<2012年6月>
【自分の本質に向き合う】 2012年6月27日(水)
スーザン・ケイン のTEDプレゼン「内向的な人が秘めている力」を見て、考えさせられること大。
外交的な人だけが評価される文化の中で、内向的な人たちは肩身の狭い思いをしている。
しかし内向型人間には彼らなりの才能と適性があるので、何ら恥じることなどないという内容だ。
最近弱気なブログが続くが、私の本質はまさに内向型の人見知りで、コミュニケーション下手。
小さい頃は保育園にも行けなかったし、地元の運動会や祭りにも入れなかった。
運動が苦手で、肥満体だった小学生時代のあだ名は「カバゴン」。
それらの劣等感から、いつの頃からか私は、自分を変えることに夢中になった。
ひょうきん者を装い、体を鍛え、本をたくさん読んだ。
後天的な努力によって、心身ともに「第二の天性」を獲得し、大げさに言うと「別人のような」人生を歩んできた。
しかし、私は知っている。
本当の私は、あまり人と交わらず、一人で静かに本でも読んでいたいタイプということを。
40を過ぎるまで、ある意味自分を偽って、ずいぶん無理して生きてきた事実を。
カウンセリングをする中で、不謹慎な表現だが、ある種の「うらやましさ」みたいなものを感じることがある。
彼らは職場や学校を拒否して、頑として自分からは行動せず、家族に心配を、周囲に面倒をかけ続ける。
いくら話しかけても、絶対に口をきかず、反応さえしない人もいる。
人は彼らを「弱い」「甘えだ」と言うが、私などから見ると、「何たる精神力か!」と感心さえさせられる。
彼らは「前に進まない」こだわりを決して変えず、迷わず、軸のブレない「意志の強い」人たちともいえる。
その方向性が、社会の中で生活していく条件として、ちょっとばかりズレてるというだけで…。
若かった私は素の自分を無理やり変えて、一般的にウケのいい、明るく元気で前向きなヒトを演じてしまった。
なまじそこに、自分の好みとは逆の能力があったりしたもんだから、いくつかの分野で目立つハメになった。
自己啓発書に書いてある通りにやってみたら、幸か不幸か、ささやかながら「成功」という「悲喜劇」に見舞われたのだ。
本を出版した、いいマンションに住んだ、ベンツに乗った、テレビに出演した…。
達成の瞬間は喜びを感じるが、それが長続きすることはなく、ポッカリ開いた心の穴に、冷えた風と枯葉が吹き抜ける。
もともと向いていないことでうまくいくものだから、常に矛盾をかかえていた。
表面的には絶頂だった、当時の私がひそかに好んだ歌は、川島英五さんの「時代おくれ」。
「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず…」
「時代おくれの 男に“なりたい”」
モデルハウスのような部屋に住みながら、古い家の薄暗い明りの下で、家族とザコ寝する夜に憧れを感じた。
それなのに、「これは単なる“ないものねだり”なのだ」と思い込んでいた。
アホやの〜。
あるとき、出張先のホテルで、目の見えない男性のマッサージを受けた。
私は旅先の一時的な関係の気安さで、極端な低血圧で疲れやすい体質のため、仕事が辛いと打ち明けた。
どうしたら普通の血圧になって、もっと長時間パワフルに働くことができるのだろう、と。
「普通の血圧になったら、その状態はあなたにとって高血圧だから、体を壊しますよ。
低血圧の状態が、まぎれもないあなた自身なのだから。
無理に血圧を上げるのではなく、低血圧としてどう生きるかを、真剣に考えるべきです」
私がその深い言葉の意味を思い知るのに、あれから10年以上を要した。
人生最大の失敗である離婚も含め、何人かの女性との別れも経験した。
理解し難い話だろうが、あれは本当の私じゃなかったんだから、相手が混乱して当然だったのだ。
私がある時期から1冊の本も書かなくなったことを、もったいないと言ってくれる人は多い。
アイディアが枯れたからじゃない(笑)、ここだけはゴーマンかますが、その気になれば何冊だって出せる。
そうしないことを選択したのだ、心身の健康と、家族と過ごす時間のほうがずっと大切だから。
縁とタイミングのおかげで、私は人生後半にしてようやく、本来の自分に戻れた気がする。
息子には尊敬されず、妻には弱さをさらけ出して、愚痴もホンネも言える。
「実は英語なんかキライ」「教師向いてない」とか、「ハイテンションな人にはウンザリ」「本当は主夫になりたい」など(笑)。
最近、崩壊した家庭をバネに、バリバリのキャリアウーマンになって活躍したいという若い女性に相談を受けた。
それなのに、いくら努力しようとしてもなぜか長続きせず、成績も伸びないという悩みだった。
かつての私と同じく、自分の本質と違う憧れを抱いたために劣等感に苦しみ、自己矛盾に陥っているのだ。
「やめとけ、どうせ向いてないんだから」、そう言いたいのをグッとこらえて、私は言った。
「若いうちは、欲しいものを得るために、ガムシャラに頑張るのも悪くないと思うよ。
でもいつか…できれば遅すぎないうちに、自分の内なる声にジッと耳を傾けて、それを受け入れてあげてな」
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【隠れ疲労の恐怖?】 2012年6月22日(金)
テレビ番組「教科書に載せたい!」で、過労死の危険性もある「隠れ疲労チェック」というのがあった。
以下に当てはまる人は、特に4番以降、番号が大きくなるほど要注意だそうだ。
(1) 疲れた時は、スタミナ料理を食べて回復。
(2) 仕事のストレスは、休日外に出て気分転換。
(3) 週に1度は運動して、しっかり体力作り。
(4) ご褒美1つで、疲れが吹っ飛んでしまう。
(5) やりがいのある事ばかりで、充実している。
(6) 周囲に期待されると、やる気が増す。
(7) 責任感が、パワーの源。
それぞれが健康に良くない理由は、以下の通り。
(1)〜(3)
焼肉などのスタミナ料理に疲労回復の成分はほとんどなく、消化にも悪い。
紫外線は体内の疲労物質FFを増やし、きつい運動は細胞を壊し、ますます交感神経優位となる。
(4)〜(7)
責任感・期待・意欲・やりがい・ご褒美が疲労感に「マスク」をかけて、脳に届く疲労の信号を無視する。
本人に自覚のないまま「疲労感なき疲労」が溜まっていき、いきなり倒れるといった症状になりやすく、最も危険。
以前テレビで、脳科学者の茂木健一郎さんの一日が紹介された。
その中で彼が、朝ベッドで目覚めた次の瞬間、即仕事に取りかかる場面があった。
ちょうど私も本を執筆中で、「あっ、オレと同じだ」と笑っていたものだ。
だが、そもそも私のようなエネルギーの低い人間が、著名でタフな茂木さんのようなライフスタイルでもつはずがない。
(1)〜(7)すべてに当てはまる、柄にもないテンションの高さをキープした結果、「隠れ疲労」の蓄積で全機能停止状態。
現在の妻のサポートで助かったものの、そうでなかった場合のその後の展開は、考えただけでもゾッとする。
このあたりのさじ加減は、特に中年以降はなかなか難しく、まだまだ検討の余地がありそうだ。
私個人のケースで言うと、仕事で疲れて帰ったあと、ジムで追い込むまで筋トレするのは是か非か?
家族のためにと、平日も休日も職場でも家庭でも、つい頑張ってしまうクセはどうなのか?など…。
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【再起動かけました】 2012年6月10日(日)
もうトシかな〜、関西旅行の疲れが抜けず、今週はずっとキツかった。
息子が保育園からもらってきた?気管支炎が、妻と私にうつり、一週間3人でゴホゴホやっていた。
昨日から妻と息子が実家に行き、久しぶりに一人だけの時間をもらって、やっとのことリセットできた感じだ。
先週末は宮崎にいなかったので、いつもの「ホック」でモーニングが食べられなかった。
それも私のリズムが狂った要因のひとつだろう、いやマジで。
今朝は2週間分の雑誌を読み、いつもの倍の時間をかけ、モーニングもおかわりした(笑)。
今週見るDVDを借りて、ブックオフで本を買って、ずっと行ってなかったサウナへ。
「極楽湯」は子どもが多くて落ち着かないので、おじさんパラダイス、日曜昼間の「ぱうぱう」をチョイス。
サウナ&水風呂を3本、レストルームにはあえて本を持ち込まず、雑念が浮かんでは消えるにまかせた。
「無事これ名馬」
体調を崩すと、いつも頭をかすめる言葉。
ガンガン鍛えてマッチョになっても、しょっちゅう風邪をひいて家族に迷惑をかけていては、それこそ本末転倒だ。
もうムキムキじゃなくてもいい、「健康に長生き」するためには、本気で考え直さなければ。
「体力の変化や年代に応じて、トレーニングの中身を柔軟に変えることが大切です」(本田直之)
そうだ、私には「柔軟性」が欠けていた。
シェイプアップにこだわり過ぎて、週3回ジムに行くことが「義務」になっていた。
「ぱうぱう」で瞑想?して、思いついたまま、今後は次のように発想を転換しようと思う。
「対処から、予防へ」。
「見かけから、機能性へ」。
「アウターマッスルから、インナーマッスルへ」。
「無酸素運動から、有酸素運動へ」。
「パワフルから、フレキシブルへ」。
「偏りから、ボディ・マインド・スピリットのバランスへ」
「交感神経(緊張)から、副交感神経(リラックス)へ」。
「出来事への反応から、自分のリズムとペース重視へ」
「昔から万人にいいと言われていることをやってるだけだ」(父)
以前にも書いたが、母の体質を受け継ぐ病弱な私と違って、もうすぐ喜寿(77歳)を迎える父は「鉄人」である。
とっくの昔に隠居した同世代の友人知人が、次々と亡くなったり病に倒れていく中、今でもバリバリの現役。
あと25年!かかる古文書の解読を主な仕事に、自治会長をはじめ、20近くの肩書きを持っている。
私は妻と年の差が21あり、息子とは45も離れている。
もし今後子どもに恵まれたら、成人する頃には還暦なんかとっくに過ぎて、古希になってしまう。
「無事これ名馬」こそ、私がこれから真剣にめざすべき境地なので、父に教えを請うた答えが上の言葉だった。
一つ、よく噛んで食べること(腹八分目)。
一つ、よく歩くこと。
一つ、よく眠ること。
一つ、毎朝「冷水摩擦」をすること。
一つ、生きがいとなる仕事を持つこと。
やや議論が分かれたのが、仕事に関すること。
父は、人生後半に「下山」をイメージする私と、正反対の生き方をしてきた。
高齢化社会で、「後進に道を譲る」などもってのほか、男は死ぬまで働き続けろと。
引退するとボケたり早死にする者が多いように、目標や野心を捨ててはダメだ。
人から必要とされ、あれこれ頼まれて引き受け、忙しく動き回ることこそ、長生きの秘訣だ。
一見「好きなことをする時間」は少なくなるが、「生きている時間」は長くなるから、結果的に好きなこともできると。
すべての考え方は、そうだともいえるし、そうでないともいえるし、人それぞれだともいえる。
しかし、こと「健康で長生き」に関しては、それを体現しているモデルが言うのだから、見習ってみるかな。
どのみち私は、60で定年してる場合ではなく、その後も働き続けないと家庭が維持できないんだから。
私には、エネルギーが低い人間のくせに、スーパーマンをめざして心が折れた恥ずかしい過去がある。
だから極論から極論へ走って、「求めない」生き方にシフトチェンジしたのだが、極論とは「偏り」のことでもある。
「ネガティブ・レスト」(何もせず体を休める)と、「アクティブ・レスト」(体を動かしリフレッシュ)のバランスが大事なのだ。
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【参観日】 2012年6月9日(土)
今日は息子の通う、保育園の参観日。
思わず「どこのジェントルマンでっか?」とツッコミを入れたくなるほど、お行儀よくしててビックリした。
嫌がって戦争状態になる家とは別人で、給食の野菜もちゃんと食べるし、歯磨きもしっかりするではないか。
その一方、両親の目を意識してお調子者ぶりを発揮するあたりは、間違いなく父親のDNAを受け継いでいる。
息子は息子なりに、保育園で集団生活を頑張ってるんだから、妻も私も負けてられないな〜。
父親として、こんな体験をさせてくれる妻と息子に、心から感謝。
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【解けた!】 2012年6月7日(木)
「ちゃんと食べて、生活していける状態になったら、それ以上、目的を設定する必要はありません」
最近ガツーン!と衝撃を受けた、哲学者・土屋賢二さんの言葉。
もちろん、そのブレイクスルーの瞬間の背景には、「必死で」「頑張って」きた、過去の積み重ねがある。
他人には大げさに聞こえても、考え抜いてきた私としては、「解けた!」とその場で小躍りしたい気分だった。
「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」(松尾芭蕉)
なずな(ペンペン草)の花は、雑草と見間違えるほどの、小さな花。
目的に向かっているときは、つい見過ごしてしまう、ちっぽけな存在にすぎない。
心にゆとりがあれば、芭蕉が「よく見れば」と表現したように、ふと目に止まるものなのだろう。
土屋氏が言うに、まだ食べていけないうちは、目的を設定して、その手段となる行動をとる必要がある。
しかしそれが達成されたなら、その先にまた目的がなくてはならない、などと考える必要はない。
ちゃんと生活できて、なずなの花が見えれば、無理に目的を持つ必要がない状態に達したことになる。
古くから、哲学的には、「もうそれ以上目的を持たないもの」にこそ価値があるのだという。
目的があるうちは、それはあくまでも手段であって、まだ達成していないから幸福とはいえない。
仮に達成できても、次の目的が見当たらなくて、最近よく聞く「閉塞感」に襲われるのだと。
閉塞感とは、「生きる目的が何かわからない」状態。
私が長年陥っていた、「目的を見失って動けない」「もっと、もっと」という、焦りのループと同じだ。
そんなことより、目的なしでも生きていけるように、意識改革に努めたほうがいいのかもしれない。
「それ以上目的を持たないもの」について、「私にとって」と条件をつけて、ここでちょっと考えてみたい。
仕事をするのは、基本的には給料をもらうためで、給料は家族の生活のため。
家族にはそれ以上の目的はないから、「家族で幸せに生活すること」は、価値があるということ。
英語の知識やカウンセリングの技術を高めようとするのは、自分の仕事に活かすため。
別の角度から見た仕事の目的は、他人の役に立つため。
そのこと自体に目的はないので、「人の役に立つこと、助けること」には価値がある。
筋トレをするのは、シェイプアップのため。
シェイプアップはフィットネスにつながり、いいコンディションが目的となる。
フィットネスやコンディションに目的はないので、「健康」の価値は揺るがない。
本を読むのは、知的な刺激を得るため。
知的な刺激は、自分が人間的に成長するのが目的。
それ以上の目的はないので、「人間的成長」にもまた価値がある。
…と、このようにグダグダ理屈づけすると、キーワードの「幸せ感」こそ、最も価値があるものだと思えてくる。
肉体的にも精神的にも、「いい感じ」「ハッピー」な状態を得て、それをキープすること。
その意味で、「手段」であるお金になりにくい「芸術」や「娯楽」の価値も、見直さねばならないだろう。
私の場合は、ありがたいことに、25年以上前から「ちゃんと食べて、生活していける状態」になっていた。
わざわざそれ以上の目的を次々と作って、理想と現実のギャップに苦しみ続ける必要はなかったのだ。
もっとラクな生き方をすればよかったかな〜。
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【大阪】 2012年6月5日(火)
週末をはさんで、昨日まで2泊3日、家族で関西旅行。
行きの飛行機で、客室乗務員さんが息子をえらくかまって、降りても見えなくなるまで手を振ってくれた。
「おりこうさんへ。癒されました。お姉さんより」と手紙までもらったが、何か辛いことでもあったのだろうか。
1日目、新大阪で大学時代の同窓会。
友人たちや当時の恋人とも会って、一瞬25年前にタイムスリップしたような、不思議な感覚に。
私は生意気な学生だったが、ともに歳を重ね老いてくれる、若い時代の仲間も悪くないと思った。
同じ日に、家族で道頓堀に行って食い道楽。
大きなカニやグリコの看板に、息子は大喜び(くいだおれ太郎にはビビッて近づかず)。
夕暮れにボートに乗ると、川沿いや橋の上の人たちが息子に手を振ってくれて、ありがたく感じた。
2日目がメインイベントで、息子が楽しみにしていた、京都の梅小路蒸気機関車館へ。
今でも本物の蒸気機関車が、石炭を燃やしながら走っていて、その大迫力には私まで興奮した。
京都タワーにも上ってパノラマの景色を楽しんだが、帰りの電車の混み具合にはウンザリ。
3人とも都会の喧騒にすっかり疲れて、3日目もミナミに行ったが、ゆるめに過ごして戻ってきた。
この3日間で食べた主なものは、お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、一蘭のラーメン…。
お互いの実家へのおみやげは、梅田大丸で予約した、マダムシンコのマダムブリュレ。
ヘトヘトになって、実感した結論。
(1)田舎者たちに、都会の空気は合わない。
(2)「やっぱり宮崎が、家がいちばんいい」、そう再認識するために、旅はあるのかも。