<2012年1月>

【サポート】 2012年1月22日(日)

昨日「報道特集」という番組で、「全盲ろう」の人たちの生活が紹介されていた。
生まれつき、目も見えなければ、耳も聞こえない。
そんな過酷な条件で生きる人と家族を見て、深い敬意の念を感じながら、自分の生活ぶりを大いに反省した。

手話を手でさわって読み取る「触手話」を身につけるのに、どれほど努力の積み重ねがあったことだろう。
それを思うと、私たちが「英語が苦手」などと言うのは、とんだ甘ちゃんの戯言ではないか。
結局、本当は必要性に追い込まれていない、本気になっていないだけの話なのだ。

もう一つ感銘を受けたのが、全盲ろう者のサポートに携わる組織スタッフや、ボランティアの人々の姿。
今回はテレビの取材を受けた形だが、弱者を支える日頃の地道な取組みを思うと、本当に頭が下がる。
偉そうな政治家や成功した有名人と比べれば、まるで目立たない存在だが、ずっと立派な生き方だと思う。

もちろん、人にはそれぞれ、この世で与えられた条件がある。
世間のものさしで「恵まれた」人々が悪いわけではなく、たまたまそうだった環境の中で、最善をつくせばいい。
ただ、健常者としての力を持って生まれた以上、そうでない人々を援助する使命も忘れてはならない。

と同時に、障害を持つ人たちも、生活の中であれこれ手伝ってもらうことに引け目を感じてほしくない。
それはお金という価値観を超えた、人として当然で対等のバランス関係だからだ。
こういった発想や社会システムは、まだまだアメリカに遅れをとっているのが、日本の現実だ。

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【心が雨の日の過ごし方】 2012年1月20日(金)

毎日のように人々の悩みを聞いていると、自分がいちばん辛かった日々のことを思い出す。
そして、自分がどうやってその時期を「やり過ごした」か、ちょっとだけ語ったりもする。
上から目線にならないように気をつけながら。

汝、穏やかなる人生を送りたければ、仕事を減らすべし」(マルクス・アウレリウス)

やるべきことが多すぎるのが原因なら、それを減らすしかない。
忙しすぎる場を立ち去る、一時的に避難する、適当に手を抜くなど。
「まず休む」のが最優先、元気が回復してきたら、今後どうするか考え始めればいい。

カレー・オムライス・ハンバーグ・ラーメン・焼き肉・お好み焼きが大好きな私。
とはいえ、どれだけ空腹でも、全部いっぺんには食べられない。
どんな事情があれ、涙をのんで断捨離するしかないのだ。

まったくするべきではないことを能率的にする。これほど無駄なことはない」(ピーター・ドラッカー)

仕事を辞めたり休職ができないなら、自分ができる範囲で軽減するしかない。
やってもそう大した効果が期待できないことは、「やらない」と思い定める。
納税もしてるんだし、そこそこ「こなす」だけでも、社会人として最低限の義務は果たしてるんだから(by my妻)。

ストレスを物理的に減らす「大前提」なしでは、他の対処法の効果はあまり期待できない。
当たり前に聞こえるが、意外と多くの人が休むのを避けたがり、根本的な原因にフタをする。
そしてスピリチュアルの本を読んだり、カウンセリングや心療内科に通ったりして、数年を無駄にする。

今日一日だけ(JUST FOR TODAY)

たしかこれは、ドラッグかアルコール依存者の更生施設に貼ってあった言葉だ。
「今日一日だけ」、悩まないで・心配しないで・怒らないで・怖がらないで・不安を感じないで過ごす、と「決める」。
明日はどうなるかわからないけれど、とりあえず、今日一日だけは。

今日一日が長すぎると感じるなら、「午前中だけ」でも、「この1時間だけ」「今から5分間だけ」でもいい。
「こうだったらいいな」と思う自分の状態で、わずかな時間でも過ごしてみる。
そして、淡々とそれを積み重ねるのだ。

ただ小川に流し続ける

子どもを育てているとわかるが、「いたずらしてはいけない」と言うと、必ず「いたずらする」(笑)。
大人も同じで、ダメだと言われるほど、禁を破りたくなるものだ。
私の知る範囲でも、浦島太郎や、鶴の恩返しの夫なんかがそうだった。

「悩んではいけない」と自分に言い聞かせるほど、ますます「悩んでしまう」。
「悩んでは→いけない」と、まずその「悩み」が頭に浮かんでしまうからだ。
「黄色い象のことを考えるな」と言われたら、まず何が頭に浮かびますかか?というやつだ。

「否定するためには、まずそれをイメージせねばならない」という皮肉。
それならばと、楽しかったことだけを思い出そうとしても、ほとんどが無駄な努力に終わる。
いいことから次々連想して、悪いことまで思い出したり、よけいな妄想まで始まってしまうからだ。

長年修行したお坊さんでさえ、座禅中に無心になることは難しく、あれこれ雑念が出てくるそうだ。
しかしそれらにとらわれず、「ただそのまま流していく」ことがポイントなのだという。
実験結果によると、一時的に心が揺れても、「立て直す」時間が一般人より早いらしい。

私たち凡人でも、同じ効果を得られるスゴイ方法が、先日の「ためしてガッテン!」で紹介された。
…と言ってコピペするだけでは、ありきたりのブログみたいになってしまう。
そこで、私自身が実際に一週間やってみた結果から書く。

夜中や明け方に目が覚め、あれこれ考えて二度寝できない長年の癖が、半分以上改善された。
というより、二度寝のあと寝坊してしまって、あわや遅刻になりかけている。

(1)軽く目を閉じて、心を落ち着ける。
(2)心の中に「小川」を思い浮かべる。
(3)その小川に「葉っぱ」が流れている様子を思い浮かべる。
(4)自分の中に起こる思考や感情を、次々と葉っぱに乗せて川に「流す」。
(5)1日に10〜15分程度行う。
(6)不安から抜け出せない時は、感情に「…と、思った。」とくっつける。

キーワードは、「客観視」だ。
湧き上がってくる思考や感情を、いちいち評価せず、ただただ流していく。
このトレーニングを習慣にするだけで、慌ただしい日常にありながら、かなりお坊さんっぽい心境になれる。

今までいくつかの「イメージワーク」を試してみたが、どれも私には合わなかった。
長い間、「とらわれない」ことが大事と知りながら、その最適な方法がつかめないでいた。
しかし、なぜかこの方法ははバシッとハマって、すごく助かっている。

あれこれ本を読んで勉強するより、たった1つでも即効性のある「技」を知ったほうが、よほど役に立つ。
私の仕事でいえば、カウンセリングや英語授業で、深く反省しつつ改善していくべき部分だ。
今後のテーマはもっとシンプルに、「心を軽くしてナンボ」&「えいごであそぼ」にしよう、うん。

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【運・縁・恩】 2012年1月5日(木)

年頭から恥ずかしい話だが、今日はうかつにも3回涙してしまった。
いや別に、暗く悲しいこととかではなくて。

1回目は朝、私が喫茶店に行こうとしたら、2歳の息子が泣きながら「いっしょいくー!」。
必死の表情がいじらしくて、ついついこちらまで泣けてきた(あきれた妻は苦笑い)。
まあ次の瞬間には、妻がちらつかせたラムネ菓子に気を引かれ、「パパ、ばいば〜い」(笑)。

これはたぶん、そう悪くない意味で、トラウマの逆反応ではないかと自己分析。
離婚後に、元妻とその母親が連れた娘と、バッタリ会ったことがある。
また会えなくなると訴えるかのように、幼い娘が私の服をギュッと握って離さない。
元妻の母親が引っ張っていったときの、娘の涙顔が今も目に浮かぶ。

2回目は、テレビの「ビッグダディ」という番組で、出産の様子を見たとき。
割と安産だったにもかかわらず、赤ん坊が生まれた場面だけでウルウル。
娘と息子が生まれる瞬間に立ち合った私は、たとえ30秒のCMでも出産シーンには泣ける。

3回目、デパートの子ども広場で楽しそうに遊ぶ息子が、笑顔で妻と私に手を振ってきたとき。
成長していく息子が愛おしく、自分がこの子の父親である事実が、ただありがたくて。
妻曰く、「Sちゃん(娘)がI(息子)と同じ頃のことを思い出したんじゃない?」。

少なくとも、お金や知名度などの成功欲にまみれた若い私と、今の私は別人のようだ。
まるで、ある日突然、憑き物が落ちたように。
ささやかな幸せに感謝する、ある意味とても小規模な(笑)家庭人に納まってしまった。

「どちらが幸せか?より心が穏やかか?」
私的バブル時代と比べて、一人の給料でやりくりしてもらって、小づかい制になった現在。
それでもその答えは明らかで、「幸せはお金では買えない」の意味が、実感として身にしみる。

人生の幸せって、何で決まるというか、何にいちばん影響されるんだろう。
どうにも頼りない感覚だが、今の私には「運」と「縁」、そして「恩」としか言いようがない。
「うん・えん・おん」って、なんかゴロもいいし。

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