<2012年7月>
●宮崎の祭り「えれこっちゃ宮崎」市民総踊り。
今年まで自治会長を務める父が、たぶん最後の参加になると聞いて、家族汗だくで見学。
孫が応援に来てくれた父は、とてもうれしそうだった。(7/28)
●離婚した15年前に、傷心旅行?の山奥で偶然出合った「庵(いおり)」です。
小川のほとりの草庵に癒されるものを感じ、長い時間を独りで過ごしました。
その12年後に再婚、翌年生まれた息子に「一織(いおり)」と名づけました。
「庵」でもよかったんですが、「中元庵」では、ソバ屋さんみたいで(笑)。
もう一度、あの庵を見てみたいな。
変わらない場所に行って、変わった自分を確認してみたい。
そう思いながら、岡山県としか覚えておらず、ほとんどあきらめていました。
ほろ苦い思い出として、ファンタジーのままでもいいかなと。
「ファンタジーじゃなくて、確かにやっちゃんはその時そこにいたんだよ。
大丈夫、私が絶対に探し出してあげる!!!」
そう言って、アテにならない私の記憶と数少ない情報をもとに、妻は捜索開始。
ここ数日間ネットや電話を駆使し、体調を崩してまでねばり、なんとついに本日発見!
ありえないほどのサンキューを、私のようなワガママおじさんを拾ってくれた奥さんに。
息子よ、いつか一緒に、この庵を見に行こう。(7/27)
●父の喜寿(77歳)を祝って、先月雑誌取材で行った鵜戸の民宿「南光」で食事。
父も喜んだようで、家族で撮った写真をカレンダーにしてきた。
●「金を払ってるんだから、いただきますなんか言わなくていい」と言う人が食おうとしているのは、金。
「いただきます」と手を合わせる人が食べようとしているのは、命。
●「学校の勉強は役に立たなかった」と言う大人は、役に立つまで勉強しなかっただけだろう。
だまされてはいけない。
●「学校ではこういうことは教えてくれなかったでしょう」と得意気に言う講師さんへ。
学校は、そういうことを教える場じゃないんだよ。
●「生きていればいいことがある」のも事実だが、特にいいことがなくても生きていける現実もある。
●「やればできる」というが、できなくてもやる価値はある。
●「努力は必ず報われる」というのは、結果としてではなく、経過においての場合もある。
●最近妙に、毎日楽しくて幸せなんだ!とフェイスブックで必死にアピールする人が増えた。
ブログや掲示板の炎上で、匿名で非難中傷をする人の数を越えたかもしれない。
●フェイスブックで自分のことばかり語り続けるのは、「はしたない」と感じる今日この頃。
自分については一切語らないという態度も、いったい何なんだろうとは思うけど。
●ネットの書込みにムカッときたとき、相手にどう「反論」するかより、自分がなぜ「反応」したのかという理由のほうにより興味がある。
●できない人、がんばらない人がイヤなのではない。
できない自分、がんばらない自分を認めてもらえなかった怒りや悲しみが、敏感に反応しているのだ。
●人が期待する自分になりたいのか、自分がなりたい自分になりたいのか。
●思い込みの劣等感は、「悪夢」を見ているのと同じで、やがて妄想の連鎖から逃れられなくなる。
●「どうすれば英語ペラペラになりますか?」「どうしたらマッチョになれますか?」
「教えるのはかまわないけど、本気でその通りにする覚悟で聞いてるんですか?」
●「この悩みを解決するには、どうしたらいいんでしょう」
「どうしたらの前に、どうしたいんですか?どうしたいかによって、どうしたらいいかが決まるので」
●「自分でもどうしたいのかわからないんです。霧がかかっているような感じで…」
「もし霧がかかっていなかったら、どうしたいと思うでしょうか?」
●「子どもさんが学校で悪さをしました。ご家庭でも注意してください」
「子どもは悪さをするもので、親はその場を見ていない。プロである先生が現場で対処されるべきでは?」
「それは誰の課題か?」は、アドラー心理学の問い。
●「蓮の花は泥の中に咲く」なんていうが、泥がなかったらそもそも咲くことさえできないだろう。
エラそうに言うんじゃないよ。
●「○○の星」とかいうけど、星は暗闇がないと見えない、ということを忘れちゃいけない。
●劣等生がいてくれるからこそ、優等生でいられるんだ。
見下すのは的外れで、むしろ感謝すべきだろう。
●困った生徒や患者がいてくれるから、教師や医師の仕事が成り立っている部分もある。
●「気は病から」ということのほうが、実際は多い。
●目先の仕事より、目先の健康。
●農耕民族で和を尊ぶ日本人に、ディベート(討論)を根づかせるのは難しい。
根本的な発想が違うから、やってもせいぜいディスカッション(話合い)。
動植物の外来種の異様さと同じで、なじまないものはなじまない。
●夢や目標、ミッション、ワクワクすることは、別になくても生きていける。
無理して「ねつ造」する必要はない。
●人生の目的は作るものではない。
思い出すものだ。
●なりたい自分は、こんな時にどんな自分であるだろうか。
●ため息をついたくらいで逃げていく幸せは、もともと大した幸せじゃない。
●自殺するほど真面目に悩むいい人が、死ぬ必要なんかない。
●残りの人生であと何回、「花火」を見ることができるだろう。
●プチ出家、プチ隠居、プチ玄米食、プチベジタリアン。
「プチ」さえつければ、何でもできそうだ。
●ツッコミは、相手を放っておかない愛情。
●風通しがいい人、スカッとさわやかコカコーラ(古すぎ)みたいな人。
●「自分が幸せであるために」は捨ててもかまわないことが、山ほどある。
●忙しいお父さんのボディデザインは、ちょこっとジム通いと、生活の中のチリツモ(ちりも積もれば山となる)運動の「二毛作」。
●年の差お父さんには、「健康への責任」がある。
●下手に能力に恵まれると、期待されるストレスに苦しむことになる。
特にそれが自分のキャラや、やりたいことと違う場合、悲劇を生む。
●いちばん大事なことは、自分や家族の「向き、不向き」をしっかり心得ておくこと。
●すべては授かりもの。
与えられたものをどう生かすかだけが、人生のテーマ。
●珈琲には薬効があるから、眠りたいときに飲めば熟睡できるし、起きていたいときに飲めば覚醒する。
カフェインの効果は30分後に出るから、昼寝をする前に飲んでおけば、スッキリ目が覚めるらしい。
●大事なのは、「どちらが正解か」ではない。
自分は「何を正解とするか」だ。
●古い映画タイトルのもじりじゃないが、「親はつらいよ」、ホントにそう思う。
●映画「毎日かあさん」で、主婦のおしゃべりの中に、温かい言葉があった。
「私の子育ての目標を教えましょうか。それは、一人も死なせないこと」
●「パパはおバカね パパはおバカ… もっと“野球”を楽しんで」
You're such a loser dad. Just enjoy “the show”.(映画「マネーボール」)
映画「マネーボール」、たぶん多くの人とは違うポイントのラストで涙。
離婚した主人公の娘の歌が、今も頭の中をグルグル回る。
野球人意外は、“the show”を「人生」と訳すべし。