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My impressions1
原稿用紙1枚の雑文です。


目次

初めての空気

浅い春

小咄

冬至

パンツの絵

梅雨の折り返し

喫茶「こもれ陽」

親の意見と

夏の終わり

天の川

見舞い

つばなれ

梅雨

昔話

五里霧中と登竜門

葉桜

犬猿の仲

親切

くしゃみ

九九消寒

語源いろいろ

へちま


初めての空気

人は生まれてすぐ,産声を上げ,呼吸を始めます。そして,肺の中に空気が入っていきます。
それは肺の中の隅々まで,小さなところまで入り込んでいきます。
呼吸をする以上,空気は入れ替わっているわけですが,
初めて吸った空気は微量ながら肺胞のすみに残るとか。
つまり,人はみんな,肺の中にふるさとの空気を持っていると言うことになります。
どこに行っても,体の奥深くにふるさとの空気がある。これは素敵だと思います。
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浅い春

春めきて ものの果てなる 空の色 (飯田蛇笏)
雨水が過ぎました。次は啓蟄。春は確実に近づいています。
先日,すごい強風の日があり,黄砂が見られました。
遙か中国大陸より風に乗り海を越えやってきた砂達が,空を霞ませていました。
大陸からの季節風はまだ冷たいですが,春を感じさせてくれるようになりました。
そう言えば,公園の土手に土筆がのびていました。小さな春みつけた,です。
春なれや 名もなき山の 朝がすみ (芭蕉)
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小咄

若・貴の両横綱が初詣をして,「全勝優勝を」と祈願したところ,
神主が「それは無理じゃ。出来ても12勝」と言いました。
若・貴が「どうしてですか」と尋ねたら神主曰く。
「すでに三敗(参拝)しておる」
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冬至

22日(木)は冬至です。
「冬至 冬中 冬始め」と言うように,暦の上では冬至は,冬のまん中ですが,
実際には本格的な冬の始まりの頃です。
しかし,冬至を境に日は少しずつ長くなります。
畳の目一目ずつと言われるようにわずかずつですが,日が長くなります。
寒い中にも,陽射しは日々春めいていくわけです。
それで冬至を昔の人は「一陽来復」と呼び,お祝いをしたとか。
冬至と言えばゆず湯です。これは「冬至」と「湯治」をかけたらしく,それに香りのいいゆずを浮かべたようです。
また,カボチャをこの日に合わせて食べていたようですね。
先日,この冬一番の寒気が流れ込み,冬将軍が訪れました。しかし,寒さに負けず元気に過ごしたいものです。
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パンツの絵

三歳の息子が,風呂上がりに「お父さん,寂しくない」と尋ねてきました。
「何なの」と聞くと「だって,お父さんのパンツには絵がかいていないもん。
ボクのパンツにはダイレンジャーの絵があるし,お姉ちゃんのパンツにはセーラームーンの絵があるよ」とのこと。
「お父さんは大人だから絵がなくても寂しくないんだよ」と答えると「でも,絵がある方が楽しいよ」と不思議な顔。
子どもの感覚に感心した夜でした。
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梅雨の折り返し

あさがおに ふりぬく雨と なりにけり (万太郎)
今年の梅雨は降れば土砂降りです。雷が鳴ると梅雨が明けるといいますが,今年の梅雨は雷も鳴りっぱなし。
気づかない間に夏至も過ぎました。あじさいも見頃です。
そう言えば「理科のリトマス紙はあじさいの花びらからつくる」というなかなか夢のある発想をした子がいました。(実際はリトマスゴケからつくる)
雨続きですが,ひまわりは子ども達より高くのびて,夏をめざしています。梅雨も折り返しです。
ふりしきる 雨となりけり 蛍籠 (万太郎)
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喫茶「こもれ陽」

その喫茶店は銀天街から少しはずれたビルの2階にありました。
そのビルの1階には本屋さんや靴屋さんがありました。
決して人通りは少なくはないのですが,わざわざ2階にあがらなくても喫茶店はその近くにいくらでもありました。
その喫茶店は,カウンターに5人,ボックスに4人座れば満員の小さな店です。
お客さんはほとんどお馴染みさんで,ママさんも「ご注文は?」ときかずに「いつもの?」ときいていました。
コーヒーも美味でしたが,天の邪鬼の私は,その店では紅茶派でした。
出された紅茶の名前を当てるのが一つの楽しみでした。「オレンジペコ」以外ほとんどはずれでしたが。
高校の頃,夜遅くまでその店で過ごしたものです。時々懐かしくなります。
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親の意見と

「親の意見と冷や酒はあとでじっくり効いてくる」
親の小言など耳を貸さずに勝手気ままにすごしていても,
あとになればその有り難みがわかるということでしょうか。
まあそれが身にしみて分かるまでかなりの時間が必要ですが。
数年前,この言葉を知り,父と飲んでいるとき,わけしり顔で話すと,
父はにこっと笑って次の言葉を返してきました。
「親の意見となすびの花は千に一つのあだもなし」
なすびの花は咲くと必ず実を付けるそうで,実を付けない「あだ花」はないとか。
それと同じように,親の意見もあだになるようなことはなく,きっとみになると言う意味です。
今,父を亡くして,懐かしく,ほろ苦く,思い出します。
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「私は優という字を考えます。
これは優(すぐ)れるという字で,優勝とか優良可とかいうけど,もう一つ読み方があるでせう。
優(やさ)しいとも読みます。そうして,この字をもう一度見てみると,人偏に憂うると書いています。
人を憂うる,人の淋しさ,侘びしさ,辛さに敏感なこと,これが優しさであり,
人として一番優れていることじじゃないかしら。」(太宰治)
*少し原文とはちがうかも。
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先日,部屋に蚊がいました。
こどもに,「秋の蚊は殺さないでほっときなさい。」と言うとけげんな顔をしていました。
季節はずれの蚊を先人達は「あはれ蚊」「あぶれ蚊」と呼び,決して叩かず蚊取り線香もたかなかったとか。
時を間違えた哀れ蚊に,弱いものとしての姿を見つけていたのでしょうか。
いかにも日本的な生命観であり,優しさであると思います。
あぶれ蚊や 夜なべの灯吊る 壁のもと (木歩)
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夏の終わり

土近く 朝顔咲くや 今朝の秋 (虚子)
暦はかけ足で,立秋を過ぎました。いくら暑くても残暑と思えば気が楽です。
娘が大切にしている鉢の朝顔はなかなか育たず,暑さにしおれていました。
ところが,なんと先日,薄紫の花を咲かせました。つぼみも二つ三つあります。娘は大喜びです。
涼しくなってきた風に揺れる朝顔も,秋を知らせているのかもしれません。
朝がおや 一輪深き 淵の色 (蕪村)
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天の川

別るるや 夢一筋の 天の川 (漱石)
大変な暑さです。七月早々に梅雨明けしてから,ずっと真夏の日々です。
暑さが一段落する夜,空を見上げると南北に天の川が流れているのが目につきます。
そして,北の空の天の川には織り姫と彦星が輝いています。
また,南天の天の川には乙女座やさそり座も見えます。
古代の人々がこの星空を眺めながら語り伝えた神話について考えるのも楽しいかもしれません。
妻ふた夜 あらず ふた夜の 天の川 (草田男)
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見舞い

高校生の頃,仲間が病気で入院しました。
病院は高校の近くでした。それで,みんな(6人くらい)で見舞いに行こうということになりました。
ところが,放課後は部活で忙しい,昼休みは遊ぶので暇がない,休みの日にわざわざ行くのも面倒だ,
ということで結局みんなの時間が合うのは「授業中」しかないということになりました。
それで,授業をこっそり抜けて見舞いに。仲間は,うれしいような呆れたような顔でした。
この見舞いは,1週間後の退院する日まで毎日授業中に続けました。
幸い先生方には気づかれず,出席簿も偽造し,記録上は何も残らないお見舞いでした。
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つばなれ

落語の符丁(隠語,合い言葉)に「つばなれ」というのがあります。
寄席のお客さんが10人以上を表す符丁です。
「つばなれ」とは,「つ」が離れるわけですが,
つまり,一つ・二つ・三つ・・・・九つ,十です。十になれば,「つ」がつかなくなります。
それで,10以上を「つばなれ」というわけです。
なかなか趣の深い符丁だと思います。
落語の世界以外でも使うこともあるようですが,今はほとんど聞かない言葉です。大切にしたいですね。
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我が家の3歳半の娘は今,アンパンマンが大好きです。歌も歌います。
「ともら おそれないで みんなのために〜」と元気よく歌います。
歌い出しは「そうさ」なのですが,なぜか「ともら」です。
まだ,字が読めず耳から覚えたのでしょうが,「ともら」に限らず,歌のあちこちが意味不明です。
しかし,まあ,私たちの歌う英語の歌も,外国の方が聴くと娘と同じレベルの意味不明の歌かもしれません。
娘の歌を聴きながら,ふとそう思いました。
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梅雨(つゆ)

梅雨入りしました。梅雨(つゆ)は,露(つゆ)が語源です。
雨続きで家中に露ができるところから,「つゆ」と呼ばれるようになりました。
梅雨(つゆ)は梅雨(ばいう)ともいいますが,
この「ばいう」の「ばい」は「ばい菌」の「ばい」から転じています。つまり食物にはえるかびです。
この時期,大陸では梅の実が熟する頃であり,つゆ・ばいうに,梅雨という字をあてたようです。
今年の入梅は5月31日でした。
入梅や 蟹かけ歩く 大座敷 (一茶)
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昔話

我が家の3歳半の娘が「桃太郎」の話を聞かせてくれます。
たどたどしく話してくれます。
なんとか桃から男の子が出てきますが,その子の名はなぜか「しし太郎」です。
そのしし太郎は鬼退治に出かけます。
そして,大きな宝箱をもってかえるのですが,その大きな宝箱をあけるとなんとお化けが出てきます。
(ここはとても怖そうに話します。)
ひとしきりお化けの話をして「あー怖かった。おしまい。」で終わりです。
途中から,舌切り雀が混ざっているようです。しかし話の創造力には感心します。もちろん親ばかですが。
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五里霧中と登竜門

五里霧中という言葉があります。全く先の見通しが状態を意味しています。
この五里霧中ですが,五里+霧中と考えている人が多いようですが,五里霧+中です。
五里霧(ごりむ)とは,五里先まで見えない霧,つまり全く見えない濃い霧のことで,
五里霧中はその五里霧の中にいると言う状態です。
また,登竜門も,登竜+門と考えがちですが,登+竜門です。
「竜門を登る」魚は鯉らしいですが,この竜門を登ると竜になるという故事からきています。
ちなみに,この竜門は黄河の上流にあるらしいです。
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葉桜

五月になり,公園の桜の緑も濃くなってきました。もうすぐ八十八夜,立夏です。
今は葉桜ですが,桜ほど咲く前から散ったあとまで細かく言い分ける花はありません。
「つぼみ」「ふくらむ」「ちらほら」「一分咲き」「二分咲き」・・・「満開」「散り始め」「落花しきり」「葉桜」
花というと桜を指すほど日本人は桜が好きなようです。(平安の頃は花は梅でしたが)
かけ足ですぎた桜も今は北海道で見頃でしょう。しかし,葉桜も素敵です。
葉桜の 中の無数の 空騒ぐ (篠原梵)
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犬猿の仲

犬猿の仲と言いますが,なぜ犬と猿の仲が悪いのでしょうか。
これは実は「桃太郎」からきています。
桃太郎の家来は犬と猿とキジでしたが,鬼退治のあとで宝を分けるとき犬と猿がもめたとか。
それ以来,犬と猿は仲が悪くなったというわけです。
なお,現実には犬と猿は違う生物ですからとりたてて仲がよいこともなければ悪いこともないとか。
ごく普通の仲のようです。
犬と猿にとっては迷惑な話かも。もっとも,全く気にしていないでしょうが。
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親切

好きな話です。
昔,中国で,ある旅人がひどい空腹のまま河に沿って歩いていました。
と,釣り人です。かなりの大漁です。そこで旅人はその魚を少しもらえないかと頼みました。
さて,釣り人はどうしたでしょう。
釣り人はたった1匹だけ与えて,当座の空腹を満たしたあと,
「さあいっしょに釣りましょう」と言って,その旅人に釣りの仕方をていねいに教えました。
それで旅人はそれからは空腹になると釣りをして魚を捕ったとか。
腹一杯に食べさせるのも親切。釣り方を教えるのも親切。さて,どちらを選びますか。
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くしゃみ

冬はくしゃみの季節でもあります。
このくしゃみは「はくしょん」という音が変化したと考えがちですが,実は呪文です。
昔の人々は,くしゃみを縁起の悪いものと考えていて,
くしゃみが出ることは体内に害を与えるものがいて,それが悪さをしていると思っていました。
それで,害を与えるものに対して「出ていけ」「来るな」の意味を込めて,
くしゃみのあとに「くそ食らえ」と唱えたわけです。
この「くそ食らえ」を昔は「くそをはめ」といいました。
「くそをはめ」が「くそはめ」「くっさめ」「くさめ」に変わり「くしゃみ」になりました。
くしゃみは風邪の引きはじめです。充分気をつけて「害になるもの」を退治しましょう。
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九九消寒

九九消寒(くくしょうかん)という言葉があります。
これは中国の言葉で,冬至の日に81個の梅の花の絵を描き一日に一個ずつぬっていきます。
そして,81個ぬりおわると春が来るというものです。
数えてみると,冬至から81日目は3月12日。
「啓蟄」も過ぎ,春めく頃です。
しかも,3月12日は奈良の二月堂のお水取りの日です。
九九消寒には数え歌があり,「四九の36 部屋で寝ても野宿の寒さ」とかいいます。
冬至から36日目はほぼ大寒あたりで,一番寒い時期です。
一度九九消寒してみてはいかがですか。
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語源いろいろ

言葉には必ず語源があります。
まっすぐのびる木なので「すぐ」が転じて杉。火をおこすために使ったので,「火の木」から檜。
くわやすきの柄(え)にするので,柄の木から榎。天に向かって手を広げ神を待つので松。
ぼろ布に人間の臭いをしみこませその臭いをかがせることで鳥を追い払ったので「かがし」(かかし)。
実ると黄色になるので黄瓜からキュウリ。
言葉はなかなか楽しいものです。
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へちま

うまくできている話です。
へちまは漢字で糸瓜とかきますが,なぜ,「いとうり」が「へちま」なのでしょう。
糸瓜(いとうり)は,家の壁にはわせることから,なまって,戸瓜(とうり)と呼ばれるようになりました。
さて,ここで「と」が問題です。
昔の五十音はいろはですが,「いろはにほへとちりぬる・・・」で,「と」は「へ」と「ち」の間にあります。
へとちの間(ま)にあるので,へちま。
これで,糸瓜がへちまになったわけです。
落語の枕に使われる小咄で,まゆつばものかもしれませんが,よくできている話です。
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