<シェリー> 2002/6/22
ぼくがこの曲に出会ったのは、大学時代。
20代では、オーストラリア砂漠のエアーズロックの頂上で、熱風に吹かれて360度の地平線を眺めながら、この曲を聞いた。
そのとき、前妻との結婚を決意したのだ。
帰国後に結婚して1年が過ぎた頃、妻が妊娠していることがわかった。
それから娘が生まれるまで、ぼくは妻と二人でマタニティー関係に夢中だった。
少しずつ大きくなる妻のお腹に話しかけては、胎教だといってクラシック音楽などを聴かせた。
お洒落な妻であってほしかったから、出産までの服もたくさん買った。
娘が生まれた瞬間。
ずっと妻につき添っていたぼくは、その元気な産声を聞いた瞬間、涙が止まらなかった。
不思議そうな目でぼくたちを見る、かわいい赤ん坊。
ぼくたち夫婦のもとへ生れてきてくれて、ありがとう。
あの感激は、一生忘れることはない。
それから3年間、ぼくは典型的な親馬鹿だった。
毎日ビデオカメラを片手に、ミルクを飲ませたりお風呂に入れたり、もちろんオムツの世話もやっていた。
妻が仕事を続けたいと言うので、もちろん家事も分担していたからけっこうタフな生活だった。
寝不足の出勤前にオシッコをかけられて遅刻してしまったのも、今ではいい思い出だ。
親としての喜びを、あの3年間でぼくは娘からたくさん与えられた。
娘はもう、ぼくに最高の親孝行をしてくれた。
娘の名前をつけたのはぼくで、大好きだった尾崎豊の「シェリー」を美しい漢字3文字にした。
その一文字一文字に、父親の愛情をこめた。
言葉がわかりはじめた頃、CDを聴かせると、「あっ、今○○○って言った!」と、自分の名前だと思って大喜びしていた。
たった3年で引き離され、まったく会わせてもらえなくなったが、ぼくの娘が成長して「シェリー」のメロディーをどこかで耳にするとき、必ずぼくのことを思い出してくれるはずだ。
そして、まわりのすべての人が娘の名前を口にするたびに、彼女の本当の父親はいつも側にいる。
ぼくは父親として、そういう愛情と信念で生きていく。
娘は、チューリップの花が大好きだった。
*****
シェリー 俺は転がり続けて こんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも 捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮しさ
転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる
シェリー 優しく俺をしかってくれ そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
シェリー 見知らぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば 孤独すら恐れやしないよね
シェリー ひとりで生きるなら 涙なんか見せちゃいけないよね
転がり続ける 俺の生きざまを
時には涙をこらえてささえてる
シェリー あわれみなど 受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いて行く
シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いてるかい
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
(Words & Music by 尾崎豊)