
私たちの教会の大きな特徴は子どもも大人も一緒に礼拝することでしょう。しかし以前は私たちの教会も、9時から教会学校、10時過ぎから大人の礼拝という典型的な日本の教会の形態でした。でも、大人の礼拝時間中の子どもたちの過ごし方に問題を感じていました。ナースリーなど様々なことを試みましたが、問題は解決しませんでした。その後親子いっしょの礼拝を知り、実施したところ、実施前の色々な心配(子どもたちが騒ぐのでは?説教を聞かないのでは?等々)は、無用だと分かりました。子どもたちは静かに説教を聞いたのです。勿論、礼拝には子ども賛美歌も入れたり、説教を分かり易くしたりして工夫も加えました。また、礼拝の前に、従来の教会学校に当たる「バイブルクラス」には大人も子どもも全員出席して、年齢別に聖書を深く学ぶようにしました。このような形態になってすでに10年以上になりますが、礼拝のすばらしさを味わわされています。
このような形態に移りながら、私たちは礼拝とは何かということを皆で学び、礼拝を「説教を聞きに行くこと」と誤解していることなどを反省させられました。
思えば、旧約時代から、親子いっしょの礼拝が守られていたことが分かりますし(申命31章11〜13節)、主イエスも子どもを迎え入れるようにと教えられました(マタイ19章13〜15節他)。天国で私たちが主を礼拝するとき、果たして大人と子どもは別々なのでしょうか。
このことについては鞭木由行著「安息日と礼拝(礼拝が礼拝であるために)」(いのちのことば社)をお読み下さい。鞭木師はその中で有名なスポルジョンの言葉を引用しておられます。「最近私は以前にもまして子どもを会衆から区別することを間違いであると思うようになりました。私は子どものための特別集会は良いことであると思っています。しかし、礼拝はやはり、彼らと一緒に守りたいのです。もしも説教が子どもに分からないのなら、それは説教に当然含まれていなければならないあるものが、その説教から抜け落ちてしまっているからではないでしょうか。私は礼拝に若者や老人ばかりでなく、あらゆる年代の人が皆集まってくることを願うのです。」(同書P225)
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