したらしい。しかし,結局見つからず,引っ越す前日に,自転車でかなり遠くの町まで連れていった。だからその後の「番太郎」のことは分からない。雑種ながら結構頭のいい犬だったので,誰もいない我が家に帰ってきたのかもしれない。
 このこと以来,我が家ではもう犬は飼わないという約束が出来上がり,それに代わり,落ち着いてから小鳥をひとつがい飼うことになった。

「何て」
 僕は聞き返した。
「小鳥がね。死んどるんよ。鳥篭の底で死んどるんよ。」
 母はそういうと,洗濯の残りを片づけに,風呂場の方へ行ってしまった。僕は新聞を読むのをやめ,温もった炬燵から抜け出して鳥篭の吊してあるベランダに降りた。
 空はいつの間にか雲に占められ,外の風は予想以上に寒かった。僕は,置いてあったカーディガンを急いではおり,鳥篭に近づいていった。母の言った通りに,小鳥が一羽,底にうずくまっていた。冬の風に吹かれて,羽が少し揺れていた。相棒はどうしたかと思い篭の中を覗いてみると,巣の中で縮こまって僕を見ている。その目は鋭く,冷たく,哀しかった。
 洗濯が一段落したのか,タオルで手を拭きながら母がやってきた。
「どうしたんかねぇ,急に死んでから。」
「さぁ,わからんけど,とにかくこの小鳥を埋めてあげんと。」
「餌が悪かったんかねぇ。菜っ葉もあげたし,水も毎日代えてあげたのにねぇ。」
「どこに埋めようか」
「やっぱり冬になると体が急に弱くなるんかねぇ。けどもう今年で5,6回目の冬やろ。寿命だったのかもしれんね。」
「さぁ,あああの桜の木の下に埋めるよ。」
「うん,そうしてあげり。それにしてもどうしたんかねぇ。ちゃんと餌もやったし,水も代えたし。これで一羽になったから,また一羽どうにかせんといけんね。」
「何か掘るもの・・・」
 不意の電話のベルが会話を中断し,母は急いで台所の方へ行った。母への電話らしく笑い声が聞こえてくる。
 僕は鳥篭から小鳥を出した。すでに冷たくなっていた。冬の風どころの冷たさではなかった。僕の掌は冬よりも寒かった。僕は両手で小鳥を包むと,鳥篭に残された小鳥の目の高さに掲げた。小鳥は少し驚いたように後ずさりしたが,その目は相変わらずの目立った。
 小さな庭の隅の桜の下を,僕は転がっていた木ぎれで掘り始めた。小鳥は枯れ葉の上でじっと眠っている。少し深く掘った後,僕は冷たくなった小鳥を穴に埋めようとして,はっとした。 この小鳥には名前がなかった。ずっと飼い続けていたのに,この小鳥だけじゃなく残された小鳥にも名前はない。名前を持たずにこの小鳥は死んでしまった。
 小鳥の上に土の布団を掛けてやりながら,僕の頭の中では今までのことが回っていた。初めてたまごを3つ生んだ日。その3つとも孵らないと諦めた日。鳥篭から飛び出して大騒ぎをして捕まえた日。猫にねらわれたところを助けた日。いくつもの絵が頭の中を過ぎていった。 僕は小鳥の上に小さな山をつくり,その上に,葉の一枚散り忘れた小枝をさした。そして,僕は合掌しながら知らないうちに「番太郎」と呟いていた。

 風は強く吹きつけているが,雲の切れ間からは冬の陽が射してきている。
 まだ冬は始まったばかりだ。   



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