
【聖書信仰にかたく立つ】
教会の信仰基準に「聖書は、旧新約66巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。つまり聖書は、神の選ばれたそれぞれの著者によって聖霊の完全な指導と監督の下に記された客観的な神の言であり、人間の経験の仕方如何によって神の言となるというのではない。聖書は、神が救いについて啓示しようとされたすべてを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。」とあるとおりです。この告白は、聖書信仰が生活の中で生かされるべきことをも意味しています。理論だけではないのです。聖書的な生き方、み言葉に忠実な歩みをする群として歩ませていただきたいと願っています。
【キリストの愛と賛美にあふれた、暖かい家庭的な教会】
暖かい家庭的な雰囲気は大切ですが、サロン的なム−ドだけの集いになるのではありません。キリストは罪人の私たちのために命を投げ出して下さった愛のお方です。この愛をいただいた私たちはキリストを模範として、神の栄光のために歩む群なのです。
【伝道する教会】
私達はほとんど誰でも、他の人に導かれて教会に来ました。「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」(ロマ人への手紙10章14節)とあるとおりです。でも私たちが罪赦され、救われたのはただ、私たちのためだけではありません。証しのためでもあるのです。主の方法は「人」を用いて福音を宣べ伝えることです。この教会の私たちを用いられるのです。主は私たちの口と行いを通して、私たちの生き様を通して、宣教をなさりたいと願っておられます。主は宣教の大命令を残して昇天なさいました(マタイによる福音書28章19〜20節)。福音宣教はしてもしなくても良いような種類のものではありません(Tコリント人への手紙9章16節)。「どうしてもしなければならないこと」いや、救われたのなら伝道するのは当然なのです。きれいな花を見たら人に教えたい、虹が出たら人に話したいと思うようにように、きわめて当然のこと、自然なことなのです。自分が日々経験しているこの愛なるキリストの救いを証しすればいいのですから、喜んで、進んで、証しする者でありたいと願っています。そのために、日々ディヴォーションを守り、み言葉に根ざした証しの生活をさせていただきたいものです。
【生み出す教会】
主は「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコの福音書16章15節)と言われました。ただ、交わりが楽しいだけの教会であってはいけません。教会は自己目的化した時、堕落します。「出て行く」必要があります。教会創設時、私たちには50人規模になったら次を産み出したいというと願いがありました。50人規模が交わりのある教会として最適と思われるし、住居近くに教会があることが望ましいからです。今やその時が近づきつつあります。この年が、そのための基礎作りとなるよう祈ります。私たちは一人ではありません。「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と約束して下さったイエス様が一緒なのです。
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