牧師の紹介


牧師夫妻:海老原直宏&享子

【牧師の経歴】

1943年宮崎生まれ、中学2年で罪を悔い改めてクリスチャンになる。大学卒業後、県立日南高校、高鍋高校、宮崎西高校で英語教諭を務める。その間、3歳の長男を事故で亡くしたことから、幼いたましいに救い主キリストを伝えたいと、自宅で子どものための「土曜学校」を始める。これが大きくなってキリスト教会となった後、26年間に渡る教員生活にピリオドを打ち、48歳で牧師となり、現在に至る。

【牧師のあかし】

高校教員をしていたある土曜の昼休み前、3歳の長男が行方不明だから急いで帰宅するようにとの連絡を受け、慌てて帰宅しました。帰ってみると、近所の方々や警察の人たちの捜索が始まっていました。数時間も探しているが見つからないと言います。私も探し始めました。子どもの行きそうにない所まで、大声で名前を呼びながら、聞き慣れた車のクラクションをならせば出てくるかも、、と近所の迷惑を考える余裕もなく、必死でした。しかしいくら探しても見つかりません。勿論、すがるような思いで神さまに祈りつつ探しました。ところが、探すうちに、私は神さま が語りかけておられるように感じたのです。

「おまえは、今、必死でいなくなった子どもを捜している。だが、わたしも、おまえと同じ思いで、おまえを捜し続けていたのだ 。」そう言われたように感じたのです。そのとき私は自分のあり方を思わされました。教会の役員も務めるクリスチャンの自分。でも心の中は自分が一番よく知っている。神を信じない人と変わらない心ではないか。私は車の中で涙と共に悔い改めました。赦してくださいと祈ったのです。あたりはもう暗くなり始めていました。

近所の人たちの情報もあって、もう、ここしかないと捜索のねらいは直径10メートル深さ5〜6メートルの円筒形の団地の浄化槽に集中していました。消防の人たちが錨のついたロープで底を探っていたとき、「なにかあるぞ!」と誰かの叫び。私は消防の人の手から思わずロープを取り上げていました。そして、あの恐ろしい瞬間がやってきました。私はすでに堅くなった愛する息子の遺体を自らの手で引き揚げていたのです。「どうして扉の鍵をかけておかなかったのだ!」誰かが泣き叫ぶように怒鳴るのが聞こえました。

苦しい戦いの日々が続きました。子どもとほとんど24時間共に過ごしてきた家内の苦悩は私よりもひどかったと 思います。 「二人が心中でもするといけないから十分気をつけていてくれ」と私の父は近所の親戚の者に頼んだと言います。悲しいとか苦しいと言えればまだ楽だと思いました。言葉では 表せない悲痛、まさに深海の真っ暗な海底にいるような気分の中、死んでいった子どもの苦しみ、子どもの監督が足りなかったことに対する後悔などで、これから先いったい生きていけるだろうかという絶望感に押しつぶされてしまいました。

でも、不思議なことですが、それでも、神さまに対する不満、反感はまったくなかったのです。私たち夫婦はただただすがるような思いで、必死で祈り、聖書を読みました。牧師先生方や沢山のクリスチャンの方々も祈っていてくださいました。訪問したり、手紙を書いたりして、私たちを慰めてくださる友人や職場の同僚もありました。悲しむ者に対する多くの方々の愛の思いが痛いほど伝わってきました。そんな時神さまは聖書の言葉を通して私たちを慰め励ましてくださいました。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐える ことのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Tコリント人への手紙10章13節 )とあるように、神さまは私たちには耐えられるから、敢えてこの試練を私たちに許されたのだ、それに脱出の道も備えてくださると言っておられる。神さまにうそ偽りなどありえない、神さまはご真実なお方だ。この神さまのご真実に頼ろう、私はこのみ言葉に立とうと決心したのです。

そして、やがて、「あの子は天国に行った」という確信が湧いてきたのです。ちょうどダビデ王が子どもを失った時抱いたのと同じ気持ちでした。「あの子は私のところには戻ってこない。でも、そうだ、私はあの子の所に行ける。天国で会えるのだ」という確信です。それは子どもがイエス様をはっきりと信じていた事実から来る確信でもあったのです。それまでも私は天国を信じていました。でもそれが一層具体的に分かるようになってきたのです

それから、私たち夫婦は子どもたちにイエス様を伝えたいと思うようになりました。近所で遊んでいる子どもたちを見るとき、「もしこの子どもたちがイエス様を知らないままで、死んで行ったらどうなるのだろうか」と思わされ、「私たちの救い主イエス・キリストは大人のためにだけ十字架にかかられたのではない、幼い子どもたちのためにも死んでくださったのだ」と思わされるようになったのです。様々な条件が整えられて、子どもの帰天後3年目の 1月、子どものための「土曜学校」が始まりました。たちまち沢山の子どもたちが集うようになり、最初のクリスマスには狭い部屋に100人以上の子どもたち が集まりました。教師として協力してくださる方も次々と与えられ、主イエスを信じて救われる方も起こされ、やがて、土曜学校は大人の方も通う伝道所になりました。それが独立して現在の宮崎北聖書キリスト教会になったのです。そして、私も子どもが召されて19年後48歳で教員生活にピリオドを打ち、フルタイムの伝道者として今の教会に仕えさせていただくようになりました。

思えば、これまで私がたどってきた道は平坦ではありませんでした。苦しい経験は神の非常手段と言えるかも知れません。でも神さまは不思議なお方です。ローマ人への手紙8章28節に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とありますが、まさに「すべてのこと」を神さまは用いられるお方です。私にとってマイナスとしか思えないことをも働かせてプラスとしてくださったのですから。

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