<「前を向く」ということ>
離婚経験者のためのホームページ「ばついちたちの憩いの場」を、久しぶりに覗いてみました。
以前私も利用させてもらった「悩み相談」のコーナーには、あいかわらずたくさんの人が投稿し、同じ苦しみを経験した人たちからのアドバイスが書かれてありました。
その中である男性が、
「子どもとの月1回の面会を条件に、1年前に妻と調停離婚をした。
しかし、彼女が再婚したらしいので、自分は子ども(5歳の娘)にこれからも会いたいが、子どもの新しい家族生活を思えば、もう会わないほうがいいのだろうか…」
と相談していました。
かつての私と、まったく同じ悩みです。
私は、次のようにアドバイスしました。
「あなたの子どもさんは、年齢から判断して、今までの状況を十分に理解し、将来あなたの記憶も残ります。
あなたが自ら身を引くのもひとつの結論でしょうが、子どもさんにとっては不自然なことではないでしょうか。
表面的には明るく元気に育っても、「自分と同じ血が流れている本当の父親」の存在は、いつも心のどこかにあるはずです。
今あなたが子どもさんの前から突然姿を消すと、そのことは子どもさんの心の中に疑問としてずっと残るでしょう。
母親である元奥さんのことを決して悪く言わず、新しい家族の幸せを見守る立場で、本当の父親としての愛情を表現し続けるべきです」
これに対して、まったく逆のアドバイスをしている方もおられます。
私のときも、「子どもの気持ちを混乱させないために、もうこれ以上会わないほうがいい」「男らしくあきらめて、遠くから見守ってあげなさい」「助けを求めてきたときにだけ、救いの手をさしのべればいい」などという意見のほうが、むしろ多かったように思います。
これらの意見は、主に女性と、離婚経験のない人、あっても子どもさんのいない方々によるものでした。
一様に言われた「もういいかげんに前を向いたらどうですか」という言葉が、心に突き刺さりました。
子どもの気持ちを考えると、果たしてどちらが将来正しい結果につながるのか、ずいぶん悩みました。
そんな中で、同じホームページを通してメールをいただき、私の本名も顔も知らない、私とかかわっても何のメリットもないはずの2人の男性だけが、最後の最後まで「絶対にあきらめるな!」と、叱咤激励し続けてくれました。
私の決意が揺らいで弱気になったときにも、忙しい時間を割いて、長い文章を何回も送ってくれました。
同じような体験をして、さんざん悩み、苦しみ、迷いぬいた人たちです。
しかもそのうちの1人は、私よりずっとつらい状況にあるのです。
私の本当の味方は、この見知らぬお2人だけだったように思います。
もちろん、「あきらめろ、前を向け」と言ってくれた人たちも、真剣に今後の私と娘のことを考えたうえでのアドバイスでした。
憔悴していく私を心配して、「過去にこだわるのはもうやめて、これから先のことを考えるべきだ」という、温かい思いやりを感じました。
どの意見にも説得力がありました。
娘と会う努力を続けるということは、不本意ながら娘の生活に、ある程度の波風を立てることにもなりかねません。
その雰囲気が子どもに伝わって、ストレスになっても困ります。
それだけに、結論を出すのは本当に難しかった。
先日、ある友人の女性が、ズバリ言ってくれました。
「あなたとつき合うことになる女の人は、ある意味でかわいそうだと思う。
本もホームページも、娘さんのことが書いてあるのを読むと、やっぱり重い。
男女の恋愛と親子の愛情は違うのかもしれないけど、女の本音としては、自分以外の人に愛情をそそいでいる男性とつき合うのは、すごく難しく感じる。
それを含めてあなたを受け入れられるような女性は、なかなかいないと思うよ」
今、私は「前を向いて」います。
ただし私にとって、「前を向く」とは、娘と会うことをあきらめることではありませんでした。
前妻の幸せな再婚生活と、娘の新しい家族生活を決して邪魔することなく、控えめに、かつ深い愛情をもって、娘の成長にかかわっていきたいと望んでいます。
と同時に、上で紹介したお2人からのアドバイス通り、自分自身が毎日の生活を楽しんで、今後の人生を幸せに生きていくことも、しっかり考えたいと思っています。
落ち込んでいたときには、自分に恋人ができたり、再婚したりすることに、傷つけてしまった娘に対する引け目みたいなものを感じていました。
しかし、父親の私が明るく元気に暮らしていればこそ、娘も安心して幸せになれると思います。
だから私は、前を向きます。
(2000/4/17)