<2011年9月>

【90キロの願かけ】 2011年9月30日(金)

明日、臨床心理士をめざしている妻が、大学院を受験する。
これまで家事をこなしながら、息子を寝かしつけたあと、夜遅くまで机に向かってきた。
一方そんな妻とバランスをとるかのように、最近の私は何をやってもつまらなく感じて、「なんだかナァ…」状態だった。

人間の関係とは不思議なもので、一方が目標に向かって頑張っていると、もう一方は応援しながらも無気力になる傾向があるという。
仕事などを例にとれば、こちらが弱腰だと相手がつけあがって、逆に偉そうな態度でいくと相手が下手に出るような感じなのかな。
そういえば前の結婚生活で、私がさまざまな活動でマスコミ取材を受けて有頂天になっていた時期、元妻は喜ぶどころか冷やかになっていった。

このままではマズイと思い、現状を打破するキッカケとして、とりあえずジムの筋トレだけは集中することにした。
私が通うシェイプアップドージョーのオーナーであるスージーさん(宮崎の有名人)に、今までの健康志向よりハードなメニューを作ってもらい、ここしばらく個人指導を受けてきた。
自己流の癖を矯正されながら追い込んでもらううちに、筋肉が目に見えて大きくなってきた。

もともとの私の体型は、身長164センチの体重65キロ、腹周りにはメタボ気味の「浮き輪」が。
ジム通い1年半のおかげで62キロに減って安定し、47歳にしてはけっこう筋肉質になった。
ベンチプレスの記録は、たしか60キロくらいから始めて85キロになっていた。

それが、スージーさんに鍛えてもらって、短期間で体重が65キロ近くまでアップ。
食事は変えていないから、脂肪より重い筋肉が増えたということだろう。
3年前左腕に大怪我をして、再起不能に近かった頃には想像もしなかった、夢の90キロいけるのでは?

そう思って、妻の受験合格の願かけと宣言して、今夜チャレンジしてみた。
そしたらなんと挙がってしまって、その場で思わず勉強中の妻に「合格決定!」と電話した。
人生後半にして、記録が伸びる分野を1つでも持っていると、けっこう楽しいものだ。

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【同志の吉報が届く】 2011年9月24日(土)

7日に書いたKさんに続き、東京の「夏夜景」さんことIさんから、うれしい知らせが届いた。
彼もまた、離婚で娘さんと会えなくなった、全国の同志の一人。
今週はじめ、「7年2カ月ぶりに、娘と再会できました!!」

思春期にさしかかった娘さんが、「どうしてもパパに会いたい」と母親に訴えたことがきっかけだそうだ。
「元妻へは、娘のことを第一に考えてくれた今回の英断に対し、最大限の感謝の意を述べました」
「娘にとって、誇れる父親であり続けることの軸がぶれなかったことは、Nさん(いおパパ)からの影響を強く感じます」

元妻の悪口は決して言わない、養育費をはじめ誠実に対応する、新しい家庭の邪魔をしない、たとえ会えなくても子どもが誇れる父親であり続ける。
「離婚しても親子は親子」の信念のもと、雨ニモ風ニモ負けそうになりながら、私たちは男のやせ我慢を続けた。
「ホンネでは娘の留守中、相手の家にバズーガ砲を打ち込みたいだろ?」とある人に言われ、即座に否定できなかったが…。

当時同じ状況で苦しんでいた人たちの中には、裁判で相手と争う、法改正の運動をするなど、闘う方向を選ぶ人が多かった。
私たちはあえてその流れから外れ、人の良心を信じながら耐え忍び、「その時」を待ち続けた。
どちらがよかったのかわからないが、少なくとも今の私に後悔はない。

メールには、成長した娘さんの隣で、満面の笑みを浮かべているIさんの写真が添付されていた。
これまでのことを思い返して感慨深くなり、自分のことのようにうれしくて、涙が出そうになった。
「2004年にNさんと交わした約束、『2020年、私と娘が宮崎に旅行して、Nさんと娘さんと食事をする』に、一歩近づくことがでました」

同じ経験をした者として、「すべては時が解決する」とは、軽々しく口にすることはできない。
私たちは、本来なら見守れるはずだった子どもの日々の成長を、間違いなく失ったのだから。

しかしIさんの言うように、「ワケありの父親」としての存在を、残りの人生で全うしたい。
子どもにとって、イザとなったら最後の味方として、いつでも頼ってこれるように。
その生き方は、普通の父親の立場では決して果たせない役目なのだから。

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【友あり遠方より来る】 2011年9月7日(水)

私のホームページを、スタート当時から10年間も読み続けてくれた人がいる。
掲示版にもよく書いてくれる、「じっくん」ことKさん。
私と同じく、離婚後に子どもに会えなくなった体験を持つ、全国の「心の同志」の一人だ。

Kさんは、宮城県仙台市に住むお医者さん。
直接会ったことはなく、インターネット上でのつき合いだった。
私が再婚して息子が生まれたときには、お祝いに素敵なアルバムを送ってくれた。

そのKさんが今日、休暇の旅行中、わざわざ宮崎に立ち寄ってくれた。
宮崎駅近くのホテルに迎えに行って、いきつけの料理屋で語り合った。
メールや電話の印象通り、穏やかで感じのいい人だった。

そのKさんもかつては仕事で多忙な日々が続き、家庭に十分な時間が割けない状態があったそうだ。
男とは皮肉にも、家庭にいちばん必要とされる時期に、仕事でもいちばん必要とされるもの。
私もかつてそうだったから、ある日突然奥さんが子どもを連れて出て行ったというKさんの気持ちは、よくわかる。

もともとは「ファーザーズ・ウェブサイト」がきっかけだったが、縁とは不思議なものだ。
短い時間だったが、あれこれ話した内容以上に、まだ見ぬ友が遠方から訪れてくれたことがうれしかった。
現在は定期的に子どもさんたちと面会できる状況にあり、気持ちも少しずつ安定してきたとのことだった。

「12年間ずっと心の中にあったわだかまりが、少しずつほどけてきた感じがします」(その後のKさんからのメール)
Kさん、次はいいパートナーに出会ったという知らせ、楽しみに待ってますよ〜!

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【ヒューマン・ビーイング】 2011年9月4日(日)

人間のことを英語で“Human Being”という。
Beingとは「存在する」という意味。
ただそこに「いる」だけで、十分意義はあるという定義だ。

でも私は、知らないうちに“Human Doing”になり下がっていたなあ。
常にDoing、ボーッとしてたらいけない、ヒマをもてあましてはならない。
いつも夕暮れ時に、「今日もまた○○ができなかった」と、自責の念や焦りを感じた。

「何かをしなければ、何かにならなければ」
「こうあるべき、ねばならない」
「意味があるかないか、正しいか間違いか」

そういった価値観、いや思い込みに、ずいぶん長い間縛られてきたように思う。
性格もあるかもしれないが、それ以上に、今までのいろいろな経緯がそうさせたのだろう。
考えてみれば、どこまでいっても安心できない、ツライ生き方だよなあ。

そういえば何度も妻に、「何もできなくていい」と言い聞かされてきたんだった。
頭ではわかっていたのだが、心では消化しきれていなかったようだ。
「空白」に罪悪感を持つ「病気」から解放されたら、ずいぶんラクに生きられるだろうなあ。

Human Doingから、Human Beingへ。
変化や成長するのではなく、思い出す、戻る。
たぶん、あと少し、もう一歩。

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【複雑の向こう側にある単純さ】 2011年9月3日(土)

千冊の蔵書をすべて手放したことは、思った以上の影響を私に与え続けている。

たとえば、職場にため込んだ資料も、「中を見ずに」バンバン捨ててしまう。
「あの本さえ捨てたのに、このレベルを残すなんておかしい」と思うからだ。
まるで、結婚披露宴に「あの人を呼ぶのなら、この人も呼ばなきゃ…」の逆バージョン。

「いつか役に立つかもしれない」とファイルしたまま、何年も使わないままの資料の山。
ついにその「いつか」は来なかったし、今後も来そうにないので、思い切って処分。
おかげで自宅はもちろん、職場の書棚も見違えるほどスッキリした。

それでも、今までに接した膨大な情報の中から、厳選して集めたものばかり。
もし1つでも見てしまうと、思い出のアルバム写真と同じで、手放せなくなるだろう。

それがわかっているから、せいせいした反面、後悔の海に引きずり込まれそうにもなる。
そんな最近、次のいくつかの言葉に出会って、私の心は温かく癒されたのであった。
焦って求めなくても、やはり、必要なときに必要なものに出合うものなのか。

「複雑なもののこちら側にある単純さは、手に入れるにまったく値しない。
 複雑なものの向こう側になる単純さは、どんな犠牲を払ってでも手に入れたい」

(オリーバー・ウェンデル・ホームズ/最高裁判事)

今の状態は、一見、最初から本など買わなかった人とまったく同じである。
ならば私も彼らのように、飲み代やタバコ、車やファッションを楽しむべきだったのか?
一度は1万冊近くの蔵書を所有したのち、すべてを手放したシンプルさは、密度が違うと信じたい。

生まれつき楽天的な性格で、生き方自体が「なるようになる」の言葉を具現化したような人。
悩み苦しみ抜いたあげく、ついには開き直って「なるようになる」と声を絞り出した人。
同じ文字、同じ音でも、その重みはまったく異質であるはずなのだ。

「足るを知る」
この究極的に単純な知恵も、さんざん執着した末に手放して自ら口にした場合と、
道徳の授業か何かで、あらかじめ説教として聞かされた場合とでは、深度が異なる。

「知識を得たいのなら、毎日増やしていくこと。
 知恵を得たいのなら、毎日取り除いていくこと」

(老子)

これは、深い。
深いが、「複雑のこちら側にある単純さ」しか知らない人には、たぶん実感できないことだ。
「複雑の向こう側にある単純さ」を体験した今、この言葉は雷に打たれるほどの衝撃だ。

「自分もいつかは死ぬ。
 それを覚えておくことは、何かを失うと考えてしまう落とし穴を避けるための、最善の方法である」

(スティーブ・ジョブズ/アップル創業者)

何かを失うと考えてしまうのは、「落とし穴」。
「裸にて 生まれてきたに 何不足」(小林一茶)というように、この体も所有物も、すべてはこの世の「預かりもの」。

仮に得るばかりで、何も失わずに生き切ったところで、死ぬ時にはすべてを放棄しなくてはならない。
ならば、心がけてやるべきことは、ただひとつ。
預かり物に執着せず、いつか手放すことを知り、「ありがたく味わいつくす」こと。

「『私の所有物は何もない』と考えられれば、すべてがあなたのものとなります」
(サティシュ・クマール/イギリスの思想家)

この言葉に出合った時、「解けた!」と思った。
「手放すほど得られる」、「何もないところにすべてがある」とは、なんと素敵な人生の皮肉だろう。
「人生はパラドックス(逆説)」という世界観も、一度所有したものを手放してこそ実感できる、小さな悟りだ。

私の本棚はカラッポだが、いつでもアクセスできる図書館や書店を、無料の「書庫」と思えばいい。
スーパーやコンビニは「冷蔵庫」、デパートは「クロゼット」、DVDやCDの「コレクション」はレンタルにある。
エアコンが効いてBGMがチョイスされた「書斎」はカフェ、隠れ家の「別荘」はホテルという名で「所有」している。

「答え」は常に、2つある。
小さな視点から「見た」人間的な答えと、大きな視点から「観た」仏的な答え。
前者の答えにこだわってこそ人間だが、答えが1つでないことだけは、心の片隅にそっと置いておきたい。

「読書とは思索の代用品で、精神に材料を補給してはくれるが、
 その場合、他人が我々の代理人として、我々と違った方式で考えることになる。
 精神が代用品に慣れて、すでに他人の踏み固めた道に慣れきって、その思索のあとを追うあまり、
 自らの思索の道から遠ざかるのを防ぐためには、多読を慎むべきである」

(ショーペンハウエル)

世間の常識と信じられている「読書のすすめ」とは正反対の、「多読を慎むべきである」!
Read less, think more.(少なく読み、多く考える)

自宅で一人エアロビクスをするのは難しいが、インストラクターがガイドするDVDに従えば、30分がすぐ過ぎる。
運動自体が目的ならそれで問題ないが、自律という見方からは「動かされている」に過ぎない。
逆に言えば、「自分の頭で考え行動する」ことは、それほどまでに難しい。

「代理人の代用品」で、思索したつもりになる罠には、もう二度とはまるまい。
もう私の手元に、本はない。
他人に舗装してもらった道路ではなく、自ら歩いて跡をつけた「けもの道」を歩もう。

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