
私どもの教会では「ほりでい」という手書きのミニコミ誌を印刷して、教会の周辺にお配りしています。その中から海老原牧師、荒平大輔副牧師のショートメッセージをご紹介します。どうぞお読みください。
あなたがいてくれてうれしい 牧師 海老原直宏、
あの未曾有の大震災を思うと未だに心が押しつぶされます。でも、その中で私達は大切なことを学びました。それは「絆」です。
夫婦、家族、友人、地域の絆がどんなに強い生きる力となるか。いや私達は絆なしでは生きられないとさえ、感じたのではないでしょうか。
「絆」とは辞書に「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」とあります。どうしてもなくてはならない人との関わりです。そこには「その人が何かをしたり、言ったり、何かに成功したから」という条件などいりません。『ただ、いてくれるだけでいい』『いてくれてうれしい』という思いです。
実は万物の造り主である神様は私達人間をそのように見ておられるのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」と何の条件もつけず、私達を愛しておられるのです。「わたしが喜ぶ、わたしが選んだ者」と言われるのです。「あなたがいてくれてうれしい」と言っておられるのです。
この愛を受け取るとき、わたしたちは、心に平安が与えられ、生きる力が湧いてくるのです。ぜひ、この愛を受け取って頂きたいのです。
聖書一口メモ
神」とは?
神は時間と空間を超越して永遠に存在する生ける霊であり、直接目で見ることはできないが、あらゆるところに存在する。神は唯一であり、絶対的な超越者、また他の何ものにも束縛されない主体性と完全性を保持する人格的な存在。神はすべてを見通す力を持ち、全能であり、悪を嫌う正しく聖なるお方である。神は万物を造り、そのままの人間を愛しておられる。
2011年10、11月号
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「神が愛ならなぜ?」牧師 海老原直宏
「神が全能で愛なら、なぜあのような災害を見過ごしておられるのか。」こう思う人は少なくないでしょう。
しかし、まことの神は人の苦しみを見て喜ばれるはずがありません。かって一人の青年が亡くなった時、「イエスは涙を流された」と聖書にあるように、神は人の悲しみを自分のこととして共に涙して悲しんでおられるのです。
「それなら、神はなぜ危険に直面した人を助けてくれないのか」と言われるかも知れません。たとえば人が溺れそうな時、助かるようにできないのか。全能の神なら自然法則をその時だけ変えて、その人を助けられないのか。というふうに。
でも、もし神が人命の危険に際して、自然法則を絶えず変更して、誰一人苦難に会わないようにされたらどうなるでしょうか。それこそ、世界は無秩序の混沌とした所となり、私達人間はそこでは生きて行けなくなるのではないでしょうか。「それにしてもなぜ?」という疑問は残ります。しかし神のなさることのすべてを、私達人間は知り尽くすことはできないと思うのです。私自身、幼い子供を亡くした者として、肉親を失う悲しみがどれほど大きいか分かります。でもその中で私と共に涙を流して悲しみを共にしておられるお方がおられることを知って、大きな慰めを頂きました。
私達人間は愛と慰めの神さまとの関わりがどうしても必要なのです。
「聖書一口メモ」
「キリスト教」とは?
人は誰も神から離反している。その罪ある人間を再び神に結びつけ、個々の魂を救済するために来られたイエス・キリストを信じ、信頼するのがキリスト教。
行いや律法を守ることによってではなく、身代わりとなって十字架上で死に、甦って執りなしを続けておられるキリストを悔い改めて信じる時救われるとする。
2011年6、7月号から
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「信じて生きる」牧師 海老原直宏
聖書によると、私たち人間は元々神に似るように造られ、神との親しい交わりのうちに生きるようにされていたのに、人間が自分の意思で神に背き、神と断絶したのです。ですから、人は神に帰るまでは本当の安心がないのです。私は世界中に沢山の宗教があるのは、人間が神との和解を求めている証拠だと思います。
しかし、神は、まるで放蕩息子のような自分勝手な私たち人間を限りなく愛しておられます。そして、私たちが神とのあるべき関係に立ち返ることができるように、イエス・キリストというお方を私たちの所に遣わされたのです。
このイエス・キリストは神様の愛を生涯をかけて示されました。悲しむ人の心を自分のものとして涙を流されました。寂しい人の友となり、病いの人を癒されました。そして、私たちの罪を一身に受けて十字架に架かり、「父よ彼らを赦してください」と祈られました。
キリスト教信仰とは、このキリストを通して示された神様の愛を感謝して受け取ることなのです。儀式を守ったり、道徳的なことをすることではありません。確かに以前は見過ごしてきた不道徳を見過ごせなくなったりしますが、それはあくまでも信じた結果のです。
「キリストを信じて、心が平安になった。生きる希望が沸いてきた。」信じた多くの人達が異口同音に口にする言葉です。あなたも!
2011年2、3月号から
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「ただひとりの愛があれば」牧師 海老原直宏
人間の特徴は何でしょうか。道具や火を使うこと?集団で生きる社会的動物?でも、それらは人間以外の動物にもみられます。
人間は、愛し、愛されることを一大特徴とするのではないでしょうか。それもどこか遠くにいる人ではなく、家族や友人のような身近な人からの愛が必要です。
でも、現代社会では、その愛が冷めてしまいました。聖書にこんな言葉があります。 「女が自分の乳飲子を忘れようか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」 これは神様の人間に対する愛なのです。小説「ロビンソンクルーソー」では、無人島で一人っきりになった主人公は絶望的になったとき、この言葉で希望をもつのです。
神様は、誰一人味方がいないような状況でも、「あなたの気持ちは全部分かっているよ。いつでも私はあなたの味方だ。私はあなたを愛している。」と呼びかけられるのです。
私たちにはそのような愛がどうしても必要です。魂の親のような神様の愛が。そしてその愛があれば、どのような状況にあっても生きて行けるのです。ぜひ、教会にお出でになり、その愛を受け取っていただきたいのです。
2010年10、11月号から
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「どうしてこんなことが・・・」牧師 海老原直宏
口蹄疫。大変な事態になりました。特に畜産農家の方々のお苦しみと苦悩を思うとき、息が詰まる思いがします。「神が愛なら、どうしてこんなことが?」と言いたくなってしまいます。でも、その理由は分かりません。いくら考えても理由の分からないことは、沢山あるものです。早く終息するように、また農家の方々が慰められ、立ち上がる力が与えられるように、と祈るばかりです。
ある人は言っています。「私たちは人生を絨毯の裏側を見るようにしか、見られない。」人生に起こる事柄の理由を、この地上にいる間は完全に理解することはできないということです。
しかし、苦難そのものを変えることはできませんが、苦難に対する私たちの態度は変えられると思います。自分ではどうにもできないことに対しては、それを素直に受け入れるしかないのではないでしょうか。
勿論最善を尽くして努力することは必要ですが、それ以上どうしようもないことは、神様に委ねることです。そして、耐えさせてくださいと、祈ることではないでしょうか。樹木が冬の寒さに耐えて、丈夫になるように、忍耐は私たちを強くするのです。
口蹄疫が一日も早く終息するよう、私たちも祈っています。
2010年6、7月号から
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「悲しみが悲しみを癒す」牧師 海老原直宏
「雨の漏らない家はあっても、涙の漏らない家はない」ある牧師がよく口にされた言葉です。私達の人生には悲しみがつきものです。
そんなとき、他にも自分と同じように悲しんでいる人がいると分かったとき、慰めを感じるものです。確かに、悲しんでいるときに、「しっかりしなさい」と励まされたり、「お気の毒に」と同情されるよりも、「私も同じ経験があります。」と言ってもらった方が慰められるでしょう。
私も、「生きて行けるだろうか」と思えるような悲しみを経験しました。沢山の人が慰め、励ましてくださいました。その中で、一番慰めになったのは、私を訪ねて来て、涙を流して私の悲しみを共にして下さった方でした。実は、この方も私とまったく同じ悲しみを経験しておられたのです。
神の御子イエス・キリストも、ある若者が死んで、家族をはじめ、皆が悲しんでいるとき、「信仰によってしっかり生きよ」などとは言わず、涙を流して、家族の悲しみをご自分の悲しみとされたのです。
「人間は泣く所を必要とする」とある人が言いました。誰が共に悲しんでくれなくても、イエス様は私たち同様悲しみを経験されましたので、私達の悲しみがよく分かるのです。そして、私たちと悲しみを共にしてくださるのです。
2010年2、3月号から
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「今年こそクリスマスを教会で」牧師 海老原直宏
深刻な経済状況の中、今年も早師走。何もかも不安定な世の中です。確実な明日を保証するものが必要です。クリスマスに来られたイエス・キリストは、不安と心配で押しつぶされそうな私たちに、「私がいっしょにいるから大丈夫だよ。私に重荷をゆだねなさい」といつも呼びかけておられるのです。
今年のクリスマス、しばし足を止めて教会でお過ごしになりませんか。そして不安を乗り越えさせてくださるキリストの愛を受け取って頂きたいのです。
「救いの御子の降誕を」 水野源三
一度も高らかに
クリスマスを喜ぶ 賛美歌を歌ったことがない
一度も声を出して
クリスマスを祝う あいさつをしたことがない
一度もカードに
メリークリスマスと 書いたことがない
だけどだけど
雪と風がたたく部屋で 心の中で歌い
自分自身にあいさつをし まぶたのうらに書き
救いの御子の降誕を 御神に感謝し喜び祝う
2009年12月号から
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「生きる力」牧師 海老原直宏
毎日体験するすべての出来事にはプラスの面とマイナスの面があります。生きる力のある人は、マイナスの中にもプラスを見出す人ではないでしょうか。配偶者の死は人生におけるもっとも大きなマイナスであり、ストレスであり、悲しみです。でも、その中で「私は人間的に成長しました。」「妻の死を通して人生の意味が分かりました。」という人たちもいるのです。
有名な作家バーナード・ショーは言っています。 ―「経験そのものが人を成長させるのではない。人を成長させるのは経験そのものに対する態度である。」―
人生の不幸に会ったとき、どんな態度でそれを受け止めるかが大切だということです。
ハンセン病の方々を慰めるなどして、福祉にたずさわれた河野進牧師の詩を紹介します。
「病む」
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聞き得ない御言葉がある
病まなければ 近づけ得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ないみ顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
聖書の神様はこのような本物の「生きる力」を与えて下さるのです。
2009年9、10月号から
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「野の花を見よ」牧師 海老原直宏
イエスは言われました―「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、つむぎもしません。しかし栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花一つほどにも着飾ってはいませんでした。野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」
元東大総長の矢内原忠雄は言っています―「星のきらめく大空、波の押し寄せる海原、山頂の松、小道の野の花、いづれも神の創造物であり、神をほめたたえ、神に祈り、神に従っています。私たちは外に立って空を仰ぎ、野にでて川の流れを見なければなりません。それによって私たちの心がなぐさめられ、真理の啓示を受け、たましいの憩いを得ることが少なくありません。それは、神がすべてこれらのものを創造し、神の知恵と愛とがそれらすべてによって現わされているからです。学問、芸術、自然、すべてキリスト教の真理を学ぶためのリクレーション的意味をもちます。」
「思い煩い」に押しつぶされそうな私たちを愛して、イエスは勧めておられるのです。―あなたを背負うことのできる御方のもとに身を寄せ、その方に全面的に信頼して、平安と希望をもって生きるように―と。
2009年6、7月号から
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「私たちの願い」副牧師 荒平大輔
今年の初詣客は過去最高、実に9939万人ということでした。慣習だとしても、やはりこの時代、何か人間を超えた存在に祈願せずにはいられないということでしょうか。行かれてない方も、この年の初めに何を願われるのでしょう。それぞれにあると思いますが、私たちの共通の願いは健康や仕事、家族の幸せなどでしょうか。
けれども、願い通りにならないことの方が多いかもしれません。また、私たちの努力では、どうにもならないこともあるように思います。「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」このことばは人間の願いや努力を否定しているのではありません。人間の願いは、神によって現実のものとなる。またその努力も、天地万物を造られた全能の神によって報われるということを教えているのです。
この神を信頼し、この神にもう一度願いを知っていただいてはいかがでしょうか。
2009年2、3月号から
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「決して見捨てない」牧師 海老原直宏
「結局、家族も世間も信用できない。」「自分はどうせだめな人間なのだ。」これは、人間関係が希薄な競争社会に現代人が、多少なりとも感じていることではないでしょうか。真理学者はこれを「見捨てられた不安」と呼ぶそうです。
臨床心理学者の河合隼雄氏はこう言っておられます。
−「見捨てられるという不安からいろんな問題が起こってきています。子供の頃に、わあっと泣いても、そのうち誰かが来てくれるということは、見捨てられないということのものすごく大事な体験じゃないでしょうか。『完全に見捨てられることはないんだ』という体験をした人と、『完全に見捨てられることはありうる』ということを小さいときから体験している人では、その人生は変わると思われませんか。」−
何があっても自分の味方をしてくれる母親のような愛が人間には必要なのだと思います。ところが多くの人たちが自分は見捨てられているという孤独と不安を抱えているのではないでしょうか。
聖書の神さまは言われます−「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ書40章)−
この愛こそ現代にもっとも必要ではないでしょうか。
2008年10、11月号から
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「確かな希望」副牧師 荒平大輔
今から約七年前、母を癌で亡くしました。五十四歳でした。私にとって大きな悲しみでした。
亡くなる一年程前、入院を嫌がる母に、在宅ホスピスとしての最高の環境が与えられました。また、母はクリスチャンでしたので、教会の方々が来て讃美歌を歌って下さったり、祈って下さったりしたことは本当に励ましでした。母の癌との闘いを通して、私もクリスチャンとなりました。けれども、約一年半の看病生活は、確実に弱っていく母の姿にどうしても希望が持てず、苦しい毎日でした。
しかし、神様の約束に支えられました。イエス・キリストを信じる者には永遠のいのちが与えられると聖書にあります。死は終わりではなく、永遠のいのちが与えられているのだと言うのです。死は絶望でなく希望なのだ。この世での別れは悲しいものですが、私は神様から天国での再会という約束をいただき、確かな希望を持つことができました。
皆さまは死をどのようにお考えでしょうか。
イエス・キリストを信じ、確かな希望を手にしてほしいと願います。
2008年6、7月号から
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「人生に必要なことは すべて幼稚園の砂場で学んだ」牧師 海老原直宏
表題のことばはロバート・フルガンという人の書いた本の題名です。同氏の主張は「幸せな人生に必要なものは、沢山の知識ではなく、単純なわずかな真理をどれだけ忠実に守られるかにかかっている。そして、その単純な真理はほとんど私達が小さなときに学んだことだ。」ということです。
「うそをついてはいけない」「人の物を盗んではいえない」「友達とは仲良くしなさい」「自分がしてもらいたいように人にもしてあげなさい」・・・こんなことは皆、幼少期に親や先生から教えられたことです。政治も、社会も、そしてこの私も、これらを守ることができておれば・・・と考えさせられます。
イエスさまも言われました。 「あなたがたも悔い改めてこどもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」
子どもは素直です。自分の弱さを知っています。このような心を神様は見ておられるのです。
このような単純な真理を守るとき、私達は幸せな人生へと導かれるのです。
2008年4、5月号から
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「健康の秘訣」牧師 海老原直宏
「ストレスが多いほど病気になり易い。喜びや笑いがある人はストレスに負けないで健康でいられる。」 これはある精神免疫学者の言葉です。このお医者さんは、漫才師や落語家を招いて、癌患者の方々に話を聞いてもらったところ、免疫力が目に見えて向上したと言っておられます。心の状態は健康に大きな影響力をもっているのです。
さらに、人間以上の存在に心を向けて祈る習慣のある人は、そうでない人よりもはるかに病気にかかりにくいそうです。
また、感謝の心をもっている人には健康な人が多いそうです。感謝することが習慣になると、どんな不幸なことの中にも、感謝すべき材料を見つけるようになり、そのため、身体も心もリラックスして、病気に対する免疫力も高まるというわけです。
このような生き方の秘訣を、聖書は、神さまとの関わりの中で自分のものにするように勧めています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(新約聖書)
2008年2、3月号から
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「家庭の平和」牧師 海老原直宏
家庭は最も親密な人とのかかわりの場、心休まる憩いの場であるはずです。ところが現実は・・・他人には絶対口にできないようなことを夫や妻に平気で吐き出したり・・・冷たい態度をとったりしてしまうのではないでしょうか。すべてを知り尽くしているからかも知れません。
でも、だからこそ、愛といたわり、真の礼儀が家庭でも必要ではないでしょうか。家庭の平和がなければ、いくら裕福な生活をしても、仕事で成功を収めても決して幸福ではありません。
家庭には「愛」という潤滑油が必要ではないでしょうか。クリスマスに私達人間の世界に来られたイエス・キリストはその「愛」を私達の心に与えるために来てくださったのです。
今年のクリスマスは、ぜひ教会にお出でになって、この「愛」をお受け取りください。
2007年11、12月号から
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「思い通りにならない人生」牧師 海老原直宏
思い通りにならないのが人生です。もしすべて思い通りになったら、恐らく私達は、自分を誇り、他の人を見下げて、鼻持ちならない高慢な人間になるのではないでしょうか。
私は思うのです。私達が高慢になったり、人の道を踏み外さないように、神さまは、時々、試練を与えられるのだと。
知恵者として有名なソロモンは聖書の中にこう記されています―「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。」
私達の教会には、人生の苦難に遭って初めて真の自分に立ち返り、神さまを知り、希望をもって新たな人生のステップを踏み出された方が何人もおられます。
私も子供を事故で亡くすという苦しみの中で、自分の姿勢を正され、むしろ、神の愛を深く知らされました。そして、マイナスとしか思えないことを神さまはプラスに変えてくださったのです。
あなたもぜひ教会にお出でになり、天地万物の造り主なる神の愛を知り苦難を乗り越えて、喜びと希望の歩みを始めてみられませんか。
2007年8、9月号から
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