<2012年5月>

【参考までに告白文】 2012年5月28日(火)

40歳までは誰でも小児時代勉強時代と心得なければならない」(『食道楽』村井弦齋)

これはまた、今の私には身につまされて、インパクトのある言葉である。
30代までは何かと無茶をして、病気や怪我をしたり、仕事や家庭で失敗をくり返しがちだと。
40を過ぎて初めて、社会の中のまともな大人になれるのだという。

私はすでに48だが、『食道楽』が出た明治時代の平均寿命は、どうも40歳前後らしい。
ということは、現在なら50歳くらいまでは「小児時代勉強時代」でいいのだ、きっと。
な〜んだ、だからこんな程度だったんだ。

フザけた開き直りはさておき、最近正直なところ、自分の成長のなさに改めて呆れかえっている。
洗面台の鏡で目が合う自分に向かって、「おいおい、もういいかげんオトナになろうぜ」と言いたくなる。
いつまでも「情報デブ」のままで、現実の自分とのギャップが大きすぎるのだ。

そんなワケで、ここしばらく「『自分軸』探しの旅」に出かけている。
実際に外に出るのではなく、むしろ自分の内側に向けて、ひたすら問い続けてきたのだ。
「本当は、どんな自分でいたいのか?」と。

私はずいぶん長い間、本来の自己とはややズレた、何かに影響された「理想」をめざして動いていた。
その「ズレ」に気づき始めたのが、4年前に現在の妻と再婚する前後だったと思う。
「本当はやりたくなかった」ことを次々と止め(させられ)、当時とは比較できないほど気が楽になった。

それでも、一度身に付いた「パターン」というのは、けっこうシツコく引きずるものだ。
ずいぶん落ち着いたものの、依然あれこれと反応しながら、焦って生きていることに変わりはない。
このあたりでもう一度、より深く突っ込んで、自分自身を見つめ直したい衝動に駆られた。

人間の本質にはいくつかの種類があって、自分のタイプを正確に見極めておくことは、きわめて重要だ。
ところがこれが意外と難しく、ほとんどの人は誤って「そう思い込んでいる」だけではなかろうか。
私もその思い込みの犠牲者の一人で、深そうなことを言いながら、実は浅く生きてきたツケを一気に払わされた。

人間にとっての幸福とは、才能を生かすことではなく、欲求を満足させることだ」(岡田斗司夫)

この場合の「欲求」とは、自分の本来の姿、つまりタイプにピタリと合った欲求のことだ。
誰にでも憧れる他のタイプがあるので、そこに生じた劣等感を克服するため、つい違う方向性を選んでしまう。
下手に才能などあったりすると、職業までそれを基準に決めたりして、ますます苦痛な日々を送るハメになる。

その場合、たとえ成功して何かを手に入れて一時的に喜んでも、やがて空しさや違和感を感じ始める。
過去の私がまさにそのトラップに引っかかり、別のタイプから見れば最高の条件を捨て去った経験がある。
結果、自分を含め多くの人たちを傷つけてしまい、今でもそのトラウマから逃れることができないでいる。

小難しいことを書いたが、要するに「向いてないことはやめとけ!」ということ。
でないと、いつまでたっても「ムダな努力」を続けて、自分を虐待することになる。
そして、見えないストレスが蓄積して心も体も弱まり、後悔しながら死んでいくのだ。

*****

【反省文】 2012年5月18日(金)

ゴールデンウィークをはさんだ最近、「なんだかなァ…」と漠然と感じていた。
勤務条件が改善されたにもかかわらず、追われている感だけで日々が過ぎていく。
本を読み、文章を書き、ジムで体を鍛える時間が、ほとんどなくなってしまった。

なんでだろう?
思い当たるのは、先月から妻が大学院に通い始めたこと。
でもその分、子どもを保育園に預けたのだから、日中の世話からは解放されたはず…。

最近は妻まで夜はヘトヘトで、夫婦でじっくり向き合って話すことすらなくなった。
夕食で私が話しかけても、すぐに子どもがさえぎるので、どの話題も中途半端のまま。
このままではストレスがたまる一方なので、久しぶりの夫婦ミーティング。

その結果、私が新しいライフスタイルに対応できていないのが原因とわかった。
これまでは、気がねなく週3回はジムに行けるよう、妻が早めに子どもを寝かしつけてくれていた。
今は保育園生活の反動か、家に帰って母親に甘えたり、いつまでも遊びたがって就寝が遅い。

私にすれば、仕事から帰って夕食、子どもと遊び、風呂に入れ、皿を洗って夜9時過ぎ。
そこから100キロ近いバーベルと格闘しに出るのは、アラフィフのオジサンにはちょっと無理がある。
もうこれは、選択と集中を真剣に検討して、生活の仕組みを変えないかぎりダメではないか?

妻にしてみれば、いくら子どもが保育園といっても、日中は家を空けているわけで。
朝弁当を作って、研究や課題が山積み、帰って掃除や洗濯をして、食事まで作る毎日。
あらゆる工夫をして取り組んでいるようだが、そりゃ?大変だよ、私が甘えてる場合じゃない。

「家族と過ごす時間を最優先せねばならない」
「肉体はマッチョでなければならない」
「ホームページを更新せねばならない」
「買いだめた本を読まねばならない」
「録画した番組を見なければならない」
「映画くらい楽しまねばならない」
「まだあれもこれもせねばならない」
ねばならない、ねばねば、ネバネバ…!

オレ、本質何も変わってねえなあ(笑)。
大学時代の恋人に、「いつも焦っている受験生みたい」と言われたまんまだ。
カウンセラーとして、クライアントに「ねばならないの思い込みが、悩み苦しみのもとですよ」なんて言いながら(^^;

同世代で家族持ちのオジサン仲間が、いったいどうやって折り合いをつけているのか、ぜひとも知りたいところ。
「仕事」「家族」「趣味」「自分磨き」その他のバランスを、いかにして保っておられるのか?
それとも、いずれかをリストラしたり、そこそこで割り切る術を心得て、大人の余裕を演出されているのか?

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