直線上に配置

My impressions2
雑感です。


目次

No1パソコン(99.01.30)

十五夜(2000.9.12)

夏に想う〜父の戦争体験〜(2000.7.20)

梅雨の虹(2000.06.21)

8000カウント(2000.06.17)

皐月晴れ(2000.06.15)

人間ドック(2000.06.09)

人の不幸は(2000.06.07)

宮崎の初雪(2000.02.08)

パン(2000.02.05)

巨人が来ると寒くなる(2000.02.02)

冬の三角(2000.01.29)

阪神淡路大震災から5年(2000.01.17)

コナンのプレステ(2000.01.10)

キグレNEWサーカス(2000.01.10)

2000年の初日(2000.01.10)

敗北もしくは親ばか(99.09.05)

シーガイア(99.08.29)

ゴルフ(99.08.24)

夕有風立秋(99.08.24)

MIDI(99.08.08)

机を並べて(99.08.08)

続・台風(99.08.08)

台風(99.07.28)

朝顔(99.07.28)

冬について(99.01.31)

神戸(99.01.31)

小村先生(99.01.31)

地域振興券(99.01.31)

庭(99.4.18)

メモリ増設(99.4.18)

カラオケ(99.4.18)

再セットアップ(99.4.24


十五夜

息子が,夜,剣道から帰ってきてすぐに言った。
「お父さん,今日は十五夜だよ。今ね,月が見えたよ。すごい速さで雲が動いていて,すぐに見えなくなったけど,十五夜が見れたよ」
十五夜。ここは団地なので,残念ながら歴史がなく,十五夜の風習はない。
しかし,知人の地区は昔ながらの十五夜の風習が残っており,今夜は子供達が地区内をまわるとか。家の縁側に袋に包んだお菓子が置いてあり,それをもらっていくらしい。
もう子どものいない家庭も,この日ばかりはお菓子を用意し,近所の子に「よかったらおいで」と声をかけているとか。
最近は,自転車でまわる子も増えたらしいが,楽しみな夜だと思う。
ちなみに,我が子に「十五夜で何かいいことあったね」と聞くと,
「給食で十五夜ゼリーが出た」と言った。まあそれも確かに十五夜。
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夏に想う〜父の戦争体験〜

大正10年生まれで,7年前に亡くなった父は,先の大戦の時,2等兵として徴兵された。
昭和19年のことであった。
徴兵を伝える知らせ(赤紙)で,父は和歌山に向かった。そして,船に乗りフィリッピンを目指した。

船には400人以上の上官や先輩や同期の兵士が乗っていた。2等兵の父たちにはもちろん部屋はなく,甲板で寝起きをしていた。そんなある夜・・・
台湾沖で爆撃を受けた。いたるところで火災が起き,船腹には大きな穴が開き船は撃沈沈没。甲板で寝ていた父は,炎で赤く染まった海に飛び込んだ。船腹の大きな穴に海水が流れ込み,海に飛び込んだ兵士の何人かはその渦に飲み込まれ,船内に流されていった。
父たち10数名は1m四方の板にしがみついて漂流した。板に乗ると沈むので,みんな板の端につかまって救助を待った。救命具は身につけていたが,当時は1日ぐらいしかもたなかったそうだ。それ以上立つと水が浸みてきて救命具の薬をなさなかったとか。
2等兵の父は上官から鉄拳の指導があったので,救命具のひもをきちんと股間に通して固定していた。それを怠った者は救命具が浮き上がり,首筋とあごのところに当たっていた。繰り返される波に揺られ,救命具は首筋とあごの皮をそぎ,出血し,海水が浸みたそうである。
また,台湾沖にはサメがいた。それで10数名全員が,下帯(ふんどし)を出し,漂流する板きれが,さながら大きな1匹のクラゲに見えるようにして身を守った。サメは自分より大きなものは襲わないから。
漂流して迎えた夕暮れ。このまま夜になったら救助は絶望と思ったとき,捜索していた見方の飛行機に発見され,船に救助された。
船に乗り込んでいた400人のうち,約半数が「名誉の戦死」だった。

その後,父たちはフィリッピンの物資輸送基地に配属された。
昼前に起きて,運ばれてきた物資を小舟(ボート)に積みかえる仕事をする。
夕方から夜にかけては,モータボートのような船に小舟をいく艘もつなぎ,物資を日本軍の前線基地近くまで運ぶ。早朝帰ってきて,就寝。という生活だったようだ。
基地に兵士の宿舎はなく,相変わらず貨物船の甲板で寝起きし,生活をしていた。
ある朝,物資運搬を終えた父は,仲間と甲板で食事をとっていた。貨物船の食堂は上官専用で2等兵は使えない。すると,空の一角がキラリと光った。敵機来襲。
瞬く間に,爆撃を受けた。貨物船の食堂にも甲板にも爆弾は落ち,爆風で父たちは通路をコロコロ転がって逃げたそうだ。このままでは貨物船は沈む。しかし,陸へつながる通路も破壊されている。海に飛び込もうとしたとき,岸のクレーンが爆撃を受け,折れて船に倒れ込んできた。父たちはそのクレーンを伝わって陸に戻り,そのまま基地周辺のジャングルに逃げ込んだ。
輸送基地を破壊しつくすまで空襲は続いた。
ここでも100名近くが「名誉の戦死」をした。

敗戦の濃くなった頃,父たちはいよいよ前線基地へ配属された。
その部隊の作戦は,敵の基地のある島に上陸し,基地を粉砕することだった。
父たちは,敵基地の反対側の砂浜に上陸を敢行。しかしすぐに敵機に発見され掃射をうける。
機関銃の掃射がつづき,まるで戦争映画のように砂埃が規則正しくあがったそうだ。
みんな必死で砂浜を走り,ジャングルに逃げ込む。そのジャングルにも攻撃が行われる。
上陸作戦は案の定失敗。武器弾薬はほとんどなく,また部隊の大半が「名誉の戦死」をした。
それでも父たちは,ジャングルの中を敵基地に向けて進む。
食料はすぐに底をつき,木の根や木の実,トカゲやヘビ,虫など何でも食べた。水はスコールの他,水たまりの水を飲んだ。ほとんどの兵士が腹をこわし,それでも歩いた。
そして,敵基地に迫り,玉砕を覚悟したとき,敵基地から大音響で日本語のアナウンスが。また,上空の偵察機からも日本語のアナウンスが・・・。
「日本は負けた。降伏しなさい」という内容だったそうだ。
その翌日,父たちの部隊は降伏し,捕虜になった。昭和20年の8月下旬だった。

捕虜の生活を4ヶ月ほどして,その年の暮れに父は日本へ帰還する。
無事に松山の片田舎に戻り,父の戦争は終わった。

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梅雨の虹

梅雨明けを思わせる猛暑が続いている。
気温は30度を超えている。汗ビッショリである。
宮崎では34度。日向では35度。6月としては記録的な暑さ。
そして夏至。
夏至が晴れているのは珍しい。梅雨のさなかの日なのに。
さて,夕方。暑さがようやく和らぐ頃。西の空が輝いていた。
白い雲がどんどん育っていく。輝きながら育っていく。
で,急に黒い雲が広がり始めると,突然の夕立。午後7時頃の夕立。
空いっぱいに入道雲と西日を受けた雲と雨雲が入り乱れている。その中を雨。
そして,通り雨がすぎた頃,東に虹が。
言葉をなくす風景というのはこういうものなのかもしれない。
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8000カウント

HPのカウントが8000を越えた。
8000カウントのゲットは私。アクセスしたら7999だったので,再度アクセスして8000。
個人のHPとして8000はすごいと思う。(自画自賛)
これは,今は休業中の「掲示板」や「ダイエット日記」のおかげと思う。
再開を願う。
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皐月晴れ

久しぶりに晴れが続いた。湿度も低く,爽やかな空気だ。

皐月晴れ。もしくは早月晴れ,一般には五月晴れ。
今は5月の気持ちのいい晴れ間を「さつきばれ」と言っているが,本来,梅雨のさなかの晴れ間を「さつきばれ」という。
「さつき」(旧暦)の「さ」は,さみだれ(五月雨)の「さ」,さおとめ(早乙女)の「さ」とか,いろいろと使われている。
さみだれは,「皐月の水垂れ」の意味。つまり梅雨。
さおとめは,「皐月の乙女」の意味。(田植えをする女性の意味)
日本古来の美しい言葉だと思う。

五月晴れが「5月晴れ」の意味になっているが,誤用も定着すれば正しい用法となる。
他にも有名なものとして,「新しい」と「さざんか」がある。
「新しい」(あたらしい)は本来「あらたしい」(今でも「新たに」とか使う)だったし,
「山茶花」(さざんか)は本来「さんざか」だった。
「言葉は文化。言葉は生き物。」と言われる通りである。

久しぶりに晴れが続いている。洗濯日和である。
ただ,週末は雨。梅雨空が続く。週末の雨はこれで5週連続となる。
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人間ドック

人間ドックに行った。
10年くらい前に体をこわして,入退院を繰り返した。
ここ数年は,時々の通院でごまかしていたが,やはりドックで悪いと気になる。
年齢のため,毎年ドックを受けるが,この日と結果を受け取る日はドキドキものである。
今日のドックは2時間半かかった。別の病院では1時間程度で終わるので長い方であった。
血圧は最高が96とかで,びっくり。低すぎる。これで「朝が苦手」といういいわけができる。
また心電図の時,もっとリラックスしてくださいと言われた。
すっかりリラックスしていたのに。よけいに緊張してしまった。
採血は痛かった。3本とったが,入れ替えるたびに血管が痛んだ。ちょっと参った。
胃の透視は,間接で,バリウムを飲む。
バリウムは平気だが,下剤を飲むのであとがつらい。
さて,人間ドックは2時間半かかったのだが,待合室で怒っている男性がいた。
いかにもイライラしていて,ウロウロしていて,鼻息が荒くて,ひどく目立っていた。
受付の女性や看護婦さんに何度も「まだか」「いつまで待つのか」と言っていた。
ドックでイライラしてどうなるのだろう。
きっと会社では待つのが嫌いな上司なんだろうなと思った。
さて,人間ドックが終わって帰宅したあと,かみさんと食事に。
おなかにバリウムと下剤を感じつつ,かみさんと二人の食事はそれなりに点数稼ぎにはなったようだ。
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人の不幸は

話題1
最近,パソコンが暗い。バックライト機能がおかしい。
原因は,ノートパソコンの上に文書を山のように積み上げていたかららしい。
知人に聞くと,「故障」なので修理が必要とか。
困った。パソコンは毎日使っている。修理に出しても代わりはこない。
もともと「暗い」と揶揄される性格だが,パソコンも「暗い」とは。
パソコンも,子どもやペットのように持ち主に似るものなのだろうか。
それにしても,パソコンの画面が暗いと言ったときの職場の仲間のうれしそうな顔(^o^)。
人の不幸は密の味だそうだが。まあ自分も人の不幸を笑ってきたので自業自得か。
もちろんこの「不幸」は,笑える程度のレベルの「不幸」であるが・・・

話題2
突然,プリンターの印字が薄くなった。
ヘッドのクリーニングやインクの交換をしても全く変わらない。
canon bj 35v2。買ってからもう5年くらいだろうか。
これまた,仲間のうれしそうな顔(^o^)顔(o^^o)顔(~_~)。
これは,友人も経験があったそうで,修理に出せばすぐに直るとか。
ただ,5年というのは「寿命」ではないかと笑う。
確かに,ここ2年は酷使している。
今は,文書の文字を「太字」に変換してプリントアウト。
それでも薄い。
もともと「薄い」と頭のある部分を揶揄されるのだが,プリンターも薄いとは。
パソコンだけでなく,プリンターも持ち主に似るのだろうか。
困った。
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宮崎の初雪

宮崎の街に初雪が舞った。
よく晴れた冬の昼下がり。不意に陽が翳ったかと思うと,粉雪が舞った。
強い西風に乗って,粉雪が宮崎の街に舞った。晴れ間が見えても雪は舞い続けた。
その後,夕暮れから夜まで,雪は断続的に舞った。
それは積もるという感じではなかった。降ると言うより,舞うという感じ。山に降る雪がちぎれて里まで流されてきた感じ。
小林辺りは高速が雪で通行止め。山間部も軒並み積雪でチェーン規制。ほとんど雪の降らない宮崎の街にも雪が舞った。
ラジオは昨年より早い初雪といった。 ということは昨年も初雪が舞ったことになる。
そういえばここ数年は一度くらいは雪が舞ったような気がする。
2年前,仕事でNHKに行く途中,雨がみぞれにかわり,やがて雪まじりになった。そのときの雪では宮崎の隣町では積雪があったとも聞く。
宮崎の街に雪が舞った。
雪を知らないこどもたちは大喜びで走り回った。
西風の強い日だった。晴れた空からも雪が舞った。宮崎が雪に煙った珍しい日となった。
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パン

ご飯党だが,かみさんのパンは別。大変おいしい。特に焼きたてはたまらない。
クロワッサン,メロンパン,食パン,チーズパン,さらにはキャロットケーキをはじめシュークリームやいろいろなケーキも焼く。粉をこねて,寝かせて,焼いて・・と,手順はよくわからないが,楽しそうにしている。
時には娘や息子と一緒に作る。 リビングに香ばしいパンの香りが広がると,こどもたちは待ち遠しくてたまらない。
思い切ってパン屋さんでも開いたらと思うのだが。
おいしいパンの噂を聞いて,賑わうのではないかな。
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巨人が来ると寒くなる

2月になり,巨人の宮崎キャンプが始まった。今年は,長島監督の背番号3が話題の中心。
宮崎には「巨人が来ると寒くなる」という季節感がある。実際,巨人キャンプの2月は結構寒い日も多い。ここ数日も肌寒い日々である。ただ,陽が射すとさすが南国という感じもするし,冬至よりもずいぶん夕暮れが遅くなった。
実は21年前の2月,宮崎神宮で長島監督に会ったことがある。
前のシーズンを最下位という結果で終わった長島監督の再起を期した宮崎キャンプだった。学生だった私が,宮崎神宮を自転車で通りかかると,すごい人波が。その中心に長島監督がいた。
急いでかけより,人波をかきわけサインをねだった。もちろん色紙ではなく,レポート用紙。長島監督はサインをしてくれた。
「君,受験生?」 「いいえ,学生です。」「そう」 「長島さん,今年は優勝してください」と言うと「OK!」 長島監督は甲高い声で応えてくれた。
宮崎神宮へは,キャンプ前日に巨人軍全員が参拝するが,長島監督やコーチはお忍びで時々神宮に来るらしい。たまたまその日に出くわしたようだ。お忍びとはいえ,観光客に囲まれ,報道陣に囲まれての参拝ではあるが。
昨日から巨人キャンプが始まった。 テレビや新聞でも宮崎がたくさん報道される。
年に一度,宮崎が一躍脚光をあびる時期。
ダイエーファンの私にとってもこれは何か誇らしい感じがしてくる。寒くなってもいいかなと思ったりもする。
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冬の三角

仕事の都合で,帰宅は早くとも7時を過ぎる。
立春を控え,日没は冬至よりは遅くなったが,それでもまだ冬の夕暮れは早い。
6時はもう夜。そして夜の中,車を走らせ自宅へ急ぐ。
暖冬になれた頃やってきた大寒波。北海道では氷点下36度を記録し,北九州でも大雪。宮崎は大快晴。切るような寒さと霜で真っ白な朝だが,昼は陽射しが降り注ぐ。
宮崎の寒さは,北九州のどんよりとしたやり場のない寒さとは違う。背筋がシャンと伸びる寒さである。
さて,帰宅はすっかり夜。自宅の駐車場からふと空を見上げると,南東の空にオリオンが見える。
そして,オリオンの右肩を基準に,やや南西に下がるとプロキオン,そして地平線近くを東に行くとシリウスが。
これが冬の三角。
最近は,月さえも見えない,凛とした夜。その空に冬の三角がいる。
なぜか「還らなくちゃ」「還ろう」という言葉が心の中で響く。「何に急かされているのだろう。」「何であくせくしているのだろう。」心の中で誰かが叫ぶ。
大きく吐く息は白く,寒さにふるえ,玄関を入ると,「お帰り」の声。
ホッとする温かさだ。
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阪神淡路大震災から5年

阪神淡路大震災から5年が過ぎた。
「神戸が燃えています」とヘリコプターからの中継に言葉を失ったあの日から5年。
心の底から,体の芯から震えたあの日から5年。
震災からしばらくして,淡路島から宮崎に,ある家族が引っ越してきた。父は淡路に残り復興の手助けを。母と子ども二人は宮崎の知人宅に。
その母と話す機会があった。つらい話だった。話しながら,涙を流した。それは悪夢だった。
「何もかもなくした」と言う話なので,お節介ながら,募金と衣服や学用品等の呼びかけをした。数日で山のように集まった。それを受け取るときその母は,別の涙を流した。
震災の朝,友人はアパートの2階にいた。気がつくとアパートは崩れ,部屋はなかった。
奥様をとりあえず里に帰し,友人は神戸で避難生活の中,仕事を探し,新しい住まいを探した。アパートはがれきと化し,ブルドーザーで片づけるとき,せめてと自分の部屋辺りを必死で探した。結婚式の写真が一枚見つかった。
阪神淡路大震災から5年が過ぎた。
「神戸は見事に復興しました」とレポーターの声にTVに見入る今。
でも,心の復興はまだ道半ばと感じるのは,私だけではないはず。
風化してはならない日の一つである。
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コナンのプレステ

正月にコナンのプレステを買った。最新の作ではないが,おもしろそうだったから。
コナンは少年サンデーに連載中のマンガの主人公。
お子様向けの探偵ものである。
プレステには2本のシナリオが入っていた。
息子と頑張る。
宝島の秘宝物語は,息子が先にクリア。
ただ,秘宝のありかを示す古文書の解読は私がした。(負け惜しみ)
ミニゲームがいっぱいで,そのあたりは息子の方が覚えが早い。
同級生殺人事件は,私が先にクリア。
息子は,文芸部室と体育倉庫で見落としがあり,犯人が分からないままエンディング。
私は,脅迫文の謎もきちんと解き,見事,犯人を挙げた。
(41歳が10歳と張り合ってどうする)
コナンはお子様向けなので,それぞれ2時間程度でクリアできた。
これに味を占めたので,中古で金田一を買ってきた。
でも,もう冬休みは終わり。私も仕事が山ほどたまっている。
金田一はそのうち,取り組もう。
ところで中1の娘は,そばで見ているが,自分からはしない。
関心がないのだろうか?でも,64の牧場物語2にははまっている。
テレビゲームも結構,家族団らんだ。
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キグレNEWサーカス

キグレNEWサーカスが1月2日から,宮崎公演をしている。
5日の日に休みをつくって,家族で観にいった。
入場券の他に指定席券も購入。
しかし指定席は一番後ろの一番左隅。しかもすぐ後ろで暖房の風が轟音をたてている。
まあ自由席よりは正面なので確かに指定席の価値はあるが。
キグレサーカスに行くのは2度目。宮崎に来たのは何年ぶりだろう。
サーカスが始まると,時間を忘れて観てしまった。
おもしろかった。
定番の,綱渡りや空中ブランコにドキドキはらはら。
ピエロ2人の演技に大笑い。(でも技はすごい)
熊・子犬・猿・子馬などの演技は大拍手。
宝塚もどきの華やかなステージもあった。
イリュージョン(マジック)もあり,飽きない2時間だった。
それにしても,団員の技術はすごい。
体操の選手として国体やオリンピックに出られるのではないかと思った。
今日の新聞に,入場者数が3万人を越えたとの記事が。
確かにおもしろいものね。
おもしろいものは,にぎわうんだ。
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2000年の初日

2000年の初日を見に,家族で青島に行った。
我が家から青島へは車で約20分。日の出は7時20分頃。
6時45分に家を出る。
もうすぐ夜明けだというのに南バイパスはまだ暴走族の車がたくさん。
木花の運動公園前では警察が検問をしていた。
お互い2000年ということで気合いが入っているのだろう。
青島の民間駐車場へ。なんと1時間でも1日でも500円とは。
参道を歩いて橋を渡って青島へ。ちょうど朝日が昇る。
2000年の初日。寒くはなかった。
毎年恒例の空手道場の寒稽古も海につかりながらやっている。
今年は陸上部(駅伝?)の生徒が多い。合宿中かも。
青島神社に初詣をして,神籤を笹に結びつける。
青島からの帰り,検問はもう片づけた後だった。
でも,宮崎インターあたりにはまだ暴走族らしき車がちらほら。
暴走族の連中は社会性は皆無だが,それも個性と言うべきか。
それとも一過性のはしかか?
それでも21世紀は彼らの時代なのだろう。
それが21世紀の日本なのだろう。
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敗北もしくは親ばか

息子の剣道の試合が佐土原町の体育館であった。
初めての試合。
一礼の後,面を打つ。接近戦で竹刀で押し合う。
一歩も引かずに攻撃する。
と,相手の色の赤旗が,さっと3本あがった。
面をとられた。
その後も試合は続くが,決め手がなく時間切れで敗北。
2分くらいの初試合は終わった。
確かに負けた。
しかし,息子があれほどがんばった姿は久しぶりに見た気がする。
それだけで感心。
「それは敗北で始まった」という有名な言葉がある。
とりあえず初めて勝てつ楽しみは,またこの次にしておこう。
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シーガイヤ

夏休み最後の土曜日に,家族でシーガイヤにいきました。
一つ葉の松月の先は道路工事。
標識を見落とし,間違えて一つ葉有料に入ってしまい,シーガイヤのICまで210円でした。
わざわざ有料に入らなくても,もちろんシーガイヤには行けます。
さて,シーガイヤ。赤字1000億の施設ですが,それはともかく・・・。
さすがに人が多い。これで赤字1000億?(くどいか?)
波に揺られたり,波に飲まれたり,のんびりとした時間でした。
ただ,何かに乗ろうとすると「30分待ち」の状態。
「ロストワールド」「ウォータースライダー」など,5つくらいしたけれど,
待ち時間が長くてちょっと興ざめでした。
それはそれでおもしろかったけれど。
途中,何度かドームが開きました。すると,夏の陽射しが降り注ぎます。
それは,かえって寒いくらいでした。
家族で,のんびり波まかせ。いい点数かせぎでした。
こんどは,なにも乗らずに,ずーっと波打ち際や沖のロープあたりではしゃぐのもいいかもしれません。
帰りは「森の詩季」で夕食。
ひさしぶりの家族の一日でした。
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ゴルフ

ゴルフに出かけました。
職場の仲間と9人。3人の組に分かれてプレーしました。
私は,コースは4回目のビギナー。
仲間の中には,80台,90台の上手いな人もいます。(3人)
100前後,110前後の人もいます。(3人)
あと,私と同レベルの人もいます。(3人)

で,ハンディです。
私は,初回約160,2回目約180,3回目約150と悲惨な記録なので
今回はハンディ70と大盤振る舞いに甘えました。
同レベルの人も70のハンディでした。
もちろんハンディが36までしかないことは分かっていて,
まあ一種のローカルルールです。

とても暑い日に回りました。
日焼けどめを手や顔や首にぬりました。
ホールごとに水をがぶがぶ飲みました。
汗びっしょりになりました。
それまでしてゴルフをしなければいけないのかなと思ったりしました。

OUTは74(+38) OBが響きました。
INは65(+29) 15番くらいから調子が出ました。
ショートで初めてワンオンして,初めてのボギーもありました。
で,139は恥ずかしながら自己新です。しかもハンディ70だと−3です。
運動神経0の私にとっては,これでも目一杯です。

ゴルフの数日前に,250球ほど打ちっ放しにいったのが幸いしたのでしょうか。
スライスはまだ直りませんが,すこーし面白く感じたゴルフでした。
次回は秋。今度は120台を・・・。欲張りすぎかも・・・

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夕有風立秋

8月23日は処暑。
立秋も過ぎ,暦は秋なのに,宮崎ではこの夏の最高気温を記録しました。34.9度。
ただ,例年の夏は35度台の猛暑の日が数日続くことがあるので,少し,低い感じもします。
それにしても,雨の夏でした。約3週間,雨・雨・雨でした。晴れたのはお盆の数日のみ。
ここにきて,残暑の日々ですが,もう手遅れの感じです。
何故って,空の雲はもう秋の雲だからです。
夕方,犬の散歩の時に眺める夕焼け空は,すじ雲の流れる秋の顔です。
 
 土近く 朝顔咲くや 今朝の秋   (高濱虚子)

好きな句です。ラジオ体操の朝などはこんな感じを味わえます。
朝に,夕に,そして夜に,秋はしっかり訪れています。
それでも,昼はまだまだ汗ばむ日々。
やはり,夏は夏らしく,が一番です。

閑話休題
夕有風立秋は,
「夕方の風に秋が立つのを感じる」という趣のある言葉ですが,
音読みすると「you are foolish」(おバカさん)という言葉遊びです。

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MIDI

ひょんなことから,MIDIに凝っている。(MP3)
実は,雑誌の付録に付いているクラシックのMIDIを聴くことはあった。
でも,最近,かみさんがこのホームページに音を付け,
それに比例して,いろいろな素材屋さんからMIDIを見つけるようになり,
自分も面白そうだなと思うようになった。

閑話休題
最近は,かみさんのホームページ関係の知識は私を越えている。
かみさんから学ぶことが多い。
すごいことだなと感心しきり。

で,MIDIに関心を持って気付いたのは,MIDIってたくさんあること。
今,吉田拓郎・さだまさし・宇多田ひかる・サザン・チューリップなど,
YAHOOで検索しては,聴いている。

たまたまノートがVAIOなので,音質も結構いい。
音楽CDからMIDIを作るソフトもベクターから見つけた。
(**今は著作権の関係からかもう見つからないけれど**)
ちょっとはまってしまいそうな気配がある。

個人的な好みなのであまりボリュームを上げられないが,
MIDIで好きな曲を聴きながら仕事をするのは,何か優雅な感じがする。
これもマルチメディアなのかな。

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机を並べて

 2階の部屋の配置換えをした。
古くなったデスクトップパソコン(ラック)と本棚と,机の場所を入れ替えた。
理由は,テレビが見えるということ。
部屋にはテレビがあるが,机の場所からは見えず,何か寂しい感じがしていた。
仕事中につけることはほとんどなかったが,パソコン(趣味)で遊んでいるときには何か,テレビも見えるといいなと思っていた。
もっぱら,つけっぱなしで,見入ることはないのだが,ふと,見てしまうこともある。

 で,机の配置換えで,結果的に我が家のかみさんと机を並べることになった。
今もかみさんは,隣でパソコンをしている。メール書いたり,書き込みをしているようだ。
この歳になって,机を並べて,過ごすとは思わなかった。

でも,これといって会話はないんだけれど。
キーの音と,テレビの音が,二人の間に響いています・・・。
静かな時間です・・・。(;゚゚)ウッ!

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続・台風

夏休みになったら,台風が続けてやってきた。
一度目は,どちらかというと風台風。
二度目は,どちらかというと雨台風。
それにしても,ずーっと雨。
山間部では累積の雨量が1500ミリを越えたらしい。
1500ミリは半端じゃない。
地方によっては一年の降水量に匹敵する量だ。
北海道では,2年分の雨になる。

宮崎の雨は,降ると土砂降りの感じがする。
宮崎に住み始めたとき,それを実感した。
スコールのようなものの感じ。
台風ではそれがずっと続く。

8号が過ぎたかと思えば,
もう,沖縄近海に熱帯性低気圧が2つある。
今年は台風の当たり年だろうか。
それにしても,夏はどこへ行った。
聞けば,東北や北海道が暑いとか。
やはり世紀末なのかな。

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台風

夏休みになったら,台風がやってきた。

台風はつまりは熱帯性低気圧で,中心の風速が17m/秒以上のものを指す。
つまり,中心風速が16mまでは熱低(熱帯性低気圧),17mを越えれば晴れて台風と呼ばれる。
台風は熱帯低気圧なので,前線がない。前線があるのは温帯低気圧だけである。
これは台風(熱低)が南方で発生するからで,日本付近に来て,勢力が衰え,前線ができると,温低(温帯低気圧)になる。

今度の台風は雨台風であった。
雨雲が南海上につながり,湿った空気が絶えず供給され,宮崎は九州の東側なので,その雨雲がそのまま宮崎に入り,豪雨となった。
国道は通行止め。JRも宮崎以北は運転見合わせ。飛行機は飛ばない。
今度の台風は小さいイメージがあっただけに,結果的にその威力には驚かされた。
もちろん風も結構吹いた。木々の小枝が折れたり,収穫間際の稲が倒されたりしている。
台風を甘く見ちゃいけないなと反省しきりである。

ところで,台風が朝鮮半島に抜けた日,まだ降りしきる雨の中,プール掃除をした。
びしょびしょになりながらの掃除だったが,なぜかこういうのは楽しい。
男の性だろうか。ただ,疲れたが・・・。歳だ。

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朝顔

以前,北九州に住んでいたころ,夏になると父が朝顔を育てた。
竹を20から30本,近くの山に取りに行き,それを格子に組んで,家の壁に掛けた。
その竹の格子に朝顔がつるをまき,花を咲かせた。
盛りのころの花の数は,ゆうに100を越えた。
夏休みになり,ラジオ体操から帰ったとき,その花の数を数えるのが日課であった。

閑話休題。
最近はラジオ体操がない。ちょっと寂しい気もするが,寝坊の私には助かる。

朝顔は,壁一面に広がり,いろいろな色の花を咲かせた。
つぼみもあり,また,種もでき,夏といえば朝顔だった。

宮崎に来て20数年,毎年,朝顔を育てたいと思いながら,できずにいる。
父が逝ってもうずいぶんになる。来年こそは,来年こそはと思う。

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パソコン

パソコン 我が家に4台目のパソコンがやってきた。
1台目は,6年前の夏。
NEC9821Ce。CPUは33MHZ,メモリ4.8MB,ハードは200MB。
MS-DOS5.0とWindows3.1であった。今でも健在で,子どものゲーム機として活躍している。
1台目は,パソコンを学ぶためにかなり無理な使い方をした。
メモリを節約するための設定にはまり,
autoexcx.batやcinfig.sysをいじったり,バッチファイルを作り,簡素化を目指したり,
そのたび動かなくなり,初期化→再セットアップを何度したことだろう。
最近はあまり起動することもなく,窓際でのんびりしているが,愛着は変わらずにある。
仕事場に持っていって使おうかとも考えている。

2台目は,4年前の夏。初めてのノート。
NEC9821Nd。CPUは25MHZ,メモリ1.6MB,ハードは20MB。
白黒画面で遅かったが,ノートなので重宝した。
ただ,すぐに新しいノートを買うことになり友人に売ってしまった。今は友人のもとにいってしまった。
どうしているのかな。現役で活躍しているだろうか。手放したことを少し後悔している。

3台目は,4年前の秋。
NEC9821Na13。CPUはPen133MHZ,メモリ48MB,ハードは1GBだったが今は3.2GB。
ノートである。かなり使い込んだ。
今は家族のものとなり,家内のもとで活躍している。
十分現役である。このノートで,大会場でプレゼンをしたり,様々な仕事をしたので思いも深い。

4台目は,今年の冬。
VAIO PCG-881/BP。CPUはPENU233MHZ,メモリ64MB,ハードは4GB。
これからが楽しみなやつである。
当分3台目を使うつもりでいたのだが,家内がインターネットにはまり,
自宅用に使いたいと言うことで,新しく4台目がくることになった。
ずっとNECだったが,NECがDOS/V機に吸収されて以来,NECの魅力はなくなった。
だから,SONYとなった次第。(もちろんNEC以外なら富士通でもパナソニックでもよかった。)
これからの4台目。仕事に趣味にガンガン活躍してもらうつもりである。

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冬について
 
冬は好きですか
実は,わたしの一番好きな好きな季節は冬です
草木は枯れ,木々は裸になり,動物は丸くなる
そんな季節ですが,そんな中に,春への命を感じます。
また,人間が自然の中で生きていると強く感じるのも冬です。

そして,冬風に吹かれると,キリッとします。
痛いような,透明な,冬の風も好きです。

ですから,冬が一番好きなわけです。
ただ,歳をとり,「寒さ」にはすっかり弱くなりましたが・・・

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神戸

仕事で神戸に行きました。一人です。
震災以来初めての神戸でした。なぜか妙に緊張しました。
三宮はすっかり元気で,人も街もいきいきしていました。ホッとしました。
さんちか(三宮地下街)がちょうど完成したらしく,キャンペーンをしていました。
「さん○か」の○に言葉を入れるクイズです。一等は車。人があふれていました。
仕事の人も,買い物客も,学生も,次から次に申し込みの紙に書いています。
何かうれしくなり,わたしも申し込みました。

夕食をとろうと,さんちかをうろうろしていると「灘の酒」の看板が。
焼鳥屋に入り,地酒を2杯。冷や酒なのですぐにぐるっときいてきました。
酔うほどに,酒が好きだった父を思い出しました。
つまりは神戸で二人酒になったようです。

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小村先生


小村先生は内科医です。
以前は医大にいたり,総合病院に勤めていらっしゃいましたが,今は小さな町(高岡町)に開院。
一国一城の主になりました。
小村先生は主治医です。
わたしが体をこわしたとき以来のおつきあいです。
とても温厚で,患者の立場で話してくださるので,信頼しています。
今でも,ホームドクターとしてお世話になっています。
時々電話もくれます。
たまに病院に行くと,
「休みもありません」と言って笑っています。
このまえのインフルエンザの時には夜9時近くまで患者さんをみていたとか。
こういうお医者さんと巡り会えて,よかったなと思っています。

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地域振興券


地域振興券を二人分もらいました。
休日なのに対応してくれました。ありがたいことですが,その人(6人)の日当も税金でしょう。
宣伝も税金でしょう。なにか壮大な無駄という気がしてなりません。
それに,住所のある市町村以外では使えないのが残念です。
なぜなら,我が家はほとんど,今すんでいるところで買い物をしないからです。
また,お釣りが出ないと言うことで小規模の店ではたぶん使われないのかもしれません。
地域の振興になるのでしょうか。不思議です。
なぜ,このようなことを実施しているのでしょうか。
減税でもなく,福祉でもなく,わけのわからない「政策」です。
職場では支給対象外の方も多く,「俺の金を勝手に使うな」と揶揄されたり・・・
これで何の効果があるのでしょう。
不平等感のみが残る「政策」です。
それでも4万円はありがたいです。もらえる立場ではありがたいです。
もらえない立場では,不満いっぱいでしょう。人とはそういうものです。
我が家の地域振興券は,結局,自転車に化ける予定です。
でも,その自転車は他の市町村で買いました。その方が安いから。
つまり,その分,近所のスーパーの買い物に地域振興券が使われるわけです。
ささやかな地域振興に役立てて幸いです。(?_?)

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我が家には狭いながらも庭があります。
はじめは,芝の敷き詰められた青々とした庭でありました。
フェンス越しに木も植えました。それはまだ,小さい木でした。
それから数年経ち,芝と雑草との戦いが繰り広げられている頃,
我が家に小さな犬がやってきました。
地元の新聞の小さな記事で「雑種・あげます」とあった犬でした。
その犬はポッキーと名付けられ,庭の主になりました。
成長するにつれて,庭の辺り一面を掘り返し,庭は見事に姿を変えました。
芝はポッキーの鎖の届かない場所にのみ残り,しかもそこは雑草も残り,
つまりは,「混沌」になりました。
庭のフェンス沿いに花壇があります。ここは「聖地」です。
今は,ノースポール・リビングストンデイジー・桜草・パンジーが咲いています。
季節が移ると,水仙,彼岸花など,律儀に咲きます。
もちろん,その季節の折々の花も咲かすことになります。
フェンス沿いの木々もすっかり大きくなりました。
早咲きの桜,さるすべり,りんご,さざんか,きんぽうげ,もくれん・・・。
脈絡のない木々が花を咲かせて実を付けてくれます。
落ち葉が多くて大変です。
それが,我が家の庭です。埴生の宿ですが,結構気に入っています。
ただ,隣近所の整然とした庭をみると,若干心が騒ぎますが・・・

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メモリ増設

バイオのメモリを増設しました。64MB追加して,今は128MBです。
メモリ増設は今まで,PC9821Ce(デスクトップ:すでに化石)でも,
PC9821Na13(ノート:現役)でも,していたので,数分で終わりました。
バイオのバッテリーをはずし,クッションの上でバイオを裏返し,ふたをはずします。
静電気を逃がし,メモリを押し込み,カチッと言うと終了。
ふたをして,バッテリーを取り付け,再起動してマイコンピューターの右クリックで確認。
メモリは127MBでした。
(1MBは初期に別に使われるので1MB少なくなる)
メモリを増設して感じるのは,確かに速くなったこと。
仕事柄,九太郎(一太郎9)とエクセル97を毎日使うのですが,
九太郎は,起動が10秒弱から6秒位,エクセルに至っては7秒弱から5秒程度になりました。
ファイル管理によく開くエクスプローラもアッという速さです。
特に,2度目の起動は九太郎もエクセルも3秒以内です。
(でも,他のパソコンはもともともっと速いのでは?という気もしています)
とりあえず,快適。15000円の価値はありました。はい。

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カラオケ

カラオケに家族で時々いきます。
娘の歌う歌にはすっかりついていけません。
スピードをはじめ,宇多田ヒカル,パフィ,その他・・・。
わたしの歌う歌は,過去の歌です。
吉田拓郎,井上陽水,泉谷しげる,かぐや姫,チューリップ,海援隊,
小田和正,中島みゆき,松任谷由美,さだまさし,松山千春,・・・
まだ,演歌にいかないだけ「若い」のかもしれません。(^_^;)
そこで,CDを借りてきました。(^_^)v
次回のカラオケでは,V6とEveryLittleThingにチャレンジ。
ついでに藤井ふみやも。(このあたりが「保険」か?)
楽しみです。

追伸:どなたか,わたしの歌の遍歴と合う方,メールを下さいませ。

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再セットアップ

木曜日に買ったパソコン関係の雑誌の付録CDにあった,
ゲームの体験版をセットアップして,ゲームを起動すると画面が真っ黒になりました。
リセット(Ctrl+Alt+Del)も全く反応なし。
電源を直接落として再起動。すぐにその体験版を削除したのです。
何ともない感じで,仕事を開始。一太郎9で文書を打っていました。すると・・・
なんとATOK12の変換候補が表示されません。
スペースキーで次から次に変換できるのですが,
文字列の近くに表示される例の変換候補がありません。
そして,右クリックでのATOのメニューも反応なし。
(IME98は大丈夫でした。EXCELとかも大丈夫。一太郎のみが変)
仕方なく,登録単語をバックアップしてATOK12を削除→セットアップ。
でも,だめ。
仕方なく,一太郎9を削除→セットアップ。
でもだめ。
少し悩んだのですが,結局パソコン全体を再セットアップしました。
データのバックアップをとるのに小一時間。
再セットアップに30分。
自分の環境に戻すのに2時間。(ソフトのセットアップやデータのコピー,設定)
眠い目こすってしました。
以前,一太郎7の頃にもなにかこんな体験をしています。
マイクロソフトと一太郎は相性が悪いという噂も。
ワード98への乗り換えも考えているのですが,ずっと一太郎を使っているので
いまいちワードの操作性がわからないのです。
今忙しいだけに,このまま一太郎でいくしかありません。
安易にゲームの体験版など入れるんではなかったと,反省の今です。

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