<2012年8月>
●箸は2本あってはじめて、外国人が驚く使い方ができる。
日本人は競争ではなく、「協奏」の文化なのだ。
●自分の「性に合わない」ことはしない。
頑張らないとできないことは、わざわざ自分がやるべき課題ではなかったりする。
自分の性に合っていることは、もっと楽に続けられるはず。
●他人の音楽ではなく、自分の音楽を奏でること。
自分に合ったテンポとリズムで歩いていくこと。
●問題解決の着地点はどこか?
スピード決着か、スタミナ勝負か?
●法然は、仏教諸行から「念仏」一本に絞り、他の行すべてを潔く捨てた。
その決断ひとつで、多くのいのちが救われ活かされた。
日常の実践に落とし込むには、徹底的に削りきった、超シンプルな方法でないとダメだ。
●その他大勢と同じように泳ぐのがイヤで、群れから離れるイワシもいるだろう。
「幸運の」四つ葉のクローバーも、大多数の三つ葉の中では変わり者だ。
●宮崎唯一と思われるモーニングチケットで、週末モーニング道。
年中無休のマスターに、休みたいと思わないかと聞いたら、意外とマトモな答え。
「休みたいけど、お客さんに来てもらって生かされてる以上、そう思い通りにはできんでしょう」
以前は日曜定休だったが、日曜しか来れないお客さんがいるのを知って、開けるようになったとか。(8/19)
●本日も「ぱうぱう」でサ道(サウナ道)の修行に励む。
サウナのテレビで太極拳の科学的分析をやっていて、気がつくといつもの倍長く入っていた。
その上で、連続5本の荒行となった。(8/18)
●義足のコーディー君(下の写真)の口ぐせは、“Have fun !”。
義足でも誰も恨まず、スポーツにもチャレンジ。
我が息子も、彼のような男の子に育てたい。
そのためには、まず父親が彼のようであらねば!(8/18)
●全米を感動させた、1枚の写真。
“Your excuse is invalid.”(あなたの言い訳は通用しません)
小さな子どもに教えられた…(泣)。(8/18)
●こんな時代は、必死になって「勝ち組」をめざすより、「価値組」であろうとするほうが幸せだろう。
とはいうものの、おとなしいヒツジよりトラになりたい気持ちも、まだ残っている。
●先日ウェイン・ダイアーさんのDVD「ザ・シフト」を見たが、けっこう印象に残った。
人生の午前(前半)で真実だったものが、人生の午後(後半)では偽りに見えてしまうことは多い。
価値観の優先順位が、金や名声などから、内面的なスピリチュアリズムや心の平安へと変わっていく。
わざわざ大げさに言われなくても、40過ぎれば誰でも知っていることだが(笑)。
きちんとした大人であれば、2割くらいはスピリチュアリズムもありかなと思う。
●最近、「あれ、この光景はいつか見たような気がするぞ…」と感じることがある。
フランス語で「デジャヴ」だったっけ。
前世の記憶だとか、生れる前に立てた計画を思い出した、という仮説もある。
往々にして記憶がウソをつくように、科学的には単なる錯覚なんだろうな。
●間違いなく毎週末モーング来店の実績をふまえ、行きつけの喫茶店「ホック」のマスターが私にだけ特別作成。
コーヒーチケットならぬ、「モーニングチケット」(笑)。
5000円払って、500円のモーニングチケットが12枚♪(8/17)
●独りで寂しかった頃は、よく雲を眺めていたなあ。
懐かしくなったので、旧サイトにあの頃の空を再アップ。(8/16)
●高城の観音池公園で息子と見上げた、私の好きな木漏れ日。(8/16)
●花火大会の前、家族3人で、大淀川にかかる橘橋の夕焼けを見る。
●大学時代の失恋以来、夏にはロクな思い出がなくて、この時期が嫌いだった私。
入道雲を見てはウンザリし、花火大会や祭りにも10年以上行かなかった。
3年前の8月に息子が生れて以来、そのトラウマが消えた。
今日、息子とプールで遊ぶ私を、入道雲が見ているような気がした。(8/13)
●いそいそとモーニングに出かけたら、店の前に「本日は体調不良のため、休ませていただきます」。
年中ほぼ無休のマスターが出てこないとは、さすがに年かなあ。(8/12)
●入念にストレッチしたら、今まで一度もできたことがなかった坐禅の結跏趺坐(けっかふざ)ができるように。
急にやってもできないことをくり返して、体の構造上自分には無理だと思い込んでいたんだな。
この調子でいくと、180度開脚も夢ではないかも。(8/12)
●始めるためのハードルが高くない、須藤元気さん流瞑想法で初瞑想。
なるほど、頭がスッキリする。
でも、子どもがいると15分もやるってのは無理だよな〜。(8/12)
●毎年恒例の、息子の誕生日前後の霧島温泉泊。
霧島温泉には、私が小さい頃から両親と泊まりに来ていた。
風流なひぐらしの鳴き声の中、早朝5時の露天風呂。
どこかのおじさんである私をちらっと見た、父親に連れられた小学生。
これから社会の中で生きていく、かつての自分がそこにいた。
あとで入ってきた、もう人生も終わりに近そうな老人。
いつかの自分を、そこに見るような気がした。(8/11)
●霧島温泉へ向かう山道の、妻の車の中。
助手席はチャイルドシートなので、家族だと私は後ろに座ることになる。
これもまた、いつか懐かしく思い出すマインドフルなひとときかもしれない。(8/10)
●「これでいい」「十分」「満たされている」という種をまいてから、スタートする。
「このままではいけない」から始めたら、「このままではいけない」という実がなってしまう。
●選ぶことができたはずの、選ばなかった過去を犠牲にして、現在がある。
現在という選んだ未来で、他の未来を犠牲にした分だけは、頑張らないと。
●同じ木の葉っぱ同士、同じ海の波同士、同じ地上の人間同士が非難し合う愚かな構図。
●「自分を探さない旅」
●恋愛でイニシアチブをとるのは、「いつ別れてもいい」と思っている側。
●嫌われる覚悟こそ、本当の「嫌われない技術」。
●時代の「最センター」をいく。
●いじめと「いじられ」は違う。
●ブランドよりも、「ブレンド」の時代。
●糖質制限ダイエット本を、ドライカレー食いながら読んでる愚かなオレ。
●映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」、単純だが心が洗われた。
時代に翻弄されて、自分が昭和生まれであることを忘れてたよ。
日常生活こそ人生だ、真面目に仕事しよう。
●「サ道(サウナ道)」を読んでいるうちに、サウナ+水風呂のセッションが恋しくなり、「ぱうぱう」へ。
どうせだからと思って、流行りのダイエット法と組み合わせて「ロングブレス・サウナ」。
3本やったが、全身がジンジンくるあれは、まさにナチュラル・ドラッグやな〜。(8/4)
●「リアル・スティール」、ロボットのボクシングが楽しいだけかと思いきや、さすがアメリカ映画。
シャドーボクシングする父親を見つめる、うれしそうな息子の顔に、しっかり泣かされた。(8/4)
●楽しいと時間は早く過ぎ、退屈だと長く感じるもの。
ということは、長生きしたい人が「人生は長いなあ」と思うためには、あえて退屈すること?
一方で、楽しくてあっという間に一年が過ぎるような人は、それが3ヶ月くらいにしか感じない。
であれば、いつまでも若くありたい人が「まだ数ヶ月しか過ぎてない」と思うために、楽しむべき?
●カウンセリングで、街のショーウィンドーを例に、心のピントの合わせ方(=ものの見方)を説明する。
息子が好きなバスの運転ゲームで、その話を思い出した。
ガラスに映った妻子と、ガラスの向こうの景色と、どちらがより目に入るか。
携帯カメラは、私と同じ意識の焦点だった。
●青春を捧げた極真空手の分裂騒動の渾身ドキュメント、「大山倍達の遺言」。
当時尊敬していた師範や諸先輩方も、結局はエゴと感情がむき出しだったのだと再確認。
それはさておき、525ページにもおよぶ力作を、仕事のある平日たった3日で読破した。
特に努力なんかしなくたって、好きなことは寝食を忘れて夢中になるし、嫌いなことは続きゃしないのだ。
●「四つ葉のクローバーの球根」というのをもらって植えたら、たしかに四つ葉だらけ。
でも、三つ葉の中で偶然見つけた場合と比べて、喜び一気に半減以下。
ラーメン屋を始めたら当たって、次々チェーン店を作ったら味が落ちた、みたいな。
希少価値の有難みを忘れちゃいかんな〜。